博多駅でラストランに備えるSL人吉(JR九州提供)

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一部のファンがたびたび暴走

 国鉄型特急車両で運行されている最後の特急「やくも」が、最終運行日を目前に控えたいま、注目を集めている。新型車両への入れ替えが進み、6月14日に国鉄型での定期運行が終了。鉄道ファン、中でも“撮り鉄”“葬式鉄(鉄道路線の廃線や、車両の引退などを追いかけるファン)”好みの要素が多いため、ファンが沿線に集結し、一部の撮り鉄が迷惑行為に走っていたのだ。ここで思い出して欲しいのが、今年3月に行われたJR九州の「SL人吉」のラストラン。鉄道ファンを熱くする要素が山ほどあったにも関わらず、つつがなく終了した。運行したJR九州はどう準備し、対応したのか? その背景をJR九州や福岡県警の担当者に聞いた。【華川富士也/ライター】

【写真を見る】無事にラストランを終えた「日本最長老のSL」の勇姿

 JR各社をはじめとする鉄道会社が頭を悩ませ続けている問題がある。一部の悪質な鉄道ファンによる迷惑行為だ。中でも旧型車両のさよならイベントは“撮り鉄”の関心が高く、暴走モードに入った一部ファンがたびたび問題を起こしてきた。そうした中で3月に行われた「SL人吉」のラストランイベントは、大きな混乱もなく無事に終了している。

博多駅でラストランに備えるSL人吉(JR九州提供)

 3月23日、JR九州のD&S列車(観光列車)「SL人吉」が博多駅から熊本駅まで最後の営業運転を行った。牽引した8620形蒸気機関車58654号機、通称「ハチロク」は、大正11年(1922年)製造という100年を超える歴史を持つ車両で、老朽化と部品調達および技術者の確保が難しくなったため、この日をもって惜しまれながら引退することになった。

 遡るとハチロクはSL時代の終焉とともに1975年に一度引退している。静態保存された後、大修理を受けて1988年に観光列車「SLあそBOY」として復活。人気を集めたが、老朽化によって台枠に致命的な歪みが生じ、2005年に再び引退した。

 JR九州は2011年に九州新幹線が鹿児島中央駅まで延伸開業する際、蒸気機関車が観光資源になると考え、再度の大修理を行う。ハチロクは2009年に「SL人吉」として2度目の復活を果たし、以来40万人以上が乗車する人気列車となっていた。

“サイレント引退”を選ぶケースも

 いまやSLは日本のあちこちで“観光資源”として活躍している。その中でもハチロクは営業運転していた中で国産最古の蒸気機関車であり、大正、昭和、平成、令和の4時代を走り抜けた唯一の車両だった。

 その貴重な車両が引退、しかもSLが博多駅に入るというレア中のレアかつ引退によって今後は見られない光景が現れ、さらにタイミングが合えば上に新幹線、下に蒸気機関車という激レアな写真・動画が撮れるとあって、博多駅や沿線には多くの人が集まった。

 鉄道ファンたちの熱狂に包まれ、たくさんの人が見送る中、ハチロクは13時48分に博多駅を出発。大きな混乱もなく、定時運行で熊本に到着し、無事にその役目を終えた。

 そう、さよなら運転は混乱なく行われ、定時運行で無事に終了したのだ。

 指摘する人がいないが、これは大いに賞賛されるべきことである。

 日本人は鉄道が定時に運行するのが当たり前だと思っているため、無事に終わったことをあえて取り上げる人はいない。しかし、昨今の一部鉄道ファンの暴走を鑑みると、これだけ人が集まった注目のイベントを、遅延も混乱もなく終えられたことは、もっと褒め称えられるべきではないか。

 なぜなら冒頭に記したように、少し前から一部の悪質な“撮り鉄”が暴走するケースが相次いでいるからだ。撮影するために線路に立ち入って列車の運行を遅延させる輩や、沿線の私有地に入り込み、勝手に木を伐採するような犯罪行為に走る輩、三脚を並べて場所取りし小競り合いする輩などが現れ、各地で問題になっている。撮影の人気スポット周辺では違法駐車も多く、地元住民の日常生活が乱される事態が起こっている。

 駅の構内でも、駅員にくってかかる者、小競り合いする者、大声でわめく者がいて、鉄道会社の中には、引退をあえて知らせない“サイレント引退”を選ぶところも出てきた。一部の鉄道ファンはそれほど厄介な存在になっているのだ。

総勢150人強で警備

 最近、よく被害を報じられているのが特急「やくも」(岡山〜出雲市)だ。「やくも」は国鉄型特急車両で運行されている最後の特急ながら、新型車両273系への置き換えが進み、国鉄時代からの車両は6月14日限りで定期運用を離れることが決まっている。運行開始50年を記念したクリーム色と赤色の“国鉄色”に塗装した車両も走っており、撮り鉄にとっては“大好物”な要素が揃っているのだ。

 レアな車両や引退する車両が走る沿線には、一部の悪質な輩も寄ってくる。やくも沿線では4月に人気撮影スポットで線路への立ち入りがあり、列車が遅延する事態に。読売新聞は5月11日にwebに掲載した記事で、沿線の畑で育てるブルーベリーと柿の木を何者かに刈り取られた被害があったことを報じている。

 JR九州では、こうした一部の悪質な鉄道ファンが現れることを前提に、福岡県警などと連携しながら、しっかりと対策を練っていた。

 JR九州営業部の担当者によれば、「博多警察署および鉄道警察隊とは今年に入ってから警備に関する話し合いを始め、イベントの1ヵ月前から警備内容を詳細に詰めていきました」

 当日の警備体制は「運行する博多〜熊本間の駅および踏切に総勢150人強で警備にあたりました。重点警備箇所は停車駅の博多、鳥栖、久留米、大牟田、熊本に加え、車両を留置していた吉塚駅です。このうち最も多く人員を配置したのは博多駅です」。

ファンが集まるポイントを事前に把握

 同社によれば博多駅のホーム周辺には約1500人が集まっていた。安全を確保するために「警備担当として警察の方も加わっていただき、総勢50人以上の体制で対応しました」。

 当日、警察側で博多駅の警備にあたったのは博多署と鉄道警察隊。双方に警察官の人数などを確認したところ「人数などの詳細については発表を控えさせていただいています。当日は私服警察官、制服警察官を配置して対応しました」とのことだった。

 またホーム上は早い時間から一部を立ち入り禁止にした上で「通常の乗り降りをするお客様もいらっしゃいますので、その動線を確保しつつ、危険だろうと思われるところには人を多く配置しました」(JR九州担当者)

 一方、沿線に集まるファンへの対策もしっかり練られていた。

 担当者によれば、撮影のためにファンが集まりがちなポイントを、事前に鉄道写真に詳しい人から聞いていたという。また鉄道警察隊は過去にトラブルがあった場所のデータを博多警察署に提供。鉄道警察隊と博多署では、担当者が事前に現場を複数回確認した。その上でSL人吉の最終運行当日は、JR九州から提出された運行計画を元に「そうしたポイントを通過する時間は、近くの交番から警ら活動に出てもらい、パトロールを強化しました」(博多署副署長)

人気アニメとの「コラボ列車」で積んだ経験

 さよなら運行当日は、SL人吉より1本早く博多駅を出て熊本方面に向かう列車にJR九州の社員と鉄道警察隊が乗り込み、直前の情報を収集。同時に危険な場所に集まるファンに警告した。

「一本前の列車の中から人の集まり方を見て、例えば線路への入り込みがありそうな場所を把握し、その情報をこれから通るSL人吉のスタッフと共有しました。その場では警笛を鳴らすことで集まっている人たちに危険だと知らせました」(JR九州担当者)

「玉名駅、大牟田駅、熊本駅では人が密集して危ない場所があり、乗り込んでいた隊員が拡声器で注意を促し、分散してもらいました。みなさん和やかに従ってくれました」(鉄道警察隊副隊長)

 このようにJR九州、博多署、鉄道警察隊が地道に安全対策を積み重ねたことで、SL人吉のさよなら運行は大きな混乱も遅延もなく、無事に終了した。

 なお今回、こうした対策をした背景には、人気アニメとのコラボ列車の経験があったという。

「2020年に『SL鬼滅の刃』を運行した際の経験が生きていると思います」(JR九州担当者)

定時運行の裏にある乗客には見せない努力

「SL鬼滅の刃」とは、人気アニメの映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」とコラボした臨時列車。2020年11月〜12月に10日間運行された。ハチロクのナンバープレート部分は、映画に登場する蒸気機関車と同じ「無限」のプレートに変更された。チケットはあっという間に完売。人気は凄まじく、運行当日には駅や沿線に多くの人が押し寄せた。鉄道警察隊副隊長によれば、

「あの時は踏切近辺で場所取りのいざこざなどがありました。対策を始める時期が遅かったということもあり、今度こういうことがある時は早めに話しましょうとお話ししたこともあったんです」

 この時の経験がSL人吉ラストランの安全対策につながったというわけだ。

 日本では当たり前のように定時に到着する列車に乗り、利用者はその裏側を気にすることもないが、鉄道の定時運行と安全は、鉄道会社と協力組織の日々の努力の積み重ねによって成立している。

 ハチロク最後の営業運転イベント「ありがとう!SL人吉」がきれいに終えられた背景には、乗客には一切見せないそんな努力と、経験から生まれた知恵の結晶があった。

 まもなく迎える6・14「やくも」ラストランは、無事に終えることができるか。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部