92位に転落!代官山が”住みたい街”ではなくなった理由…空きが目立つテナントには100均も!不必要なオシャレさなのに地価高騰

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 東大卒不動産評論家の牧野知弘氏が自ら住みたい街について語る大好評連載。最新回は代官山についてだ。ここ最近、代官山が「住みたい街ランキング」で順位を落としているのはなぜなのかーー。

憧れの街、代官山にやっぱり住みたい

 今日は東京のおしゃれタウンの代表格、代官山を取り上げます。なかなか住んでみるにはハードルが高そうな街ですが、この街にも最近いろいろな変化がみられます。そんな変化の姿を追いかけながら代官山の持つ新たな魅力に迫ってみましょう。

 代官山といえば、原宿、表参道と並び称されるお洒落なファッション街として知らない人はいないほどの人気があります。代官山はファッション街としての歴史は意外と浅く、このような名称でもて囃されるようになったのは1980年代後半の平成バブル頃からのことです。それまでの代官山は渋谷の後背地として松濤や桜丘などと同じような閑静な住宅街でした。

代官山がおしゃれな街に変貌したきっかけ「ヒルサイドテラス」

 代官山は渋谷区の南東部、渋谷恵比寿間を走るJR山手線と青山、表参道方面から下ってくる八幡通り、そして東急東横線とに挟まれたごく狭いエリアにあります。代官山がお洒落で気品のある街としての印象を強く打ち出したのは、隣町の猿楽町で開発されたヒルサイドテラスがきっかけといわれます。ここは甲州武田家に仕えたとされる朝倉家が一体の土地を所有していて、オーナーと建築家の槇文彦氏が組んで1967年に「代官山集合住宅計画」を立ち上げたのが始まりです。敷地内では住宅を中心としつつも街としてのにぎわいを創出できるように旧山手通り沿いの低層部には商業店舗を設けることで話題を呼び、98年のヒルサイドテラスウエストの完成まで約30年の歳月をかけて開発されました。ここは現在でもとても風格があってなおかつ高層建築物には見られない開放的でのびやかな空間が広がる素敵な場所です。

 96年になると東急東横線の駅前にあった同潤会代官山アパートメント36棟の再開発が始まり、2000年には代官山アドレスとしてオープンします。代官山に高層建物は似合わないなどと竣工当初は喧々囂々の議論までありましたが、時代を反映した地上36階建総戸数387戸の超高層マンションとして生まれ変わり、敷地内には「ディセ」という商業施設や渋谷区代官山スポーツプラザなども誕生します。

 こうしたこれまでの高級住宅地としての面影を残しつつ、最先端のファンション店舗や物販、飲食店、超高層住宅などの新しい機能を取り込んできた代官山は、リクルート社が調査発表する「住んでみたい街」ランキングでも上位を占める常連となりました。

2024年「住みたい街ランキング」で92位まで後退

 ところが最近は、代官山の街にも変化が生じ始めています。東急東横線の地下化と東京メトロ副都心線が接続されたことです。2013年3月に完成した地下化工事は代官山駅から渋谷駅までの区間を地上部の線路を撤去して地下化する大掛かりな工事でした。

 線路の地下化によって東横線は東京メトロ副都心線と相互乗り入れになりました。地下深くに設置された渋谷駅は東横線の終着駅でも始発駅でもなくなり、線路は東武東上線や西武池袋線につながり埼玉方面へと伸びました。特急、通勤特急、急行、準急などの様々な看板や行先を掲げた電車が走りますが、渋谷の一つ横浜寄りにある「代官山」駅は各駅停車のみが停車する半地下の駅として生まれ変わりました。

 線路が撤去された跡地には10年間の暫定利用としてログロード代官山がオープンしましたが、こうした街の変わりようによって代官山にそれまで多く存在したブティック店舗で閉店する店舗が増えてきました。アパレル業界ではファストファッションの隆盛や通販の発達によって路面店での売り上げが振るわなくなってきたことも原因のひとつでしょう。線路を撤去したために代官山のエリアが恵比寿方面と繋がったことがこれまでの狭いエリアに展開されてきた代官山の個性を希薄化させたとも受け取れます。また鉄道会社同士の相互乗り入れによって終点「渋谷」駅の一つ手前のお洒落タウンであった代官山のイメージが、東武東上線や西武池袋線ともつながったことで「人の流れ」が拡散、分散してしまい、代官山が単なる通過点の街に変質を始めているともいえます。その影響か、「住みたい街ランキング」の上位常連だった代官山も2024年ランキングではついに92位にまで後退しています。

代官山の商業店舗にも空室が目立つように

 先日あるメディアから、最近代官山が衰退しているのはなぜか、との問い合わせをいただきました。そこで久しく訪れていなかった代官山に足を運んでみることにしました。

 半地下の駅から改札を出て、代官山通りに出てみて驚きました。通り沿いの、以前はお洒落なブティックや雑貨店が軒を連ねていたのが、がらんどうです。特に商業店舗が入りやすい1階、2階のスペースは「For Rent」の看板が目立ちます。いったいどうしたのでしょうか、と歩みを進めるのですが道行く人も疎らです。

 向かいの代官山アドレスに向かうことにしました。低層部の商業棟を覗くと、やはり空室が目立ちます。開業当時のテナントもだいぶ入れ替わっているようで、100円ショップの看板まで目にします。

 八幡通り沿いもなんだか賑わいがありません。以前は多くのアパレルショップのあった裏通りも閑散とした雰囲気。旧山手通りに出て、代官山テラスから蔦屋書店のあるTサイトまでやってくるとやっと賑わいが感じられました。それにしても10年前くらいの代官山の姿とは様変わりなのです。

代官山が寂れてしまった最大の要因は、東横線の地下化および東京メトロ副都心線への乗り入れ

 さて昭和・平成と隆盛を誇ってきた代官山に何が起きたのか考えてみることにします。5つほどの原因がありそうです。

 まず代官山の様相を変えるきっかけになったのは、やはり先述した東横線の地下化および東京メトロ副都心線への乗り入れでしょう。渋谷が単なる通過駅になってしまった結果、渋谷の一歩手前の小洒落た街だった代官山が忘れられがちになったのではないでしょうか。ただでさえ各駅停車しか止まらない駅です。そして駅自体が渋谷に向かって下るトンネルの入り口付近にあって目立たない半地下駅になったのも存在感を希薄化させました。人の流れというものは恐ろしいものです。代官山駅は通過駅となった渋谷駅のさらなる通過駅という、誰も気が付かない駅に変質してしまったのです。

 2つ目の理由は路線乗り入れによる客層の変化です。それはTSUTAYAに入るとよくわかります。客層を観察すると代官山通りや八幡通りのセレクトショップにやってきてちょっと背伸びをしたいようなお姉さんたちではありません。観光客や物見遊山的な客も目立ちます。

地価や建築費の値上がりも大きい…坪当たり505万円から950万円となんと2倍近くも値上がり

 3つ目の理由が、ライフスタイルの変化です。最近の若い人たちが代官山でお洒落して少し高い服を買うという消費行動そのものが消滅しつつあります。ほとんどの日はユニクロで構わないし、ファストファッションで決して恥ずかしいとも思いません。家具はかつて流行ったコンランショップの家具でなくても、ニトリで十分。フランフランで拘りのキッチン雑貨をそろえなくてもよいです。むしろ「ららぽーと」があればよいのに、と多くの若い人たちは思います。豊洲のタワマンに住んで週末はららぽーとでお買い物、こちらのほうが合理的で現代の生活にフィットしているのです。

 4つ目の理由が渋谷の変貌です。渋谷は商業の街として栄えてきましたが、今や駅前には超高層オフィスが林立するオフィス街になりました。百貨店が立ち並ぶお買い物の街だった渋谷の一つ手前の代官山。ちょっとよい買い物をしたいのならばそのまま副都心線に乗って新宿三丁目の伊勢丹本店へ。渋谷にはないようなお店を探しに来るはずの街だった代官山のキャラクターを変えてしまったのかもしれません。

 そして最後に指摘したいのが、地価や建築費の値上がりです。代官山駅前の公示地価を東横線が地下化された2013年と現在を比べてみると、坪当たり505万円から950万円となんと2倍近くも値上がりしています。建設費はやはり3割から4割は上がっています。土地を取得して建物を建設してテナントに貸そうにも高い賃料にしなければ満足のいく投資利回りは得られないということになります。アパレル系のセレクトショップでは高くなった賃料負担に耐えられない世の中になったのです。地価上昇はテナントの顔を必然的に変えてしまいます。

東急不動産「フォレストゲート代官山」で代官山は再度活性化するか

 さてこんな中、2023年10月に代官山通りと八幡通りが交差する場所に「フォレストゲート代官山」という名称で東急不動産が新しい施設をオープンしました。

 2棟から構成される複合施設でMAIN棟には57戸の賃貸住戸と地下1階2階に商業施設、3階にシェアオフィスが入ります。またTENOHA棟と名付けられた施設は、カフェとイベントスペースで構成され、サステナブルな生活環境を提供しています。サーキュラーエコノミー活動を行う事業者と連携するところが特徴で、事業者である東急不動産ホールディングスの掲げる長期ビジョンスローガン「WE ARE GREEN」を体現するものだと謳っています。

 建築設計は、隈研吾さん。建物は小さな木箱を組み合わせた森のような空間を体現しています。これまでの商品を並べただけの商業店舗ではなく、暮らしや生活価値観にテーマを持たせ、住、商の新しいコラボレーションを体現した施設として注目されます。

 どうやら代官山の姿は、新しい令和の時代環境を存分に吸収して生まれ変わろうとしているようにみえます。おそらくこの新施設をエンジョイする人たちの横顔は、昭和・平成を過ごしてきた人たちのそれとはかなり異なるものになるのでしょう。時代は動きます。代官山の未来に日本の社会の方向性が見えるのかもしれません。