写真は著書(「未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」)より

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 9月19日未明、「国際報道2015」(NHK・BS)のキャスターとして活躍していた、フリーアナウンサーの黒木奈々(32)さんが、胃がんで亡くなった。32歳という若さで亡くなった黒木奈々さんの死に、ショックを隠せない声が多く挙がっている。

 杉崎美香(36)や潮田玲子(31)ら、黒木さんが所属していたセント・フォースに所属する多くのタレントやキャスターが、自身のブログで黒木さんへの追悼コメントを寄せている。中には「人ごとではない」「言葉が出なかった」と、突然襲った病魔を自分のことのように悔しがる人もいた。

 黒木さんは鹿児島県出身。アナウンサーを多く輩出している大学を探し、上智大学外国語学部フランス語学科に入学。在学中はフランス留学をした。帰国後、留年して受けたアナウンサー試験には全て落ちるも、大阪の毎日放送(MBS)から報道記者職の試験を薦められ、合格。しかし、アナウンサーの道があきらめきれず、入社後1年足らずで退職、フリーアナウンサーになった。

発見時はすでにステージ3だった

 フリーアナウンサーになった黒木さんは、TBSニュースバードのキャスターとして活躍後、2011年4月にNHK BS1の「ワールドWaveトゥナイト」のサブキャスターに。番組終了後は「国際報道2014」のメインキャスターに就任した。国際派で知的美人の雰囲気に加え、色気のある容姿はニュースバード時代から人気だった。

 そんな黒木さんに胃がんが見つかったのは、昨年8月のことだった。31歳のときだった。同年7月に胃潰瘍の手術を受け、経過検査を受けたときに発覚した。このときの病状はすでに、末期がんであるステージ4の一歩手前、ステージ3だった。黒木さんは番組を休み、治療に専念。胃を全摘出した。番組を突然休んだことから、「スキャンダル発覚」と噂も立った。9月に胃がんを公表した。

 黒木さんは2015年1月に1回限定で復帰し、3月26日には闘病を綴った本「未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」(文藝春秋)を出版。番組には3月30日から毎週1回、月曜日限定で出演していたが、8月31日の放送を最後に再び休養に入った。多くのファンが完全復帰を待つ中、9月19日に帰らぬ人となってしまった。

 読売新聞の医療サイト「ヨミドクター」では、8月6日から9月17日までの計7回、黒木さんの生い立ちや胃がん闘病についてのインタビューが掲載された。

 最終回で黒木さんは自省の念を込めて「若いから、自分の健康を過信していた」と話している。9月17日の連載最終回の2日後に黒木さんが亡くなると、連載を読み終えたばかりの読者からは、

「泣けてきた」
「読んでて辛い」
「自分より年下の人が亡くなるなんて」
「本人が一番悔しいだろうなあ」

 など、悲しみの声が絶えない。

 また、ここ数年、健康診断を受けていなかった件に強く反応する人もいた。健康診断をサボっていた人からは「自分も受けに行こう」という声も相次いだ。

 フリーアナウンサーとしてつかんだ仕事を全力で取り組んできた黒木さん本人も、「まさか自分が胃がんに」と驚き、誰よりも一番悔しかっただろう。

(文・春山修司)