山手線は国鉄時代から「ウグイス色」がラインカラーだ(写真:masamura / PIXTA)

首都圏に住んでいる人ならば、JR山手線のラインカラーはウグイス色、あるいは黄緑色ということは認識しているはずだ。同様に、中央線はオレンジ、京浜東北線は水色、総武線は黄色ということも多くの人が知っているだろう。

旧国鉄時代からこれらの色は使われ続けてきた。かつては車体全体がこれらの色に塗られていたし、現在ではステンレス車体にカラーの帯が入っている。最近見かける機会が増えた山手線の最新型車両E235系は、ドアの周りにウグイス色のラインがグラデーションのように入っている。

では、山手線の色はなぜウグイス色になったのだろうか。ちなみに山手線のウグイス色は、旧国鉄の「国鉄車両関係色見本帳」では「黄緑6号」と呼ばれていた色だ。

始まったのは昭和30年代

結論から先に言うと、山手線の色を「ウグイス色」にした明確な理由は特に見当たらないのが事実だ。

ただ、いつからウグイス色の車両が導入されたかははっきりしている。全身をウグイス色にまとった最初の車両は、旧国鉄を代表する通勤電車103系だ。この車両の試作編成1本が山手線に導入されたのは1962年のことだった。ウグイス色の103系は1964年春から量産車両が投入され、これが「山手線の色」として定着していくことになる。

この当時、電車にカラフルな塗装を施すのはまだ珍しかった。旧国鉄の電車に明るい色を塗るようになったのは、1957年に中央線に登場した101系が最初だ。国鉄は当時の最新車両に「新性能電車」であることをPRするため、従来の茶色の電車とは異なる目立つ色を塗装することにした。

中央線に導入された101系は「朱色1号」で登場した。現在の中央線に続くオレンジバーミリオンである。従来の電車から大きくイメージを変えた鮮やかな色は多くの人から讃えられたというが、これは「中央線の色」というよりも新性能電車のPRとして塗装した色だった。

首都圏で中央線に次いで101系が投入されたのは山手線だった。1961年のことだ。だが、この時の色は黄色だった。正確には「黄5号」という色で、現在で言えば総武線・中央線各駅停車の色だ。実際、この101系は「つなぎ」的な存在で、山手線にウグイス色の103系が投入されるにつれて総武線・中央線各駅停車へと移っていった。

では、なぜ山手線に投入された101系は黄色となったのだろうか。鉄道雑誌『鉄道ファン』2001年7月号に掲載された元国鉄副技師長、星晃氏の寄稿によれば、この際に黄色の塗装を施したことについて「国鉄らしさを失うことなく、車両外部色の条件である明視性と快適性を備えた色として、当時としては十分思い切ったことではあったが、黄色系を推すことで工作局内の同意がまとまり、局長の賛成も得た」とある。

色は新車のアピールだった


山手線の新型車両E235系もウグイス色のラインカラーを受け継いでいる(撮影:風間仁一郎)

明視性と快適性――いまの車両の「色」にも共通する話だ。まだまだ茶色など暗い色の通勤電車が多かった時代に、新性能電車であることをアピールし、かつ安全面などの観点からも目立つ色として視認性を高めるためには、カラフルな色を塗装するのがいちばんだったのだ。

こうして中央線の101系にオレンジ色、山手線の101系に黄色、そして山手線の103系にウグイス色が塗装されたわけだが、先の星氏の寄稿によると「線区別に電車の色を変える構想は、103系の山手線に通勤型3番目のウグイス色導入のあとであり、このころまではむしろ明視性にすぐれた色を採用したとして、新性能電車のPRに重きが置かれていた」という。

昭和20年代半ば以降、それまで茶色や黒といった暗めの色がほとんどだった鉄道車両にカラフルな塗装が施される例は増えてきていた。「湘南電車」と呼ばれた東海道線の近郊型電車はオレンジと緑の2色で彩られ、新たに登場した特急電車や特急用ディーゼルカーには「クリーム色2号」に「赤2号」の帯が巻いた塗装が採用された。

ただ、オレンジと緑の「湘南電車カラー」がその後は東海道線以外でも見られるようになったように、国鉄は「近郊型車両」や「特急電車」「急行用ディーゼルカー」といったように、車両の機能や性能によって色を変えていた。国鉄は全国組織であり、車両が全国各地に転属することも多かったためだ。

だが、首都圏の通勤路線に関しては、先の星氏の回想にもあるとおり、山手線にウグイス色の電車が入ったことで「線区別に電車の色を変える構想」が生まれることになった。この色分けにより、誤乗防止の対策も可能になっていった。現在に至る「ラインカラー」の始まりだ。

こうして、103系が次に投入された京浜東北線ではスカイブルーの「青22号」塗装が採用され、常磐線に103系を投入する際はエメラルドグリーンの「青緑1号」と、各路線によって明確に異なる塗装を採用するようになった。ちなみに、常磐線にエメラルドグリーンを採用した理由は「当時の宝石流行の世相に合わせて」(『鉄道ジャーナル』1985年3月号掲載の星晃氏回想録)だという。

山手線の「黄緑色」が果たした意味

これ以降、さまざまな線区でラインカラーの思想は広まっていった。星氏は上記『鉄道ジャーナル』の記事で、「トップの積極的な方針のもとに進められてきた首都圏国電の線区別カラーもすっかり定着し、いまでは改めて不思議に思う人もいないのであるが、これなどは車両の外部色が都会の交通機関として明るい存在であり、かつ誤乗防止のためにもほんとうに日常の旅客サービスに役立っている事例として、世界でもまことに珍しい効果をあげていると思う」とふりかえっている。

「ラインカラー」の思想は、現在では大都市圏全体で鉄道会社の枠を超えて広まった。営団地下鉄(現・東京メトロ)と都営地下鉄は1970年にラインカラーを導入。地下鉄の車両も路線ごとに異なる色を車体に入れている。JR発足後は、南武線や横浜線・京葉線・武蔵野線・埼京線に新しいラインカラーが導入され、現在ではすっかり定着している。海外でもラインカラーは大都市の地下鉄などで採用されているが、車両をその色に塗るという発想は珍しい。

山手線がウグイス色になったのは、簡単に言えば「たまたま」だ。特に沿線の風物にちなんだといった理由があるわけではない。だが、路線別に違うカラーリングを車両に施すようになったのは、山手線がきっかけといえる。その意味で、山手線のウグイス色は、画期的な色であったのだ。