学生の窓口編集部

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三蔵法師といえば、ありがたいお経を求め、孫悟空、猪八戒、沙悟浄と共に艱難辛苦に耐え、天竺(インド)をめざす物語『西遊記』でおなじみの、唐時代の僧侶 玄奘(げんじょう)のことだと思ってはいませんか?

じつは、三蔵法師は日本人でもあります。玄奘がハーフだった、ということではありません。

なんと、三蔵法師は一人ではなかったのです!

●三蔵法師は固有名詞ではなく尊称

仏教の経典は、釈迦の教えである「経蔵(きょうぞう)」と、僧侶が守るべき規則である「律蔵(りつぞう)」、そして、経や論に対する注釈としての「論蔵(ろんぞう)」の三つから成り立っていて、これを「三蔵」と呼びます。

そして、これらすべての経典を読破し、仏教に精通する学僧を「三蔵法師」と呼びました。つまり、三蔵法師とは、固有名詞ではなく、エリート中のエリートである高僧に対する尊称だったのです。

●三蔵法師のプロフィール

中国では、仏教の経文原典を翻訳した者をとくに、「訳経三蔵(やくきょうさんぞう)」と呼び、その偉業と功績をたたえています。そのなかでもっとも有名な人物が西遊記の主人公である玄奘三蔵というわけです。

三蔵法師という尊称は、玄奘らが登場する以前から、すでにインドにあったようです。ということは、中国の偉いお坊さんだけが三蔵法師だったというわけではなさそうです。事実、インドはもちろん、じつは日本にも三蔵法師はいました。

●日本の三蔵法師は近江出身

近江出身で興福寺の僧侶だった霊仙(りょうせん)は、804年、最澄や空海らと共に遣唐使の一行として唐に渡りました。その後、長安で仏典の翻訳に従事すると、その功績が認められ「三蔵法師」の尊称が与えられました。

最澄や空海のほうが知名度は高いのですが、日本人で「三蔵法師」の尊称をもつのは霊仙ただ一人です。

というのも、霊仙はあまりにも優秀な僧侶であったため、唐の皇帝に大変気に入られてしまったことにくわえ、仏教の秘伝消失が懸念され、日本への帰国が許されなかったのです。最澄や空海は日本に戻り精力的に活動をしましたが、霊仙は唐の地で生涯を終えています。

天竺を目指した三蔵法師も決死の覚悟で仏教に生涯をささげたわけですが、知られざる日本の三蔵法師にもまた壮大なドラマがあったのです。

ちなみに、三蔵法師の尊称をもつ僧侶は世界中でたったの8名のみ。そのうちの一人である日本の三蔵法師霊仙。興味のある方は、滋賀県米原市の松尾寺境内に「霊仙三蔵記念堂」があるので、会いに行ってみてはいかが♪

文・鈴木ゆかり

※参考

『「お寺と仏像」おもしろ小事典』(瓜生中 著/PHP研究所)『仏教聖地・五台山』(NHK取材班 鎌田茂雄 著/日本放送出版協会)霊仙三蔵記念堂