大相撲問題、もう一言いわせていただく。国技、国技と言うけれど、相撲はそもそも国技なのか? もっと言えば国技って何なのか? いつ誰によって制定されたものなのか。判断の物差しはいったい何なのか。

本来、触れなければいけない点に目を背け、勝手に神格化してきた結果だと僕は思う。相撲協会の責任は重いけれど、それ以上にチェック機能を果たしてこなかったメディアの責任はそれ以上だ。

そもそもNHKの大相撲中継はスポーツ報道なのか。ジャーナリズムは、その生中継の中にどれほど存在しているのか。無気力相撲の撲滅が叫ばれている最中、実況アナが、土俵を簡単に割る力士を「今日は元気がありませんでした」と、簡単に片付ければ、傍らに座る解説者及び、向こう正面のゲスト解説者も、それ以上とやかく言おうとしない。

相撲協会の放送部の中継を聞かされているような感じだ。NHKは相撲協会という身内にすっかり取り込まれている。中継の中に第三者的な目、中立的な目が、一切存在していないところに、僕は最大の問題を感じる。

そもそも実況アナと掛け合いをする解説者とは何なのか。専門家であることは分かるが、批評家でもあるはずだ。評論家でもあるはずだ。実況アナ以上に、ジャーナリスト精神に溢れているのが筋なのだが、実態はそうではない。元力士だったり、親方だったり、相撲協会にきわめて近い人が長年座ってきた。サンデースポーツとか、スポーツニュースに登場するのも、この手の人たちばかり。第三者的な目線を持つ人ではなく、元力士や親方といったいわば当事者が、身内の立場で、大相撲について語ってきた。番組内にピリッとしたこれで良いのか的なムードは一切なし。取材対象者である相撲協会との距離感はきわめて接近していた。ベタベタの関係で、相撲を伝えてきた。

これは相撲に限った話ではない。ほぼ全てのスポーツについて言えることだ。メディアと取材対象者の距離は近い。両者の関係は大抵においてベタベタだ。選手や監督といかに仲良くなるかを考えている人が大半。取材対象者との距離に慎重になろうとする人を見かけることは難しい。

協会のあり方を批判しようなどとする人はほぼゼロ。僕の知る限り、サッカー以外の競技は、とくにそれがしにくい状況にある。理由は簡単。それをすると、現場で取材活動がしにくくなるからだ。出入り禁止もよくある話。

僕はサッカーライターではなく、スポーツライターと名乗っている。理由は簡単、他の競技にも大いに関心があるからなのだが、にもかかわらず、取材がサッカーに偏りがちになるのは、他の競技には、自由にモノが言えないムードが漂うからだ。

「協会はなにやってるのか!」とか、「岡田監督続投反対」とか、一介のフリーランスが、思ったことを自由に堂々と言えるのはサッカーのみ。日本サッカー協会の懐の深さには、そういう意味では大いに感謝しているが、これは世界的に見て普通。

もっとも、サッカー界にもベタベタの関係はあちこちで見て取れる。例えば、解説者の立ち位置は大相撲同様、批評家でも評論家でもない。ジャーナリスト性を放棄しても、問題のない立場にいる。

最近流行のコメント至上主義も、ベタベタ感を助長させる原因だ。特にいま、この世界で重宝がられるのはコメント。原稿の中にコメントがいくつ入っているか。新聞の世界では、ここが良い原稿か否かの分かれ道だと言われている。

取材対象者との距離はすると急接近。よほど気をつけないと中立性は失われる。距離が近くなるほど、批判は言えなくなる。唯一健全に見えるサッカーだって「予備軍」は、あちこちに見て取れる。

その八百長問題の核心に、グイと迫っていく資格があるメディア関係者は、どれほどいるだろうか。ちなみに僕が好きな選手は、そのあたりの頃合いが分かっている人。メディアとベタベタの関係にはならないように、注意を払っている選手。つまり、取材者との距離感に敏感な選手だ。そうした意味でクレバーな選手だ。

取材者と取材対象者と。取材者は相撲協会という取材対象者とどう向き合ってきたか。相撲協会とメディアは、これまでどういう関係にあったのか。メディアが反省すべき、追求すべきはそこ。相撲協会を長年放置し続けて来たてメディアの責任は重い。


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