モンゴルで墜落した林彪搭乗機のブラックボックスは、すでにロシアから中国に返還されており、そこには「もどろう」という林彪の声が記録されていた――2011年9月4日に北京で開かれた林彪事件40周年記念シンポジウムで披露された情報だが、それは事実なのだろうか。

 ブラックボックスは墜落原因を追究するうえで不可欠である。筆者はこのコラムの第13回目において、また、中国現代史の見直しを訴えた著書(『「敗者」からみた中国現代史』日中出版、2011年)において、「中国政府が、保有しているロシア政府に返還を要求し、返還を経て公開すべきである」などと主張した。

 ところが、林彪事件の関係者や研究者ら50人余りが参加したシンポジウムで、事件当時に軍副総参謀長だった閻仲川の息子の閻明が、1.林彪派将軍で軍総参謀長だった黄永勝の息子から、ブラックボックスが2008年に返還されたと聞いた、2.黄永勝の息子は万里(元全国人民代表大会常務委員長)の長男から、ブラックボックスに「回去」(もどろう)という林彪の声が記録されていたと聞いた、3.閻明は2010年10月にこれらを林彪事件研究者の舒雲に話した――などと語っている(高瑜「找到林彪事件的黒匣子」、香港誌『新史記』2011年総第4期、173頁。この文章はシンポジウムの司会を務めたジャーナリストの高瑜が、録音にもとづいてシンポジウムにおける発言を再現したものである)。

 閻明のこの発言を受けて、林立衡(林彪の娘)の夫である張清林は、林立衡が万里の長男に尋ねたところ、そんな話はしたことがないという否定の返事を受け取った、と語っている(同前、173頁)。

 高瑜の文章を読むかぎり、シンポジウムでのブラックボックスをめぐる発言はここで終わっている。だが、高瑜はこのシンポジウムについて紹介したほかの文章で、ブラックボックスの複製品が2001年5月末に返還されたとの情報を記している。ロシアのエリツィンが江沢民の招きを受けて大連で漢方治療を受けた際のみやげとして持参したという。また、ブラックボックスに録音されていた林彪の発言は、「回去」ではなく「回家」(意味は基本的に同じ)だったとの情報があることも述べている(高瑜「北京“9.13”研討会為林彪翻案」。この文章はウェブサイト『林彪 軍隊 文革』などで読むことができる)。

 だが、閻明からブラックボックスが返還されたとの話を聞かされた舒雲は、自分のブログで、万里の長男に尋ねたところ、林彪搭乗機のブラックボックスについてはまったく知らず、そこに録音されていることを聞くことなど不可能であり、父親の万里もブラックボックスについては知っていない、との返事を得たと記している。舒雲はそのうえで、林彪事件に対する関心は高く、根拠のないうわさも少なくないと指摘している(舒雲のブログ、2011年9月10日)。

 ブラックボックスの返還とそこに記録された林彪発言に関する情報の源とされている万里の長男が明確に否定しているのをみれば、ブラックボックスはまだ返還されていないと受けとめるのが素直であり、「もどろう」という林彪の発言を聞いたという情報も否定せざるをえないだろう。

 なお、林彪派将軍の邱会作の息子によると、トウ小平に近い指導者で、天安門事件で失脚した趙紫陽との関係も密接だった万里は、林彪派将軍を裁判に付すことには強く反対していたという(黄春光・邱路光「対話“九一三”」。この文章はウェブサイト『林彪 軍隊 文革』などで読むことができる。原載はウェブマガジン『記憶』第75期、2011年9月13日)。万里のそうした立場が、万里の長男がブラックボックスの林彪発言を聞いたといううわさが出てくる背景となったのだろうか。(文中、敬称略)(執筆者:荒井利明 滋賀県立大学教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)