「がんのことが大っ嫌い!」ワッキー中咽頭がん発覚から4年も味覚が戻らず「なに食べてもまずい」
2020年にがんを宣告されたお笑いコンビ「ペナルティ」のワッキー。仕事もプライベートも充実、働き盛りのときに突然襲ってきた病魔をどう乗り越え、治療に臨んだのか。今も後遺症が残っているというワッキーに、当時の闘病生活や現在の状況を聞いた。
「喉の左側にしこりを見つけまして。放っておいたらそれが1週間で2個に増えていて、これはおかしいと」
ヨーグルトは泥を食べている感覚
そう話すのは2020年の春に中咽頭がんを患った、お笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん。スポーツマンで知られており、健康にも気を使っていた。しかし大学病院の医師から告げられたのは、まさかのがん。それも当初は原発不明がんだった。
「首のしこりはがんなんですけど、お店で例えるならそれは支店で、がんの本店である“原発”が見つからない。喉の奥の組織を調べたり、PET検査もして1か月ほどかけてもわからず、原発不明がんと診断されました」
妻と相談し、セカンドオピニオンを受けることに。
「主治医の先生はとても協力的で、すぐにがん専門病院の先生を紹介してくれたんです。ただそこでも原発が見つからず、首の組織を切除するしかないと。手術の日取りも決まったのですが、術前の最後の診察で、先生が“何かここが気になるんだよな……”と人さし指で喉の奥をぐりぐり触るんですよ。
もう一度だけ検査しようと喉の深くまでえぐり取り、そこでやっと中咽頭がんが見つかりました。最新の医療技術でもわからなかったことを、先生の経験や勘、愛情でギリギリのタイミングで見つけてくれてすごいと思ったし、紹介してくれた大学病院の主治医にも、すべてのめぐり合わせに感謝しましたね」
ワッキーさんが患った中咽頭がんは、化学放射線療法と相性が良かった。そのため切除手術は選択せず、抗がん剤治療を3回と放射線治療を30数回行うため、6月から2か月の入院生活。そして化学放射線療法の副作用が徐々に身体を蝕んでいく。
「何を食べても良かったので、お気に入りのみそラーメンをよく食べていたんです。でも10日ほど過ぎたころ、急に味がわからなくなって。ヨーグルトなんて泥を食べている感覚で、そのうち気分も落ち込んで……。放射線を浴びると喉が痛くなり、ごはんも食べられなくなりました」
味覚は5割しか戻っていない
抗がん剤を打つたびに副作用が酷くなったが、闘病中も“笑い”が支えになった。
「2回目を打ってからゲロゲロ吐いちゃって、何もできないし動けない。3回目が本当にキツくて、夜通し吐いて眠れない日々が続いて。そんなときに、心の底から笑いたいって思ったんですよね。
後輩の、もう中学生に突然電話して“もう君、新曲できたらしいじゃん”とむちゃ振りすると即興で歌ってくれたんです。それがめちゃくちゃ面白くてゲラゲラ笑っていたら、不思議とその間だけは身体がキツくないんですよ! 身をもって笑いの力を感じました」
サッカーを通じた縁にも励まされた。
「仲のいい槙野智章が音頭をとって、J1のほとんどのチームが参加した、激励の動画を送ってくれたんです。三浦知良選手の“ワッキーさん!”という呼びかけから始まり、最後にイニエスタ選手が“ジョッキーさん! ガンバッテ!”と。名前を間違えられるという最高なオチで締められていました(笑)」
家族や芸人仲間、ファンの存在も支えになり、翌年3月には念願だった劇場復帰を果たす。しかし予想以上の後遺症が待ち受けていた。
「後遺症は個人差がありますが、僕は色濃く残ってしまったほう。退院して4年たつけど味覚は5割しか戻らないし、唾液は普通の人と比べて3割しか出ないんですよ。大好きだった長距離ランも喉の渇きと体力の低下でまったくできない。
何を食べてもうまいと思えないし、好きだったラーメンも違う味に感じたり。お医者さんいわく味覚が今より落ちることはなくても、5割のままがずっと続くかもしれないし、100%元に戻ることもないそうです」
後遺症のため一時は再び休養に入った。精神的に落ち込む日々もあったが、現在は新たな芸風を模索中だ。
「今までは元気な人間だったけど、身体が100%戻ることはないから正直弱気ではあります。でも芸歴を重ねて年も取って、キャラクターを変えていこうとも思っていたので、今は“おじさんワッキー”を模索中。
僕、ぶっちゃけがんのこと大っ嫌いなんですよ。はっきりした予防法がほぼない病気だからこそ、検査だけは早期発見のためにしっかり受けるけれど、必要以上にびくびくしながら生きるのは、もったいないと思ってます」
「ペナルティ」ワッキー●1972年生まれ、北海道出身のお笑い芸人。高校・大学のサッカー部の先輩だったヒデに誘われ、1994年にお笑いコンビ・ペナルティを結成。筋肉芸人としても知られ、「お笑い界一」と称されたこともあるほどの身体能力の持ち主で、テレビや舞台で活躍。
取材・文/植田沙羅