江戸出版界の風雲児!2025年NHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎は流行の仕掛人だった!

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江戸の出版界を牽引する

2025年1月5日から放送予定のNHK大河ドラマ第64作『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主人公である蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)が登場した当時は、どんな時代だったのでしょうか。

蔦屋重三郎の肖像画。版元として出版物に登場することもあった(Wikipedia)

彼は安永から寛政にかけて江戸出版界をリードし、数々の黄表紙や洒落本をヒットさせた上に狂歌本も大流行させました。

さらには錦絵で新境地を生み出しており、彼は江戸出版界の風雲児と言っても過言ではない存在でした。その類い稀な手腕はどうやって磨かれ、どう育まれたのでしょうか。

蔦屋重三郎が登場する前、将軍の御膝元である江戸はすでに百万都市へと成長し、国内の政治・経済及び文化を牽引する都市として繁栄を遂げていました。

そうした流れのなか、泰平の世を謳歌する江戸っ子たちの文化的欲求を満たそうと、出版界も活況を呈します。

江戸の出版界の歩みを紐解くと、経済や文化面で江戸が上方に後れを取っていたことを受け、江戸中期以前は出版界も上方が江戸を完全にリードしていました。

江戸の書物問屋のほとんどが上方資本を背景に設立された本屋、もしくは上方の本屋の出店だったことはその象徴だと言えるでしょう。

娯楽要素が強い「地本」の力

書物問屋は上方で出版された本(下り本といいます)を売り捌く傍ら、江戸で専門書や学術書を出版しており、版元としての顔も持っていました。

そんな「お堅い」内容の出版物を扱う書物問屋は書物屋とも呼ばれましたが、その代表格といえば須原屋茂兵衛でしょう。須原屋は当時のロングセラーだった大名や旗本の名鑑である武鑑をほぼ独占していました。

ところが、江戸が百万都市となった江戸中期に入ると、需要の拡大が追い風となって江戸の出版業は急成長を遂げます。そしてついには、上方での出版点数を凌駕するまでになりました。

この急成長を牽引したのは草双紙(絵入りの娯楽読み物)、浄瑠璃本、絵本、あるいは浮世絵など一枚刷りの出版物の増加ですが、これらは江戸生まれの出版物、つまり地物という意味で「地本」と呼ばれるようになります。

浮世絵で有名な葛飾北斎の石像

そんな地本を取り扱った問屋は地本間屋(地本屋)と呼ばれ、書物問屋と同じく版元としての顔も持っていました。

書物問屋と比べると大衆的な出版物を扱う地本問屋で代表的なものとしては、鶴屋喜右衛門が挙げられます。元を正せば京都の鶴屋の出店である書物問屋でしたが、後に独立して江戸有数の地本問屋としての顔も持つようになりました。

幕府による統制

出版物の増加を受けて、幕府は社会に及ぼす影響力に懸念を示すようになります。そして統制をはかりますが、画期となったのは大岡忠相が町奉行を勤めた享保の改革の時代です。

大岡忠相像、国立国会図書館蔵(Wikipediaより)

享保6年(1721)8月、江戸の書物問屋に同業者組合である問屋仲間を結成させ、翌7年11月には出版統制令を発しました。

書物問屋仲間によって、幕府の忌諱に触れる内容(異説を唱える、徳川家について触れるなど)を出版・流通させないよう目論んだのです。

しかし、この段階では地本間屋に問屋仲間の結成を命じることはありませんでした。

そのため、地本問屋が扱う出版物はいわば野放し状態となり、大衆向けの地本の出版は非常に盛んとなったのです。そうしたなか、江戸の出版界に登場したのが蔦屋重三郎だったのでした。

江戸の大衆文化が花開き、一方で出版統制の足音がすぐそこまで迫っていた時代。この二つの時代の波の狭間で、蔦屋重三郎は活躍したのです。

参考資料:『蔦屋重三郎とは何者なのか?』2023年12月号増刊、ABCアーク
画像:photoAC,Wikipedia