『虎に翼』が示した、「若者世代」に対する「大人世代」の「理想の態度」とは

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『虎に翼』振り返り日記:第24週「女三人あれば身代が潰れる?」

X(旧Twitter)に日々投稿する『虎に翼』に対する感想がドラマ好きのあいだで人気のライター・福田フクスケさん(@f_fukusuke)。毎週末にその週の内容を振り返る連載「『虎に翼』振り返り日記」では、週を通して見えたものを福田さんが考察と共に伝える。

佐田寅子(伊藤沙莉)の子供たちの世代が、自立してそれぞれの道へ進む一方で、未成年による凶悪犯罪や学生運動といった“若者たちの反抗と暴走”が並行して描かれた今週。

そんな若者たちの姿は、かつての寅子たちが歩んできた道でもある。果たして大人は、彼らにどんな範を示し、寄り添うことができるのだろうか。

反復される時代のなか、世代を超えて継承されるものを描いた第24週を振り返っていく。

若者たちの反抗は、大人たちの「いつかきた道」

結婚して横浜家裁で判事補をしている猪爪直人(青山凌大)、サックス奏者として全国を飛び回る直治(今井悠貴)、最高裁の事務総局で働く星朋一(井上祐貴)、銀行勤めののどか(尾碕真花)、大学院で寄生虫の研究をする佐田優未(川床明日香)……。

第24週は、寅子の子供たちの世代がそれぞれの道へ進み、社会の中心に台頭し始める“世代交代”が示された。

と同時に、未成年による凶悪犯罪、日米安保改定やベトナム戦争へのデモが徐々に激化する中で起きた安田講堂事件などを描くことで、若者たちによる「社会や大人への怒り、失望」が強調される展開も目立った。

かつて穂高重親(小林薫)が「君もいつかは古くなる」と言ったように、大人たちがいかに次の世代へバトンを渡すかを問いかけるような週だったのではないか

例えば、学生運動に身を投じ、朝鮮人である出自を隠していた母の崔香淑/汐見香子(ハ・ヨンス)のことを責める娘・汐見薫(池田朱那)は、「社会や大人への怒り、失望」を抱える若者の代表だ。

本名を捨てて日本人として生きてきた香子のことを、薫は「安全な場所に、加害者側に立って今までずっと見て見ぬふりしてきた」と断罪する。香子にとってそれは、自分や子供を守るためのやむにやまれぬ決死の覚悟だったはずだが、次世代の薫にとっては浅慮で不誠実な誤った判断に見えてしまったのだろう。

いつか轟太一(戸塚純貴)が「人間なんてそんなもんだ。今振り返ってみればの連続。過ぎてからわかることばかりだ」と語ったように、人生は「そのときはそうするしかなかった」の連続である。しかし、それが時に世代間のわかり合えなさや分断を生んでしまうから難しい。

だが、薫が安田講堂事件に参加したことに対して、香子が「もし私やトラちゃんが今学生だったら、同じ行動をとった気がするの。暴力はいけない。でも声を上げた記憶は自分の芯になる」と語ったのは、一筋の希望のようなセリフだと思った。

人は、大人になり年長者になるにつれ、若い頃に抱いていた「社会や大人への怒り、失望」を忘れてしまう。しかしその怒りは、自分たちがかつて歩んできた「いつかきた道」でもあるのだ。

それを無碍に否定するのではなく、「今若者だったら、自分もそうしていたかもしれない」と寄り添うことが、大人たちにできることなのかもしれない。

「声を上げる姿」を後進に見せるのが大人の責任

他にも今週は、寅子の子供たち世代が、「社会や大人への怒り、失望」を抱え、理不尽に対して反抗するさまが繰り返し描かれた。

そのどれもが、寅子たちにとって「いつかきた道」であり、「今若者だったら、自分もそうしていたかもしれない」姿ではなかっただろうか。

仙台の裁判所職員が日米安保反対の集会を開いたことに有罪判決が確定したことをめぐって、父の星航一(岡田将生)と言い争いになる朋一。

「裁判官は政治的に偏ってはいけない」とする航一に対して、「裁判官だって人間。何も物申してはいけないなんておかしい」と主張する朋一の姿は、かつての寅子を彷彿させる。寅子がもし今の朋一と同じ年代だったら、同じように「はて?」と判決に異を唱えただろう。

おぞましい虐待を重ねてきた父親を自ら手にかけ、「一人で逃げたのはお母さんでしょ」と母親との関係にも一線を引く斧ヶ岳美位子(石橋菜津美)。

かつて姉とともに身を売られ、家族も故郷も女であることも捨てて法律を武器に一人で生きていくことを決めた山田よね(土居志央梨)は、美位子の境遇に自分と似たものを感じたかもしれない。

あんたたちが何もしてこなかったから俺たちが行動し、変革するしかないんだ。そんなところにのうのうと座って社会に対して高みの見物を決め込む己を自己批判しろ!」と地裁の裁判官をアジる学生。

彼もまた、世が世ならあり得たかもしれない寅子たちの姿のように見える。

そんな彼らに対して、寅子たち大人は何ができるだろうか。

「女性は資質的に裁判官としての適格に欠ける」という差別的な発言に対して、寅子が招集した女性法曹の会は団結して抗議の声を上げた。

「時代が進んでも何も変わっていない」状況に責任を痛感し、一歩一歩声を上げてもがいていく姿を見せたのだ。

また、よねと轟は、尊属殺人の重罰規定が憲法違反であるか否かを争い、美位子の減刑を勝ち取った。

かつて穂高が大勢に抗って「違憲である」と上げた声は、決して消えることなく、20年の時を経てよねと轟に受け継がれたのだ。

最高裁長官に任命された桂場等一郎(松山ケンイチ)は、報道陣の前で次のように語っている。

「社会の変化は激しく、若い人たちがいろいろと騒いでいる。しかし裁判官は、激流の中に毅然と立つ巌のような姿勢で、裁判の独立を脅かす者に立ち向かい、国民の信頼を仰がなければならない」

次世代の子供たちが主役になっていく社会の中で、大人が示すべきは「激流の中に毅然と立つ」姿であり、大人にできることは自分たちが生きてきた道筋、もがいてきた足跡を後進に残すことしかないのかもしれない

どんな大人も、かつては社会や大人に理不尽を感じていた子供であり、若者だった。その気持ちを忘れずに人と人として彼らと向き合い、次世代へバトンを繋ぐことが、非行少年の更生にもつながる

多岐川幸四郎(滝藤賢一)が最後の力を振り絞って言いたかったのも、そういうことだったのではないだろうか。

そんな寅子たちの姿は、単純に成人年齢を引き下げ、少年たちへの刑罰を強化すればいいと考える少年法改正派の政治家たちの姿勢とは、真逆のものだろう。

寅子が「諦める」ことを尊重した意味

今週はもう一つ、本作を通底する大事な“バトンの継承”が描かれていた。

大学院での寄生虫の研究をやめようとする優未の意思を尊重し、「優未、あなたが進む道は地獄かもしれない。それでも、進む覚悟はあるのね?」と問いかける寅子。

このセリフには聞き覚えがある。第1週でどうしても法律を学びたいと懇願する寅子に、母・猪爪はる(石田ゆり子)がかけた「それでも本気で、地獄を見る覚悟はあるの?」というセリフのリフレインである。

ただし、あのときは法律の道を「諦めない」ことに対する言葉だったのに対して、今回は優未が研究の道を「諦める」ことに対する言葉であることに注目したい

寅子は、「私は優未が自分で選んだ道を生きてほしい」と語る。大切なのは、夢を諦めるか諦めないかではなく、どの地獄へ進むにしても、それが「自分で選んだ道」であるかどうかなのだ。

これは、はるの思いを受け継ぐ言葉であると同時に、第8週で前夫・佐田優三(仲野太賀)が遺した言葉の変奏であることにも気付かされる。

すなわち、「トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです。(中略)僕の大好きな、あの何かに無我夢中になってるときのトラちゃんの顔をして、何かに頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張らなくてもいい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやりきってくれること。それが僕の望みです」という、あのセリフだ。

「自分の目がキラキラしてる想像がつかない」から研究の道を諦めたい、と決めた優未は、このままでは自分の納得した人生をやりきれない、と判断したのだろう。

駄目押しのように、のどかもまた「たとえ傷ついたとしても、やっぱり自分の一番で生きた方がいいんだよ」「自分の人生を、自分のためにだけ使いたい」と言って、世間的には心配しかなさそうな吉川誠也(松澤匠)との結婚を決める。

はるから寅子へ、そして優三から寅子へ渡されたバトンは、しっかりと子供たちに受け継がれていたのである。

『虎に翼』の「優未のキック」は必要だった?「原爆裁判」と並行して描かれた意味