ダグ・スティーブンス(Doug Stephens)氏。

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小売業界を独走中のアマゾンだが、同社は伝統的な意味での小売業者ではない。圧倒的なイノベーション力を持つテクノロジー企業が「たまたま物販も手がけている」だけだ。ここを見誤ると本当の強みがわからない。アマゾンのイノベーションの特徴は、「社外のすべての企業にも提供すること」であり、その「毒蜘蛛の巣」は消費者だけでなく、競業他社も捕らえて離さない。彼らに死角はないのか――。

※本稿は、ダグ・スティーブンス・著、斎藤栄一郎・訳『小売再生 リアル店舗はメディアになる』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■ベゾスの関心はファッションより宇宙

米大手百貨店メーシーズのテリー・ランドグレンCEOは、2016年3月の投資家会議の席上、アパレル市場でアマゾンが多少は脅威となるかもしれないが、ネットで衣料品を売るという現実の厳しさに対応しきれないのではないかと懐疑的な見方を示した。当時発行されたばかりの調査レポートで、2017年までにアマゾンがメーシーズを抜いてアメリカのアパレル販売の首位に立つだろうとの予想についてコメントを求められたランドグレンは、「ネット販売品の返品が来るようになれば、思ったより大変なことだと気づくだろう」と語った。

ランドグレンがこんなコメントを披露していたころ、アマゾンはまったく違う点に注目していた。ジェフ・ベゾスCEOがロボット・人工知能・宇宙探査の各分野の名だたる専門家を集めた会議を招待制で極秘開催していたのだ。会議で何が話し合われたのか詳細ははっきりしないが、どう見てもシーズン遅れの婦人服コレクション一掃セールの作戦を練るような顔ぶれでなかったことは確かだ。強いてファッションに近い話題があったとすれば、ベゾスがロボットのコスチュームで会場に現れたことくらいだろう。

つまり、ランドグレンが在庫管理や店舗運営の込み入った事情に思いを巡らせていたとき、ベゾスは宇宙飛行の商用化やサイボーグ、認知コンピューティングで意見を戦わせていたわけである。アマゾンとライバル各社とで、これほど余裕に差があるところを見ると、従来の小売業の常識にとらわれてアマゾン対抗戦略を練ってもなかなか実を結ばない理由がわかろうというものだ。

■営業利益の56%はAWSがたたき出す

かつてベゾスは「発明は、長い間周囲に理解してもらえなくてもかまわないという覚悟が必要だ」と語ったことがあるが、競合他社がアマゾンの動きを読み違えても不思議ではない。アマゾンは普通の小売事業者とは考え方も行動もまるで違う。だからこそ、アナリストや投資家から称賛と批判を同時に浴びるような存在なのである。

アマゾンを巡って投資家がよく口にする不満の1つが、長年にわたる収益率の低さだ。じつはアマゾンの収益の最大の柱は小売でも何でもなく、はるかに小規模の「アマゾン・クラウド・サービス(AWS)」というクラウドサービス事業である。この事業部門はアマゾン社内のニーズに応えるためのコンピューティング・プラットフォームとして始まったものだが、やがてデータ保管・管理サービスをアウトソーシングとして外部からも請け負うようになった。取引先には、ネットフリックス、エアビーアンドビー、NASA(米航空宇宙局)などそうそうたる企業・組織が名を連ねる。収益の面から言えば、AWSはその規模とは比較にならないくらい大きな力を持った事業だ。AWSの売り上げ自体は、アマゾン全体の売り上げの9%にも満たないが、営業利益で見ると、全体のじつに56%をたたき出している。

■利益は「その気になればいつでも出せる」

とはいえ、株主の間からは、小売事業の収益を何とか改善せよと迫る声が定期的に上がっているが、ベゾスは投資家らの包囲網を、世紀の脱出マジックよろしく毎回見事に切り抜けている。そして市場がアマゾンを無視しようとしても、売り上げを激増させるか、記録的な利益率をたたき出すか、あるいはあっと驚く顧客獲得戦略を繰り出してくる。もっともベゾスは、四半期ごとの業績予想に右往左往するような短期主義とは決別する道を着実に歩んでいる。ベゾスによれば、利益は水道の蛇口のようなもので、その気になればいつでも開けて出すことができるのだという。要は株主は基本的に満足していると言いたいのだ。たぶん、1994年に創業した会社が今や年に1070億ドルを生み出す巨人になり、世界中に3億の顧客を抱え、年間売り上げの成長率もこの世に引力など存在しないかのように右肩上がりを続けているからだろう。

アマゾンは2016年の第1四半期に売り上げ28%増という驚異的な数字をたたき出した。ほとんどの小売企業のCEOにとっては、家族全員が誘拐されたとしても、全員分の身代金を払って救出できるほどの金額だ。にわかに信じられないことだが、アメリカでネット通販の支出額が1ドル増えるごとにアマゾンにはその6割が落ちている。ネット通販の支出額が1ドル増えるごとに6割が1社に直接流れ込むのだ。それでもピンとこないというのなら、こう言えばわかってもらえるだろうか。北米の小売市場全体で1ドル支払われるたびに、アマゾンが4分の1を持っていき、そのおこぼれをその他の企業が奪い合っているのだ。

■消費者をアマゾン中毒にする麻薬

アマゾンの重要な生命線とも言えるのが「プライム」という会員制度で、アメリカのアマゾンの場合、99ドルの年会費を払って会員になれば翌日配送が無料になるうえ、数々のプログラムやサービスが利用できる。プライムは、小売業界で一般的なポイント制度でもクレジット販売でも割引でもない。プライムには迅速な無料配送といった特典があるが、もっと重要なのは、それがアマゾン王国全体を楽しむための黄金の鍵であるという点だ。デジタル・コンテンツやエンターテインメント、メディアストレージ、プライベートブランド商品のほか、電子書籍の新刊をいち早く読めるメリットなど、プライム会員専用の特典は増え続けている。

これは消費者をアマゾン中毒にするための麻薬のようなものだ。何よりもアマゾンにとっておいしいのは、この麻薬が年に1度、必ず会員のクレジットカードに課金されることだ。つまり継続的に拡大の一途をたどる収入源になっているのだ。そして気づいたときにはプライム会員はますます熱心な顧客になり、しかも基本的に優良顧客なのだ。調査会社コンシューマー・インテリジェンス・リサーチ・パートナーズが発表した2015年版のレポートによれば、アマゾンの非プライム会員の年間平均支出額は625ドルだったのに対して、プライム会員の支出額は1500ドルに上る。さらに更新率が驚くほど高い。30日間のプライム無料体験制度を利用した顧客の75%近くが年間の正会員になる道を選び、2年目を終えたプライム会員の96%が3年目も更新している。アマゾンが機会あるごとに新規プライム会員を募集しているのも当然のことだろう。

そんなツールの1つがプライムデーだ。24時間限定の会員向けセールで、あらゆるカテゴリーの商品が普段より大きな値引きで提供される。2015年に始まったプライムデーは、わずか2年のうちに、アメリカのネット通販業界で4番目に大きなショッピングの日になった。2017年はブラック・フライデー(11月第4木曜日の感謝祭の翌日に当たり、感謝祭ギフトの売れ残り一掃セールの日であるとともに、年末商戦の幕開けを告げる一大セール)を超えるのではないかと見られている。このように、アマゾンのプライムは単なる会員制度ではなく、充実した顧客体験を核に展開する独特のエコシステムなのである。プライム会員は約5400万人と推定され、ライバルを蹴散らすために磨き上げたとてつもなく強力な武器になっている。

■「イノベーションの蜘蛛の巣」でライバルを捕獲

アマゾンは伝統的な意味での小売業者ではない。だからこそ競合他社にとっては危険この上ない存在でもある。もっと言えば、新しい技術やビジネスモデル、製品・サービスに片っ端から顔を突っ込んでいる。小売業者は、アマゾンを同業者と捉えるのではなく、データ、技術、イノベーションの企業がたまたま物販も手がけていると見るべきだろう。過去2年間だけでもアマゾンは多種多様な製品、プログラム、プラットフォームを発表しているが、いずれも従来の小売業者が手がけるような代物ではない。ざっと見てみよう。

▼アマゾン・アート 厳選されたギャラリーが限定版やオリジナルのアート作品を販売するオンライン市場
▼デジタルアシスタント「アマゾン・エコー」 音声認識プラットフォーム「アレクサ」に搭載された人工知能インターフェース
▼フレックス オンデマンドの小包配送ネットワーク
▼ホームサービス 水道工事、電気工事など住まいのサービスの窓口
▼プライムミュージック 音楽のストリーミング配信サービス
▼プライム・パントリー 家庭用品・保存食品の定額配送
▼プライムビデオ オンデマンドのビデオ配信サービス ▼スマイル 慈善事業の寄付
▼スタジオ オリジナルのテレビ・映画向けコンテンツ制作
▼スタイルコードライブ QVCのようなライブ配信のファッションショッピング番組
▼サプライ 産業・研究開発用品
▼ビデオダイレクト ユーチューブのようなコンテンツクリエーター向け動画配信ネットワーク
▼ワイヤレス 携帯電話・サービスプラン

アマゾンは毒蜘蛛に似ている。イノベーションという名の蜘蛛の巣を張り巡らし、一度捕まえたら離さない強力な消費者価値エコシステムを生み出している。たとえば、オリジナルの優れたエンターテインメント・コンテンツをエサに多くの利用者をプライム会員に取り込み、結果的にネット通販事業の売り上げにつなげている。ベゾスは「ゴールデングローブ賞をとったら靴がもっと売れる」と語っている。

アマゾンのイノベーションの多くに共通して見られる魅力がある。ほとんどの小売業者は何ごとも短期で回す製品・サービスという捉え方をするが、アマゾンはプラットフォームやネットワークという視点で物事を見ている。要するに同社のイノベーションはすべて社外の企業にも提供できるのだ。

たとえば、アマゾン・エコーというスマートスピーカーの開発にあたってアマゾンは、広く開発者向けにAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)を公開している。このAPIのおかげで、他社がエコーと連携可能な製品を開発できるのだ。また、アマゾンがクラス最高水準の配送ネットワークを構築できるとすれば、他社にもサービスを開放しない理由はない。同社のファッションショッピング番組「スタイルコードライブ」が人気を集めれば、アマゾン取り扱い製品以外にも有料で開放する販売プラットフォームとなっても何ら不思議はない。アマゾンが新たなイノベーションを市場投入するたびに、蜘蛛の巣に粘着力たっぷりの新たな糸が張られるのだ。しかも、この蜘蛛の巣には消費者はもちろん、ほかの企業もかかってくるのである。

■失敗に対する異常な許容度の高さ

このように戦略的に異なる視点からイノベーションを起こす能力があるため、アマゾンの次の一手を読むのは難しく、多くの競合他社は後塵を拝するほかないのだ。自社の事業のなかでこれほど多くの実験を同時並行で進める能力は過去に例を見ない。また、イノベーションに取り組む際の失敗に対する許容度の高さも並外れている。ベゾスは「失敗する場を探しているならアマゾンに限る」とまで言い切る。

従来の小売業界の経営者たちにしてみれば、小売事業を営むうえで逃げようのない現実が山積している。ところが、消費者生活のすべての面で大動脈になるという目的を掲げて爆走しているアマゾンにしてみれば、それは単にハイウェイの路面にある速度規制用の凸凹程度のものであって、問題にもならないのだ。アマゾンは時代錯誤のルールにすがるのではなく、小売という産業自体をつくり直すことに余念がないように見える。

メーシーズのランドグレンは、アマゾンが近いうちに難題を抱え込むと予想していたが、アマゾンを侮ってはいけない。ちなみに、ランドグレンは売り上げ不振を理由に2016年6月にメーシーズCEOの座を追われ、ベゾスはその1カ月後に世界大富豪ランキングで第3位に躍り出た。アマゾンばかりが目立っているが、現にグローバルな電子商取引で桁違いの成長を遂げているプレイヤーはほかにいないのが現実なのだ。

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ダグ・スティーブンス(Doug Stephens)
小売コンサルタント
世界的に知られる小売コンサルタント。リテール・プロフェット社の創業社長。人口動態、テクノロジー、経済、消費者動向、メディアなどにおけるメガトレンドを踏まえた未来予測は、ウォルマート、グーグル、セールスフォース、ジョンソン&ジョンソン、ホームデポ、ディズニー、BMW、インテルなどのグローバルブランドに影響を与えている。著書に『小売再生』(プレジデント社)、The Retail Revival:Re-Imagining Business for the New Age of Consumerism(未訳)がある。

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(小売コンサルタント ダグ・スティーブンス)