在任を正当化する理由として、菅直人首相が先般の東日本大震災を得る前によく言っていたのが「短期間で首相がころころ代わるような国ではいけない」という話だった。この理由を楯にして、菅氏が一日でも長く首相にとどまるような事態は国民にとって望ましくないと考えるが、首相が短期間で交代するような状況が望ましい訳ではない。

 最近5人の首相の在職日数は、安倍晋三氏366日、福田康夫氏365日、麻生太郎氏358日、鳩山由紀夫氏266日、そして菅直人氏が現在374日(6月15日)であと少々は増えるとしても長くはない。5人を平均すると1年に満たない筈だ。

 過去に12回ほど転職して、一社当たりの平均在職年数が2年台の筆者が言うのは憚られるが、この在職期間はさすがに短すぎる。

 それぞれの首相の就任と辞任には固有の理由と事情があり、辞任の際に辞められて惜しいと思った方は正直なところいなかったが、これだけ短期間で職を辞することになった理由は、そもそも人材として首相職に対して不適合だったということではないか。

 たとえば、5人は、失礼ながら、在任期間の終わり頃には、首相職のストレスに耐えかねてか、心身の健康に問題を抱えておられたように思う。

 今更、個別に誰がどうとは言わないが、目が泳ぐ、人前でヒステリーを起こす、人相が一層歪む、腹が下る、怒鳴り散らす、など、「健康な政治家」なら陥らないような情けない状況が国民からはっきり見えた。まるで、首相官邸に総理の健康を蝕む環境ホルモンが存在するかのような印象だったが、サラリーマンでいうと、職責のストレスに堪えかねた中間管理職によくあるような症状だ。何れも首相でさえなければ、個人として同情を差し向けるべき、か弱き人物達だったと言えよう。

 さて、今回ほどなく辞任に至るはずの菅首相が辞任に至らざるを得ない理由は、震災と特に原発事故問題に対する対応の拙さに見られた、首相としての「資質」の不足であった。

「急流で馬を乗り換えるな」という諺にあるように、困難な事態の最中にあって組織のトップをすげ替えることには危険が伴う。

 しかし、民間会社であれば、会社にとって難しい事態であればあるほど、社長やCEOの職にふさわしい能力を持った人材を充てることが当然だ。乗った相手に馬の価値さえ無いと分かったときに、直ちに乗り換えを図ることは組織にとって悪いことではない。

 だが、次の首相職に必要なのはどのような資質なのかという反省を反映させずに次の首相を選ぶと、過去5回と同様の失敗をする可能性が大きいのではないだろうか。高い授業料ではあったが、せめて、われわれは失敗に学ぶべきだ。日本の首相選びは「失敗学」の有力な研究対象ではないか。

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