「呼べないなら賞はいりません」…中田カウスが「伝説のストリッパー」を漫才の授賞式にどうしても招待したかった納得のワケ

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。そんな人生を歩んだ彼女を人気漫才師中田カウス・ボタンのカウスが「今あるのは彼女のおかげ」とまで慕うのはいったいなぜか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第9回

男たちが自分で股間をまさぐり始める…伝説の踊り子が客たちを手玉に取って「復讐」したかったワケ』より続く

徐々に人気の出るカウス

カウスはストリップ劇場での修業を約3ヵ月で終えた。徐々に他の仕事が入りはじめた。温泉、スナックの開店祝い、ヤクザの事始め式や出所祝い。依頼があれば、どんなところでも出掛けて漫才を披露した。

そしてデビューから2年後の69年、吉本興業の所属となる。すぐ上にはコメディ

No.1(67年結成)や横山やすし・西川きよし(66年結成)がいた。

梅田や難波の劇場に来る客は当時、年配者ばかりだった。落語の影響からか、ゆっくりとしたやりとりをのんびりと聞くのが漫才だった。

カウスはこの状況を変えたかった。このままでは若者に届かない。客層を広げるには、どうすべきだろうか。カウスは中学を卒業してすぐ大阪に出てきたため、高校生や大学生の気持ちがわからない。劇場の近くを通りかかる若者に声を掛けては、一緒に喫茶店でお茶を飲み、ネタを聴いてもらった。そこで受けたところをチェックして、若者が笑ったギャグだけをつなぎ合わせてネタを作った。

するとテンポが早くなる。面白いネタのダイジェスト版である。

出囃子の伝統をぶっ壊した

外見にも気を配った。イメージを変えようとTシャツを着てジーパン、スニーカーをはき、髪を伸ばした。出囃子も3味線による「ちゃかちゃんりん」から現代風音楽に変えようと、劇場の音響担当(ミキサー)と交渉している。

「出囃子を変えようと思います」

「何にすんねん」

「ビートルズです」

「なんやそれ?」

「イギリスのバンドです」

「バンド?横山ホットブラザーズやったら知っているけど」

「いや、ラーララララーってやつです」

「なに?そんなんかけられへん。出囃子には伝統があるから」

劇場に断られたカウスは吉本興業に頼み込んで、ビートルズの出囃子を認めてもらった。カウス・ボタンによって古臭い漫才のイメージは変わった。漫才史上初のアイドル・コンビとなった。彼らの出演する劇場には若い客が列を作り、周辺の商店から劇場に苦情が来たほどだ。

「一条さゆりさんを呼びたい」

ラジオやテレビの出演も増え、ファン層は広がった。コンビ結成から4年、吉本興業所属になって2年の71年2月、上方漫才大賞新人賞に決まり、売れっ子漫才師としての地位を不動のものにする。

クラブ関西(大阪市北区)で2月23日に開かれた審査会(委員長は大阪教育大学教授の前田勇)で受賞が決定し、3月初めに発表された。授賞式は3月26日、サンケイホール(北区)で予定されていた。

その式について主催者から、「世話になった人を呼んではどうか」と提案され、カウスは「一条さゆりさんを呼びたい」と答えた。

「えっ?誰ですか?まさかあの一条さゆりじゃないでしょう」

驚く主催者に、カウスはなんとしてもストリップの一条を呼びたいと繰り返した。

上方漫才大賞は66年にラジオ大阪(OBC)が作った賞で、NHK上方漫才コンテストよりも歴史が古く、漫才を対象としたなかでは最も伝統のある賞である。カウス・ボタンはアイドル路線で売り出している。その授賞式にストリッパーはそぐわないと主催者側は考えた。しぶる主催者にカウスは言った。

「じゃあ、この賞はいりません。世話になったのは一条さんなんです。僕たちが今あるのはあの人のお陰なんです」

「それはわかるけど、ストリッパーが出てきたら、お客さんが引くんやないか」

「引かないようにしますから、なんとかお願いします」

一条は午後1時半からの授賞式に来てくれた。客が引かないよう、カウスは知人を20人ほど集め、客席の前列に座ってもらった。

「この賞は姉さんのお陰でもらえたようなもんです」

カウスが言うと、知人が一斉に拍手をし、それは会場全体に広がった。一条も楽しそうだった。カウスはちょっとだけ恩返しができたかなと思った。

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