インタビュー:たむらぱん「自分の曲が歌えるのは、自分」
世界最大のSNS「MySpace(マイスペース)」を利用した地道なプロモーション活動が話題となり、作詞・作曲・編曲からアートワークまで手がけるマルチアーティスト“たむらぱん”こと田村歩美。昨年10月に新ネットレーベル「Robin WORKS」のレーベルサイト「星とギター」より配信限定シングルでメジャーデビューを果たした彼女が今月23日、待望のメジャーデビューアルバム「ブタベスト」を発表した。
――MySpaceで初めて音を聴かせてもらった時に、「たむらぱん」というアーティスト名もそうですが、表情豊かな歌声と独創的なアレンジが素晴らしいなと思いまして。小さな頃からコーラスやピアノなど習い事はしてましたか?
たむらぱん:いや、特に。小学校ぐらいの時にピアノはやっていたんですけど、ダメ生徒の典型みたいな感じだったので(笑)、そんなすごい“通”にはなれず。――小さい頃はどんな女の子だったんですか?
たむらぱん:基本的に運動部でした(笑)。じゃあ小学校から遡ると…、剣道部に入っていて、自転車クラブに入って。自転車クラブが結構大会があって、それも小学校3年間ぐらいはやっていて。中学に入ってクロスカントリーをやって。高校に入ってそれプラス野球部のマネージャーをやって、夏だけ陸上部に入って。そこで一応、軽音部にも入っていましたね(笑)。――音楽の道を真剣に目指したのは、いつ頃ですか?
たむらぱん:学生の時はコピーバンドみたいなものをやっていたんですけど、今みたいな作詞・作曲は、大学4年の時の就職活動がきっかけです(笑)。就職活動として、みんなが企業に面接の履歴書を送るじゃないですか。私は就職活動という名の下に、レコード会社にデモテープとオーディションの履歴書を書いて送っていたんですよ。それが22歳の夏ですね(笑)。――その頃は、どんな音楽をやりたいと思っていたんですか?
たむらぱん:基本はJ-POPをやりたいとは思っていて。あとは、音楽の仕事をするということに対して、親が分かるくらいになりたいとは思いましたね。――その後、MySpaceを始めたきっかけは?
たむらぱん:その大学4年の就職活動によって、今のマネージャーをやっている人なんですけど、お世話になる所は見つかったんですよ。でも今、6年目になるんですけど、ずっとインディーズでやっていて、もう表現する場所が無かったんですよね。段々と年も取ってくるし、色んな意味で「あとが無いな」という感じで。その時にMySpace Japanが出来るというのをマネージャーが聞きつけて結構、音楽に特化しているというのを聞いて、「じゃあ、やってみろよ!」と丸投げされたんですよね(笑)。――それまでインターネットは使用していたんですか?
たむらぱん:皆無だったんですよ!卒論も人に打ってもらったぐらいパソコンからもう全くで。まず家に工事に入ってもらって、ネットを繋いで、パソコンを手にして、電源入れて…、みたいな所から始めましたよ。――パソコン歴は?
たむらぱん:MySpaceを始めた時なので、今1年ちょっとですかね。――その後、すっかり上達しましたか?
たむらぱん:いやぁー。でも、「ありがとうございます」とかメチャメチャ早く打てるようになって(笑)。――よく使う言葉は自然とね。
たむらぱん:でも、本当にMySpaceはちゃんとやったんですよ!ページデザインもできるようになっているんですけど、そういうのすら分からなかったですから。「HTMLっていうんですか?っていうか、何だよ!」みたいな、「CSS?C-C-BとBCGなら知ってるけど」みたいな感じでしたよ(笑)。でも、色々と本とかを調べて、最近ではびっくりするぐらい、そういうのもある程度分かるようになりましたね。よく「簡単に作れますよサイト」みたいなのがあるじゃないですか。MySpaceが出来た頃ってまだ、そういうサイト自体が全部英語だったから、大変でしたよ…。――翻訳サイトで直訳して解読したり。
たむらぱん:ほとんど、勘ですけどね。「多分、ここを押せってことだな」みたいな感じで、やっていましたね(笑)。