安倍晋三が「予見」していた、「野田佳彦」に”決定的に欠けている資質”の「意外な中身」…!

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自民党総裁選の裏側で立憲民主党の代表選の投開票が9月23日行われ、4人の候補の中から野田佳彦元首相が選ばれた。党勢を立て直し、裏金問題に揺れる自民党をさらに追い込むことはできるのか。その手腕が注目される野田氏に、かつて一定の評価を与えていた政治家がいた。

安倍晋三元首相だ。

しかし、それは「一定」という条件付きであり、本質的な評価は辛かった。実際、産経新聞の阿比留瑠比論説委員が手掛けた話題の書『安倍晋三“最後の肉声”』(産経新聞出版)では安倍氏独特の視点から野田氏の“実力”を赤裸々に診断していて、興味が尽きない。安倍氏から見て、野田氏に決定的に足りなかった政治家の資質とは何だったのか――。同書の一部抜粋・再構成でお届けする。

「A級戦犯」認識で相通じる安倍氏と野田氏

第1次安倍内閣発足間もない2006年11月、安倍氏は野田氏の歴史認識とは相通じるものがあると感じ取った。

当時、安倍氏は国会で、東京裁判で裁かれたいわゆる「A級戦犯」について「国内法的に、戦争犯罪人ではない」と答弁し、「戦争犯罪人だという認識がある」と述べていた小泉純一郎前首相の見解を修正した。これに対し、民主党の岡田克也元代表(現・立憲民主党幹事長)が反論し、論戦となっていた。

この問題に関しては、野田氏は自身のホームページで「『A級戦犯』と呼ばれる人たちはもはや戦争犯罪人ではない」と主張し、次のように記していた。岡田氏よりもはるかに安倍氏の見解に近い。

「刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消失するというのが近代法の理念である。(中略)既に『A級戦犯』として絞首刑になっている7人の人々も同様に解するのが自然だ」

「腹の中で抱えているだけではダメだ」

それから5年後の11年8月の菅直人内閣末期ごろ、安倍氏は財務相を務めていた野田氏と行き会った際に真摯に語りかけた。

「あなたは歴史認識などでまともな考えを持っているかもしれないが、腹の中で抱えているだけではダメだ。政治家だったら、それを現実社会で生かさなければならない」

野田氏は「実現できる力がついたら是非やります」と答えたが、菅直人内閣の後を襲って野田内閣を発足させても、ついにそんな日はこなかった。

韓国側からは謝意の一つもなく

安倍氏はその前年の10年8月に、菅内閣が日韓併合100年にあたり、韓国に「痛切な反省と心からのお詫び」を表明し、朝鮮半島由来の古文書『朝鮮王室儀軌』を引き渡すとした「首相談話」を発表した際には、こう語っていた。

「何が菅談話だよ、全くばかばかしい」

安倍氏は談話の閣議決定に、野田氏が閣僚として抵抗したものの仙谷由人官房長官に説得されて受け入れたことを承知しており、菅氏の次の民主党政権の首相に野田氏が就いた場合についてこう語ってもいた。

「野田氏が首相になったら、中途半端にまともなだけに攻めにくいな」

だが、安倍氏の予想通り首相となった野田氏は、皮肉にも菅内閣時の約束に従い『朝鮮王室儀軌』を訪韓して引き渡す役割を担った。筆者はこの訪韓に同行したが、本来は相手に渡す必要のない古文書の一部を持参した野田氏に対し、韓国側からは謝意の一つも表されなかった。かえって、古文書の存在が韓国側で注目されることで、新たな反日の種をまいただけだった。

安倍氏は、韓国や中国への歴史問題での安易な歩み寄りや譲歩は逆に足元を見られるだけだと理解していた。一方、首相就任時から「外交は苦手だ」と漏らしていた野田氏は周囲に引きずられたのだといえる。

「実現できる力がついたら」と述べた野田氏には、その環境も経験も与えられなかったのだろう。端的にいえば力不足である。安倍氏とは政治家として持って生まれた「運命」が全く異なっていた。

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