(写真:© 2024 Bloomberg Finance LP)

バイデン米大統領は、6月に行われたトランプ前大統領との討論会での精彩を欠いた言動に端を発し、その年齢による衰えが不安視されています。

11月に大統領選挙を控える中、バイデンはインフレ対策や不法移民問題への対応も不人気なことに加え、対ハマス戦争でのイスラエル支援で、左派の若者や激戦州の勝敗を左右しかねないアラブ系など支持層から批判を浴び続けています。

2023年10月に起こったハマスによる大規模テロ以降、バイデン政権はこの問題にどのような姿勢をとってきたのか。共同通信エルサレム、ニューヨーク支局長などを歴任した、アメリカ・イスラエル関係と宗教の研究者・船津靖氏の新刊『聖書の同盟 アメリカはなぜユダヤ国家を支援するのか』より、一部抜粋、再構成してお届けします。

イスラエルとサウジの接近

2021年1月20日、トランプから政権を奪還した民主党のバイデン大統領が就任しました。ネタニヤフは就任当日に歓迎声明を出しましたが、バイデンが電話会談に応じたのは2月17日。トランプと打って変わって距離を置きました。オバマ政権で副大統領だったバイデンは入植地やイラン核問題でネタニヤフに煮え湯をのまされてきました。

ネタニヤフは国内の難局打開のためにも「アブラハム合意」の最終目標である、サウジアラビアとの歴史的な国交樹立合意を達成しようとしました。サウジの実力者ムハンマド皇太子は、イスラエルと国交を開く見返りに、アメリカからの安全保障や原発建設への協力を求めました。

バイデン政権は、米大使館エルサレム移転、ゴラン高原主権承認、アブラハム合意などトランプの親イスラエル政策を踏襲し、イスラエルの対サウジ国交樹立交渉を支援しました。成功すれば翌年の米大統領選挙に向けた大きな得点になります。

2023年10月はじめ、イスラエルの閣僚が相次いでサウジを訪問し、外交関係樹立が近いとの観測が強まりました。ハマスのイスラエル奇襲攻撃が起きたのはその直後です。ネタニヤフは、起死回生を狙ったハマスの奇襲攻撃に完全に虚を突かれました。

空前の大規模テロ

ガザ地区を支配するイスラム主義組織ハマスは2023年10月7日、ガザに隣接するイスラエル南部の軍基地や若者の野外音楽祭、農村共同体(キブツ)を奇襲攻撃し、約1200人(うち市民約760人以上)を殺害しました。
女性や乳幼児、高齢者、タイ人など外国人も無差別に殺害。約250人を人質に取ってガザに連行し地下トンネル内に監禁しました。ハマスは世界の注目を集め、一気に存在感を高めました。

第四次中東戦争の奇襲攻撃との類似性を指摘する報道がありました。しかしエジプトとシリアの両国軍が1973年に攻撃したのはイスラエルの国軍です。一般住民ではありません。

民間人の無差別大量殺人は「テロ」です。「ネコはネコと呼べ(Call a cat a cat.)ということわざがあります。ネコはトラでもネズミでもなくネコ。市民の虐殺は「英雄的行為」ではなくテロです。「植民地解放」といった「目的」がテロという「手段」を正当化することはできません。国際人道法は「戦争への正義」である開戦原因の是非と別に、戦争の手段・方法の合法性を厳しく問います。文民と戦闘員の区別は「戦争における正義」の有無を判断する際の最も重要な基準です。


(画像:『聖書の同盟 アメリカはなぜユダヤ国家を支援するのか』より)

大規模な報復攻撃に出れば、ガザの住民が犠牲になるのは確実でした。国際社会の反イスラエル感情をかきたてたいハマスの罠にはまります。人質解放を優先し、2011年の先例にならってパレスチナ人服役囚の全員釈放を求める声も上がりました。

ネタニヤフは「ハマス壊滅」を掲げて直ちにガザを激しく空爆し、やがて地上部隊を侵攻させました。学校や病院もハマスが軍事利用していると主張し、容赦なく攻撃しました。ガザ住民約220万人のうち約170万人が家を追われ南部に逃れました。住民の死者が恐ろしい勢いで増え続け、2024年5月下旬、パレスチナ保健省の発表で3万6000人を超えました。

世界のイスラム教徒約19億人はパレスチナに同情的です。「グローバルサウス」と呼ばれる諸国の多くはインドを除き、大半がパレスチナ寄りです。「国際世論」ではイスラエルとアメリカは多勢に無勢です。多くの女性や乳幼児まで犠牲になる事態に、当初はイスラエルに同情的だった欧米の世論も変化しました。

米大学で若者がイスラエルとバイデンに抗議

バイデン米大統領はハマスの大規模テロに対するイスラエルの「自衛権行使」を容認し、武器、弾薬を大量に供給しました。事件後すぐイスラエルを訪問しました。バイデンがネタニヤフとハグした映像を見て勘違いした人もいたようです。ふたりは犬猿の仲です。バイデンは耳元で「ここまでしてやってるんだから、少しはオレのいうことを聞けよ!」とささやいたかもしれません。

バイデン政権は当初からガザの民間人犠牲者の増大を心配していました。ハマスが立てこもる地下トンネルの規模と精巧さから、ネタニヤフが掲げる「壊滅」の困難さを見通していました。イスラエルに軍の大半をガザから撤退させ、標的を絞った精密攻撃主体に移行するよう働きかけていました。ネタニヤフは聴く耳を持ちませんでした。

ハマス戦闘員だけではなく一般住民の犠牲者が急増するにつれ、民主党リベラル派からバイデンへの批判が強まっていきます。

2024年春、ユダヤ系の多いニューヨークのコロンビア大学をはじめ全米各地の大学で、イスラエル軍のガザ攻撃やバイデンの武器支援、大学の兵器産業への投資などに対する抗議行動が激しくなりました。ユダヤ人学生の一部も参加しました。イスラエル消滅を意味する「(ヨルダン)川から(地中)海まで」の「パレスチナ解放」を叫ぶ学生が目立ち、ハマス戦闘員の格好をする若者も現れました。指導的な活動家が「シオニスト(ユダヤ民族主義者)は生きるに値しない」とSNSに投稿し、謝罪に追い込まれました。

ユダヤ系の学生の大半は「なぜハマスのテロを批判しない」「怖くて大学へいけない」「ユダヤ人だけオンライン授業なのはおかしい」「われわれが白人だから差別してもよいのか」と反発しました。抗議の学生が学内の施設を占拠し、大学当局が警官隊に排除を要請する事態も起きました。

ネタニヤフとハマスの共倒れ望むバイデン

バイデン大統領は、ネタニヤフ首相の苛烈なガザ攻撃を止めないと、民主党の左派にたたかれ続けます。でもパレスチナ支持の左に寄り過ぎると、今度は中道派が離反し、本選挙でトランプに負けてしまいます。股裂き状態です。急進派と穏健派、理想主義者と現実主義者が対立するリベラル陣営の一種の宿痾(しゅくあ)です。

バイデンはネタニヤフに自制や一時停戦を繰り返し求めました。でも安全保障問題では米大統領の要請でも容易に受け入れないのがベギン、シャロン以来、イスラエル右派首相の流儀です。戦争が終われば、ネタニヤフはハマスの攻撃を防げなかった責任を問われます。収賄などで起訴された刑事裁判で有罪となり、収監される恐れもあります。

戦争が続けば、戦時内閣の首相を変えるのは簡単ではありません。連立内閣を維持するにはベングビール国家治安相のような極右閣僚を重視せざるをえません。極右入植者は、シャロン首相が2005年に入植地と軍事基地を撤去したガザに再入植する機会をうかがっています。

バイデン政権や欧州連合(EU)、穏健アラブ諸国、日本を含む国際社会は2国家共存案による和平を支持してきました。西岸のパレスチナ自治政府が、ガザの統治を回復してパレスチナが再びひとつになれば、希望も見えてきます。それはパレスチナ国家の独立阻止を政治的使命とするネタニヤフや右派にとって悪夢です。

ネタニヤフは「ガザ戦争後」のプランを語るのを徹底的に避けてきました。窮地に陥ったら時間稼ぎをするのが常套手段。ネタニヤフはトランプ在任中、蜜月関係を売り物にしていました。トランプは退任後、関係が必ずしも良好でなかったことを暴露しました。特にトランプが根拠なく「不正」だと言い続ける2020年大統領選挙後、当選したバイデンにネタニヤフが祝意を伝えたことを子供っぽく根に持ち続けています。それでもネタニヤフは、トランプが次期米大統領になる方が、死中に活を求められるチャンスがあります。ネタニヤフはそれを待ち、粘り抜くつもりでいるようです。

バイデン政権にとっては、過去30年間も和平交渉の妨害で暗黙の共棲関係にあったネタニヤフとハマスが、共倒れしてくれると好都合です。しかしイスラエル右派もハマスも多くの熱烈な支持者に支えられるしぶとい組織。消え去ることはありません。

バイデン政権は「戦後」のガザで、穏健アラブ諸国を中心とする国際部隊が治安維持に当たり、パレスチナ自治政府が民生部門を手始めに、徐々に体制を整え力量を上げていく構想を描いているようです。


1996年3月3日、エルサレム・ヤッフォ通りでハマスに爆破されたバス(撮影:船津知美)

バイデンの武器支援停止発言

バイデンは、インフレや不法移民問題が不人気なうえ、再選されれば任期末に86歳になる高齢がネック。対ハマス戦争でのイスラエル支援で左派の若者など支持層から批判を浴びています。

トランプは異例の親イスラエル、パレスチナ冷遇政策をとりました。結果を重視するなら、不満があっても「より悪くない」バイデンに投票する選択になりますが、理想主義的な若者は自分の「心情の倫理」(M・ウェーバー)の純粋性を重視します。バイデンの足を引っ張り、強硬派の共和党というトンビに油揚げをさらわれる事態は考えられます。

バイデン米大統領は2024年5月上旬、イスラエル軍がガザ南部ラファに侵攻すればそのための「武器を供与しない」と述べ、人口密集地での軍事作戦は支援しない方針をネタニヤフ首相に伝えました。武器供与は同盟の要です。ネタニヤフは翌日、「国際社会からの圧力で自衛をやめることはない」「必要があれば単独で戦う」と返し、トランプ前大統領は「バイデンはイスラエルを見捨てた」と批判しました。

ネタニヤフ政権のようなユダヤ教極右に支えられる連立政権が長く続くと、国際法や国際協調を重視する民主党の大統領との対立が続き、同盟の軋みは大きくなっていきそうです。
トランプ再登板なら、左派の批判を気にする必要はありません。イランの脅威、対サウジ接近を軸に、右派政権の強硬策も容認しそうです。

国際刑事裁判所がイスラエル首相、ハマス幹部に逮捕状請求

国際刑事裁判所(ICC、ハーグ、赤根智子所長)のカーン主任検察官は5月20日、戦争犯罪と人道に対する罪の容疑で、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相、イスラム主義組織ハマスの幹部3人の逮捕状を請求しました。

首相と国防相には「戦闘の手段に市民の飢餓を使用」「意図的に市民を攻撃し殺害」を容疑事実に挙げ、人道支援物資の遮断で食料・水・燃料・医薬品など「生存に欠かせない物資」を奪って死亡させた容疑なども挙げました。

逮捕状を請求されたハマス幹部は、ガザ地区の指導者ヤヒヤ・シンワル、軍事部門カッサム旅団のモハメド・デイフ司令官、カタール在住の政治部門指導者イスマイル・ハニヤ。容疑は2023年10月7日の越境攻撃によるイスラエル市民ら「数百人の殺害、根絶」「245人以上の人質拘束」「レイプなどの性暴力、拷問、残酷な扱い」とされ、人質への性暴力なども挙げました。

逮捕状請求と同時に、著名な国際法専門家8人の委員会が、容疑事実を「信じるに足る合理的な根拠がある」と認定した報告書を発表しました。日本の報道ではハマスの「性暴力」に触れない記事もありましたが、報告書は時系列で先んじるハマスの犯罪から始め、双方の刑事責任を同様に追及しています。

委員の一人で米人気俳優ジョージ・クルーニーの妻としても知られるレバノン生まれのアマル・クルーニー弁護士は、「戦時下における民間人保護の法は100年以上前に制定され、紛争の理由にかかわらず世界のあらゆる国に適用される」とのコメントを発表し、法の適用を受けない戦闘や超法規的な犯罪者があってはならないと強調しました。

日本はICCへの最大の拠出国


イスラエルでは「テロ組織ハマス」と同列に扱われたことに、反ネタニヤフ陣営を含め反発が噴き出し、イスラエルを支援するバイデン米大統領は「言語道断だ」とICCを強く批判しました。ハマスも「抵抗運動だ」と反発しました。ICCには120か国以上が加盟していますが、アメリカやイスラエル、ロシア、中国は加盟していません。日本は2023年にICC分担金の約15%を負担する最大の拠出国です。

続いて国際司法裁判所(ICJ、ハーグ)が5月24日、イスラエルにガザ最南部ラファでの軍事作戦の即時停止を暫定措置(仮処分)として命じました。ICCは人道支援物資搬入のためエジプトとの境界ラファ検問所の開放継続や、ガザへの調査団の自由な立ち入りをイスラエルに求めました。命令には15人の裁判官のうち日本の岩沢雄司氏を含む13人が賛成しました。ICJはハマスにも人質の即時解放を求めました。

国際法廷は、過去の戦争・紛争の犠牲の上に発展し蓄積されてきた国際法、国際人道法に基づき、普遍的で実効性のある正義の実現を目指す人類の大切な機関です。今回、イスラエルやアメリカ、ハマス、さまざまな集団からの圧力に屈せず、法に基づく判断を示しました。

(船津 靖 : 広島修道大学教授)