違う場所で輝く ドラフト1位選手たちの光と影

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ドラフト1位――それはその年にそのチームでもっとも期待されて入団する選手だ。今、野球界はキャンプ真っ只中であるが、やはりドラフト1位の選手たちはとりわけ大きな期待をかけられる。
特に楽天の安楽や巨人の岡本への注目度は大きく、メディアでもキャンプの様子が多く伝えられている。
また、過去に遡ると松坂大輔や斉藤佑樹などの場合は、新人としては異例の大フィーバーを巻き起こしたほどであった。

だが、そのように期待され入団しても結果を出せるとは限らないのが、プロのプロたる所以だ。ドラフト1位の選手がなかなか結果を出すことができず、もがき苦しむという"影"の部分を「ドラフト1位」(著:澤宮優/河出書房新社)は描く。
元巨人の大森剛や元千葉ロッテの澤井良輔など、何人かの選手のエピソードが本書では紹介されているが、これらを読み進めていくと活躍できず日の目を当たらないというのは実力だけではなく、「運」の要素が強く絡んでいると感じる。

一つは怪我。アマチュア時代には目覚しい活躍をしていても、プロ入り後に怪我に悩まされ本来の実力を出すことができないケースだ。確かに、怪我をするのは自己管理がなっていないからだという意見もあるだろうが、勤続疲労が影響しての肩(肘)痛や全力プレー中のアクシデント的怪我など防ぎようのないものも多い。
それこそブレイクするかどうかのタイミングで怪我をしてしまったら、1軍定着のチャンスをみすみす逃してしまう。

次にコーチとの相性。入団したチームで担当になったコーチが自分のスタイルに合っているかどうかで成績を残せるかが大きく変わってきてしまう。事実、コーチにフォーム改造を迫られてそれに従った結果、まったく駄目になってしまったケースも多い。
例えば、野茂やイチローも、ブレイク前から特異なフォーム(野茂はトルネード投法、イチローは振り子打法)で知られていた。彼らの場合、特異なフォームに最大限の理解を示す仰木監督が居たから故にフォーム改造せずに済んだ。もし仰木監督という良い指導者がいなかったらどうなっていただろう。
例えば、野茂は仰木監督の後を受け継いだ鈴木啓示監督と衝突したことが原因で海を渡ったし、イチローも仰木監督就任前には打撃フォームの改造を拒否したことが原因で2軍落ちとなっている。野茂やイチローのような偉大な成績を残した選手の活躍は、仰木監督のような名将の支えがあったからこそと言えるだろう。

そしてチーム事情だ。自分と同じチーム・同じポジションに優れた選手がいれば、当然ドラフト1位とはいえプロでの結果に乏しい選手の出場機会は限られる。
本書内では元西武の高木大成のエピソードが象徴的だ。彼は捕手として西武に入団したが、当時は西武黄金期を支えた伊東勤(現ロッテ監督)が健在だったこともあり、なかなか捕手としての出場機会に恵まれなかった。(後に高木は1塁手にコンバート)

ここまではドラフト1位の選手たちの"影"の部分であるが、本書では"光"の部分も取り上げられている。
確かにドラフト1位の野球選手としては大きな実績を残せなかったかもしれない。しかし、彼らは「第二の人生」ともいうべきその後の人生で輝かしい実績を残しているのだ。

特に本書で印象的なのは荒川尭のエピソードだ。
荒川はドラフト1位で大洋に指名されたのだが、入団を拒否してしまう。そのが原因か彼は暴漢に襲われて大怪我をする。この暴行の数年後、後遺症によって彼の左目はほとんど見えなくなってしまった。これは野球をする人間には致命傷であり、結局実働5年で現役を終える。普通の人間であれば、自暴自棄になってもおかしくないが、彼はへこたれなかった。

引退後の荒川は日本で最初にスピードガンを輸入して大成功を収めたのだ。
ある時、スカウトが「あの投手のボールは何キロだろう」と話しているのを彼は耳にする。それを実現する機械がアメリカにあることを知り、日本に持ち帰り普及させた。この普及のための営業活動には、野球選手としての荒川の知名度が大きく生きたという。相手は「あの荒川がものを売りに来てくれた」とすぐ心を開いてくれるからだ。

そんな荒川以外にも、スカウトとして名選手を見出したり、優秀な打撃投手として名打者を影から支えたり、はたまた日本野球界初のマスコットとして球場の盛り上がりに一役買ったりと元ドラフト1位たちがさまざまな場で活躍していることが描かれている。

選手としてあまり良い成績を残すことができなくても他の舞台で輝く彼らを描いた本書からは多くの学ぶ事がある。置かれた立場が初めは自分が望んだものでなくても、必ずしも間違いではなく、諦めなければ違った形で輝ける可能性があるのではないだろうか。
(さのゆう)