『M-1はじめました。』谷 良一 東洋経済新報社

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 年末のお笑いビッグイベントといえば『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。いや、年末というよりも1年で最も話題になる漫才頂上決戦といっても過言ではない。M-1を作ったのは島田紳助氏だと言われることが多いが、実はもう一人の立役者がいる。それが今回ご紹介する書籍『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)の著者・谷 良一氏である。

 島田氏は同書のあとがきで、以下のように語っている。

「M-1は島田紳助が作ったと言われ、私ひとりが手柄を取ってるような後ろめたい気持ちがあり、私の中ではずーっと、俺と谷が作った、思い出の作品だと」

 もともとは吉本興業の社員だった谷氏。横山やすし・西川きよしや間 寛平のマネージャー経験もある人物だ。谷氏は上司から「漫才を盛り上げる企画を作れ」と命令され、始動したのがM-1につながる「漫才プロジェクト」である。そんな谷氏の相談に乗ったのが島田氏だった。

 M-1が始まる以前の2000年代初頭は漫才がかなり下火になっていた時代。1980年代にあった漫才ブームは3年ほどで終わり、当時漫才を披露できる場といえば劇場が主だった。

 島田氏はたった8年で漫才を辞めているのだが(ダウンタウンにかなわないと思ったため)、漫才界に恩返しがしたいと常日頃から思っていた。そこで「若手の漫才コンテストをやったらどうや」、「優勝賞金を1000万円にしよう」と当時としては破格の優勝賞金を提案。島田氏は表舞台、谷氏は裏舞台でM-1を作り上げていくこととなる。

 谷氏は漫才プロジェクトを進めるにあたって、現状を知るべく、漫才師の面談をおこなった。

「数多くの漫才師の面談をしてみると、どの漫才師達も異口同音に漫才が好きだと言う」(同書より)

 「漫才がやりたい」という漫才師たちの熱い気持ちを感じ取った谷氏は、「これだけの若手が熱心に漫才をやっているなら、復興もなんとかなるのではないか」という思いを強くする。当時人気のあったコンビにはキングコングなどがいるが、彼らはコントをやったり、番組のMCをやったりしていた。先述した通り漫才をやる場所がなかったためである。

 もちろん漫才が下火の当時、漫才の賞レースのスポンサーになってくれる企業は皆無に等しかった。そこに手を差し伸べてくれたのが、今でもM-1のスポンサーを担っているオートバックスの社長・住野氏である。社内から猛反対を受け、M-1当日まで決済のハンコは押されていなかったという。社長をここまで駆り立てたのも、やはり谷氏をはじめとしたスタッフの「漫才愛」にほかならない。

「おそらく社長は、漫才ブームはそこまで来ていますというぼくの言葉がうそだと分かっておられたと思う。うそだとわかった上で信じたふりをしてくださったのだ。それを思うと今でも泣きそうになる」(同書より)

 M-1創設時の若手と言えば、今やベテランの域である中川家やフットボールアワー、千鳥、笑い飯などの面々である。特に中川家は人気・実力はあったものの、テレビの仕事がほとんどなくなっていた時期だった。兄の剛が人混みで呼吸ができなくなるパニック障害を発症し、一駅ごとに電車を下りて遅刻を繰り返したためである。

 テレビ出演がほぼなくなった中川家は劇場で漫才をやり続けるしかなかった。そんな彼らだが、M-1出場者の募集が開始されてもなかなかエントリーをしてこない。業を煮やした谷氏が2人を説得しエントリーに至っている。第1回目のM-1を制覇した中川家が当初はしぶしぶの参加だったというのも意外なのではないだろうか。

 同書を読んでいると漫才師の気持ちが痛いほど伝わってきて思わず感情移入してしまう。テレビから干されても劇場で漫才をやり続けた中川家がステージに立った描写などは、思わず目頭が熱くなる。

 同書に出てくる谷氏をはじめとした人物たちは、常に「漫才を愛し」、そして「戦っている」。島田氏はM-1について以下のように語っている。

「漫才は本当にしんどい商売なんです。漫才ブームの頃は毎日が戦いでした。今、がんばっている漫才師たちに、真剣に戦う場と夢を与えてあげたかった。思いっきり戦ってもらい、日本一おもしろい漫才コンビを送り出したいという思いでいっぱいです」(同書より)

 しかしこれよりも「漫才愛」を感じたのはM-1の裏設定だ。

「M-1には、2回戦を突破できないプロをやめさせるという裏のコンセプトがあった」(同書より)

 漫才をやり続けてきた人は売れなくてもなかなか辞め時がわからないのだという。取り返しのつかない年齢になる前に漫才から退かせるキッカケもM-1は担っている。『M-1グランプリ』は「漫才愛」が生み出した究極の番組だった。その熱い思いがあるからこそ、漫才師も視聴者もM-1に釘付けになるのだろう。