マツダの戦略とは?(撮影:今井康一)

「自動車産業は国の基幹産業」とは言い古された言葉だが、その割に、メーカーごとの戦略や方針は十分に伝えられていない。メディア側もそうしたことを積極的に伝えてこなかった責任があると当事者の一員として思う。


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特に昨今、家電メーカーの凋落を背景に「日本の自動車産業も崩壊するのではないか」という焦燥感に満ちた言説を多く目にする。

「日本経済に巨大な影響を与えかねない自動車産業の行方になにかあったらどうするのか」と危機感を持つ気持ちはわからないではないが、判断材料を持たないままいたずらに恐怖に駆られても意味はない。

そこで自動車メーカー各社の戦略がどういうものかを不定期に書いてみたいと考えている。第1弾はマツダを前後編の2回にわたって取り上げたい。

悪夢の5チャネルとフォードの救済

まずはバブル期にマツダが潰れかけた時代を起点として話を始めよう。1989年、マツダはグローバル販売100万台を目標に、お膝元の国内販売5チャネル化計画を打ち出した。複数系列に分かれていた競合メーカーに対抗するため、「マツダ」「アンフィニ」「ユーノス」「オートザム」「オートラマ」と販売店を分け、それぞれに車種を用意した。


1992年に発売されたMX-6。カペラのクーペ版であるC2の後継として配備されたMX-6は立ち位置が最もややこしい1台。そもそもカペラの後継はマツダ店扱いのクロノス。これをディーラー系列ごとに名前とデザインを変えて配備したうえで、ボディバリエーションも必要となり、錯綜しすぎて誰もわからなくなった。ちなみにMX-6がマツダ店向けのクーペであり、これを5ドア化したMS-6はアンフィニ店扱い(写真:マツダ提供)

「売れないのは販売力が原因」と考えた戦略だったが、これが裏目に出た。

結果論から言えば、時代的に多チャネル販売のメリットが失われ始め、10年後の1990年代末には先行各社がそれまでのやり方を改め、チャネル間の相互乗り入れを具体化し始めるその時期に大勝負に出てしまった。長期展望を読み間違えたうえに、運も悪かった。莫大な投資に冷や水をかけるようにバブルが崩壊する。

多チャネルを成立させるためには、各系列でのラインナップを確保するためのモデル数拡大が必要だ。これを拙速に進めた結果、商品ラインナップは大混乱した。当時筆者は自動車専門誌の編集部にいたが、編集部にもマツダの全車種とその兄弟車関係、さらに取り扱いディーラーの関連性を整理して理解している者がほぼいないようなありさまだった。ブランドイメージの向上を狙った戦略が、むしろブランドイメージの希薄化を招いてしまった。

こんなことでマーケットが反応するはずもなく、マツダは壊滅的な失敗に沈んだ。巨額の損失に対処するべく、リストラと新型車開発の凍結が執行され、「社内の空気は連日お通夜のようだった」と当時を知る人は語る。毎日見知った顔がひとりふたりと欠けていく。

絶体絶命に追い込まれたマツダに救済の手が差し伸べられた。提携関係にあったフォードが資本を注入して出資比率を33.4%に引き上げた。直近の倒産を免れたのは事実だが、その後も苦難の道のりは続いた。

フォードは「400万台クラブ」構想の渦中にあった。当時まことしやかに語られていた近未来像は「グループで400万台を超えない自動車メーカーは生き残れない」という見方で、基本概念は大量調達によるコスト競争力の増強であり、それは短期決算の利益率向上を指標として評価された。今となっては何でそんな話が真に受けられたのかは定かではないが、当時は大真面目に受け取られ、ダイムラーとクライスラー、ルノーと日産など、多くのメーカーが合従連衡策を進めていた。

そうしたトレンドの中で、フォードは世界中から多くのブランドを集めた。ジャガー、ランドローバー、アストンマーティン、ボルボといった錚々たるブランドを傘下に収めたのである。


フォード傘下でマツダ・アクセラとフォード・フォーカス、ボルボV40は同一のプラットフォームを与えられた(写真:マツダ提供)

多くのブランドにフォードが音頭を取った共通プラットフォームを利用させることで、量産効果を高め、コストメリットを生み出そうと考えたのだ。たとえばマツダ「アクセラ」は、フォード「フォーカス」やボルボ「V40」と共通のシャシーとエンジンを与えられた。

シャシーとエンジンの開発を任された

マツダは小型車両のシャシーとエンジンの開発を任されたが、それはがんじがらめの制約の中で行われた。たとえば、エンジン一つとってもグローバルマーケットでのニーズに応えるため排気量は最大2.3リッターまでを視野に入れなくてはならない。


フォードからの受託によりマツダが設計したMZRエンジン。写真はマツダ用の2リッター(写真:マツダ提供)

隣接するシリンダーとの間隔をボアピッチと言うが、最大排気量を決めるもっとも大きなファクターはこのボアピッチだ。それを大きく取るということは、同時に国内でメインとなる1.8〜2リッターに最適化できないことを意味する。

エンジン単体で見たら数十ミリ数キロの差かもしれないが、それを搭載するためにエンジンルームは大きくなり、ひいてはボディも大きくなる。大きくなれば重くなる。完成車になったときにはその最初の数キロが何倍にもなって返ってくる。

さらにフォードの体質の問題もある。過去に例外はあるものの、フォードは基本的に他社を打ち破る最高性能の製品を作ろうなどとはそもそも考えない。強大な販売網に物を言わせて製品の優劣に依存せず販売力で押し切る戦法だ。だから車両開発の過程で出てくる項目ごとの開発指標に「競合社並みに」とか「平均値から大きく劣らないこと」という言葉が並ぶ。並の製品で構わない。余計な工夫をしてコストが上がることのほうを問題視したのだ。

ただ、フォードは商品企画上、傘下のブランドがみな同じハードウェアを使い回すことで、似たようなクルマばかりになることを恐れた。自社ブランドの共食いは避けたい。そこで各社のブランディングに力を入れた。

これに関しては非常に真摯な姿勢で臨み、フォードの都合を押し付けることなく、傘下の各メーカーに対してしっかりと自己分析をさせ、それを尊重した。フォード離脱組のボルボやアストンマーティン、ジャガー、ランドローバーが現在元気なのは、フォードがこのとき、各社のコアバリューを丁寧に定義したからだ。後にフォード傘下から離脱したボルボとGM傘下から離脱したSAAB(サーブ)を比べると非常に対照的である。再出発にあたって、ブレない軸をフォードは各社に与えた。

マツダの「Zoom-Zoom」はそうした中で生まれた。英語の幼児語で「ブーン、ブーン」を意味する言葉が表すのは「移動体の楽しさ」、いや本来の子どもらしい言葉で表せば「動くものは楽しい」と言うべきか。

エンジンもシャシーも何もない

そういうブランディングを軸にマツダは再生を始める。ところが2008年にリーマンショックが起こり、フォードは連邦倒産法第11章(チャプター11)適用の瀬戸際まで追い込まれ、傘下のブランドを整理することでGMやクライスラーのようなチャプター11の適応を免れた。

マツダはフォードの傘から外れたが、それはとりもなおさず、これまで13年間にわたり提供されてきたフォードのエンジンやシャシーが使えなくなることを意味した。

「自社で開発すればいいじゃないか?」と外野が言うのは簡単だが、エンジンもシャシーも莫大な費用が掛かる。それを全モデル相当分、新規で起こすのはマツダの規模では経済的に不可能だ。本来ならラインナップを縮小するしかないが、当時のマツダは日本、北米、欧州、その他がきれいに25%というシェア比率で、それぞれのマーケットの屋台骨になるクルマが異なっていた。車種を整理することはすなわちどこかのマーケットを捨てることになる。それはあまりに手痛い。

進退窮まったマツダは、10年後のグローバルマーケットを維持するのに最低限必要な車種をギリギリまで絞り込んだ。それはZoom-Zoomを体現するために必要な車種構成でもあった。

○乗用車ライン
・デミオ(日本、アジア、欧州)
・アクセラ(全世界)
・アテンザ(日本、北米)
○SUVライン
・CX-3(日本、アジア、欧州)
・CX-4(中国)
・CX-5(全世界)
・CX-9(北米)
○スポーツカーライン
・ロードスター(日本、北米、欧州)

この8車種のどれを欠いてもZoom-Zoomと世界戦略が維持できない。人間困り果てたときは知恵が出るもので、マツダはここでコモンアーキテクチャーと混流生産という技術を確立した。

コモンアーキテクチャーと混流生産

コモンアーキテクチャーはプラットフォーム流用の反省点から作り出された。プラットフォーム流用とはつまり部品の流用だ。ところが先ほどのエンジンの例を見ても明らかなように、部品を流用すると各車に最適化はできず妥協することになる。性能だけではなく開発や生産性、商品力に歪みが生じるのだ。


共通のプラットフォームを多ブランドで展開するのではなく、マツダブランドの縦のラインナップを作りやすいように共通項を持たせるコモンアーキテクチャー。固定と変動をうまく按分する目利きが必要だ(写真:マツダ提供)

マツダはコモンアーキテクチャーを説明するとき、「固定と変動」と言う。固定する部分を徹底的に同一にし、それ以外の部分を変動させる。

たとえば排気量の異なるエンジンに、部品共有を優先して同じインテークマニホールド(エンジンの吸気管)を流用するとしよう。すると燃焼室体積と吸気系の体積比率が変わる。こうなるとまずちゃんと燃えるかどうかからやり直しだ。燃焼の制御をゼロベースでやり直すことになる。

現在のエンジンは緻密な燃焼制御を必要としているので、むしろ基礎開発時に使ったシミュレーションの数理モデルを維持するほうが、開発コストが下がる。荒っぽく単純化してしまえば部品の流用より、仕向地ごとの規制をクリアするために大量に用意しなくてはならない制御プログラムの流用のほうがコストダウン効果は大きいのだ。


物理的な部品共用はもちろん行うが、トータルでの工数低減を考えると地域ごとの法令などに適合させるキャリブレーションの工数が大きい。むしろプログラムを共用化するために、部品を変えてでも特性を共通化する必要がある(写真:マツダ提供)

見方を変えると、これまで部品という単位で部分最適化していたが、それをクルマの設計から製造までの全工程で全体最適化するということでもある。何を固定し何を変動させるかを見極めることに最大のノウハウがある。

マツダの生産量では、各車種の専用ラインをフル稼働させることができない。普通なら一定台数生産ごとにラインを再セッティングして別の車種用に切り替えなくてはならない。これを全面的に改めた。車種ごとにまとめて生産せず、ディーラーから上がってくる発注書の順番どおりに全部の車種を織り交ぜて作る。CX-5の次にロードスターが流れてくる。その次にはデミオ、アクセラ、というオンデマンドで必要な車種を生産するやり方が混流生産だ。これによって工場の稼働率が上がる。

それにはたとえば工場で車体や部品を固定するクランプ位置などの車体側の特性、あるいは車種を問わず、1工程ごとに掛かる時間を頭から最後まで同じにしないと不可能だ。これも固定と変動だ。それは気の遠くなるような作業だったはずだが、マツダはそれをやり抜いた。

必要な8車種に絞り込み、8車種分のエンジンやシャシーの基礎開発をコモンアーキテクチャーで最低限に絞り、それを混流生産でフレキシブルに生産することで、グローバルで戦うための商品群を開発したのだ。


マツダの「魂動」デザインを全モデルに適応させるために、車種ごとにデザインマップの上にプロットして、それぞれの車種がマツダブランドの何を担うのかを明確化していった(写真:マツダ提供)

全車種に統一的デザインを与えることにした

実は現在のマツダ車がみな似たデザインであることもこのコモンアーキテクチャーの一環だ。2018年3月の軽自動車を除くマツダの販売台数は2万7600台。トヨタ自動車でいえば「プリウス」1車種と同程度である。これにそれぞれ個別のデザインを与えても街並みの中であまりにインパクトが薄い。だからマツダは全車種に統一的デザインを与えることにした。そうしないと埋もれてしまうからだ。

基礎デザインを入念に練り込み、主にフロントフェースとボディシェープに同じコンセプトを持たせたまま、車種ごとに必要なアレンジを加えて展開する。これも固定と変動。それによって、デザインリソースの選択と集中ができ、市場でもオールマツダの商品群で勝負できる。

こうしてマツダはようやくスタートラインに戻ってきた。次は脆弱なマツダのブランドをどうするのかだ。その戦略が描けなければ、マツダの未来はやってこない。

(後編に続く)