『パリピ孔明』が映す現代社会の願いとは(写真:naoki/PIXTA)

なぜ「無敵の人」が増え続けるのか、保守と革新は争うのか、人間性と能力は比例するのか。このたび上梓された『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。

同書の著者で、中国思想研究者である大場一央氏が、TVドラマ「パリピ孔明」が人気を博している理由を読み解く。

奇想天外なタイトル


『パリピ孔明』(原作:四葉夕卜、漫画:小川亮)が実写ドラマ化されたという。

さまざまな二次創作に慣れた三国志ファンといえども、この奇想天外なタイトルには、驚いたのではないだろうか。

かくいう筆者もまた、同年代の三国志ファンがそうであったように、小中学校時代には横山光輝『三国志』を読み、光栄(現・コーエーテクモゲームス)の「三国志」シリーズをプレイし、吉川英治『三国志』に耽り、さらに進んで、ちくま学芸文庫の正史『三国志』をめくっていたことから、ドラマに先立つこと4年前、原作マンガのタイトルを見た時は、面食らった。

しかし、いざ手に取ってみると実に面白い。むしろ、孔明を通じて日本社会が求めているものが、よく表現されているとすら思った。そのことについて少し書いてみたい。

読者の方々には言わずもがなだとは思うが、『三国志』とは、古代中国の三国時代(220〜280)について書かれた正史(朝廷が編纂した歴史書)である。

三国時代の流れとしては、漢(前漢:前206〜8、後漢:25〜220)の末期に登場し、皇帝を擁立して天下に号令をかけた曹操(155〜220)が、長江以北の大部分を支配下に収め、その子である曹丕(187〜226)が「禅譲」(皇帝が臣下に位を譲ること)によって皇帝位を獲得し、魏(220〜265)を建国する。漢の皇室につらなる劉備(161〜223)はこれに反発し、四川盆地を中心とした南西部に蜀(221〜263)を打ち立て、漢の存続を主張した。

この混乱に乗じて、長江以南の南東部に割拠していた軍閥も、呉(222〜280)を名乗った。かくして、中国が3つに分かれ、互いに争ったというものである。

その後、魏からさらに禅譲を受け、中国を統一した晋(西晋:265〜316、東晋:317〜420)が正史として『三国志』を編纂すると、三国それぞれに人物伝が立てられ、1000を超える人物たちの活躍にスポットライトが当てられた。これが群像劇としての三国志を面白くさせているのである。

日中両国でこれほど人気なのはなぜか

とはいえ、長い中国の歴史において、こうした戦乱は日常茶飯事であり、それぞれの時代には魅力的な人物が登場する。にもかかわらず、日中両国でこれほど人気なのはなぜか。それは、『三国志演義』(以下、正史『三国志』を正史、『三国志演義』を『演義』とする)という書物が大きな役割を果たしている。

『演義』は、明王朝の時代(1368〜1644)に登場する歴史小説で、正史をベースにしながら、かなり思い切った虚構や大げさな表現が加えられている。これが中国でも大変な人気を博し、演劇などで歌や踊りを交えながら広く親しまれた。日本でも江戸時代に入って盛んに流通し、それを題材とした創作物がつくられたりしたことから、中国史の中でも特に人気を博した。いわば三国志は、昔から二次創作とメディアミックスで有名になったコンテンツだったと言えるだろう。

「孔明」とは、正史に登場する諸葛亮(181〜234)の字(あざな:元服後につける名前)である。彼は劉備を支え、蜀の「丞相」(宰相)として活躍した。『演義』では、人間の心理や状況の推移を見通し、次々に計略を成功させた他、天候を操り、幻術をくりだすという、人間離れした能力をもった人物として描かれる。

『演義』は漢の復興を目指す劉備と、それを支える諸葛亮に強い思い入れをもっており、その反動として、曹操は漢を滅ぼす流れを作った大悪人として貶められている。ここで三国志の主人公は、諸葛亮へと大きく比重を移す。

『演義』人気はすさまじく、日中両国で正史は読まずとも『演義』は読んでいる、という状況を生み出した。さらに『演義』は、現実の社会を変えるはたらきをするのである。

中国史において、『演義』は兵法書(軍事学の教科書)としての扱いを受け、実際の戦争に参照されて成果をあげた他、人物の言動やエピソードをヒントとして、実際の政治的かけひきに活用されていた。驚くべきことに、フィクションであるはずの『演義』は、それを真実だと信じる人によって学習されると、現実に役立つ処世術やスキルとして使われ、歴史を動かすことができるのである。

政治的プロパガンダとしての有効性

そうした実用性とは別に、政治的プロパガンダとしての有効性もある。

中国で『演義』にもとづく人物評価が変化したのは、1920年代に入ってからであるが、中国近代文学の巨人である魯迅(1881〜1936)が曹操の再評価を行い、ついで共産中国の建国者である毛沢東(1893〜1976)が曹操を賛美した。彼らはいずれも、旧来の封建的価値観にとらわれない、革新的な人物として曹操を持ち上げることで、伝統中国を批判し、近代中国を建設しようとした。これは『演義』のフィクションを否定するというより、『演義』をベースとして、その価値観を批判するというやり方である。

その結果、中国では「文化大革命」(1967〜1977)に代表されるような、大規模な伝統破壊が進められた。毛沢東は、これを正当化するプロパガンダとして、伝統中国で暗君や暴君、あるいは悪政を批判されてきた政治家たちを、封建的価値観に抵抗した英雄として賞賛し、その流れの中に自分と中国共産党とを位置づけたのである。その英雄の一人に数え上げられたのが曹操であった。

中国に限らず、映画やドラマなどのメディアコンテンツを通じて、社会の風潮は大きく変化するものである。

したがって、政治がメディアコンテンツの評価基準を決定し、それに沿った解釈に編集することは、人々の道徳を変更し、ものの見方や感じ方、そして行動パターンを変更することにつながる。かくして社会全体の価値観は変更されるのである。

中国ではそれを、歴史小説である『演義』によって行った。人々は、歴史とフィクションの区別が曖昧なまま、曹操の再評価を受け入れ、毛沢東の示すイデオロギーに染まっていった。

その後の中国では、1980年代から正史にもとづく新しい三国志解釈が進められた。それは一見すると学術的な試みに見えるが、政治的に有効なコンテンツである限り、三国志に多様な視点が許されることはない。

たとえば、毛沢東は中国統一前に諸葛亮を賞賛したことがあるが、それは南方から攻め上る自身に引き当てて正当化したかったからである。同じように、仮に現代で諸葛亮評価が盛り上がったところで、そこには中国共産党に対する忠誠を要求するなどといった、政治的なプロパガンダが潜んでいる。

話はずれるが、歴史を題材にした創作物として、三国志に共通するのは『忠臣蔵』である。これはもともと江戸時代の赤穂藩(現・兵庫県)の武士たちが、非業の死を遂げた主君の仇討ちを行った「赤穂事件」(1702)を題材としたものであるが、歌舞伎として「仮名手本忠臣蔵」というタイトルで上演されると、人々の間で大変な人気を博した。

この忠臣蔵もまた、日本人に与えた影響は強く、桜田門外の変(1860)における襲撃計画のモデルになった他、戊辰戦争(1868)では外交儀礼の参考にされたり、あるいは日露戦争(1907〜1908)では、ロシアに対する復讐に重ね合わされたりした。

ここでもやはり、忠臣蔵は実用的、あるいはプロパガンダ的に扱われ、歴史を動かしている。第2次世界大戦後、日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令部)は、忠臣蔵の影響力を恐れて上演禁止にしたほどである。

昭和世代は、毎年何かしら「忠臣蔵」と銘打った、大型時代劇や映画などのコンテンツを目にしたと思うが、まだ「社畜」という言葉がここまで認知されていなかった高度経済成長時代、終身雇用制、年功序列の中で、サラリーマンたちは組織の一員としての参加意識を持ち、自分が頑張って仲間と協力し、組織のために戦い抜くという「忠義」の物語を生きていた。

年に2本も3本もつくられていた忠臣蔵のコンテンツは、そうしたサラリーマンの物語を力づけていたのである。

これと同じく、三国志もまた、処世術を学ぶビジネス本として読まれた他、吉川英治『三国志』などは、曹操の感性の豊かさや、乱世を生きる野心家ぶりを活写し、前半の主人公にすえる一方で、劉備への忠義に生きる諸葛亮が、一人で国家のすみずみに至るまで管理し、ついに病に斃れる様子を情感たっぷりに描き出し、後半の主人公とした。

これなどは、管理社会の中で力を発揮できず、自分にも機会さえあれば、自由に大きなことをしてみたいという気持ちと、愛着のある組織において、みずからがその運命を背負っているという自負心が同居する、サラリーマンのアンビバレントな心理に寄り添っている。

そうしたことから、何度となく「三国志ブーム」なるものが発生した。日本において三国志は、世相を映す鏡となっていた。

2000年代以降は「アンチ諸葛亮」に

日本でも、1980年代に入ると正史の全訳が普及したことから、『演義』のフィクションを指摘する流れが強まり、それに伴って三国志の人物評価にも、多くの修正がかけられていった。

この成果はめざましく、正史をもととした創作物が生まれた他、いわゆる「三国志オタク」といった人々が登場し、研究者顔負けの知識を持つ人々が、ごく普通の中高生の中に存在するようになる。

三国志は現代のメディアコンテンツとして、不動の地位を確立したわけだが、この場合もまた、その知識の広がりと深まりにもかかわらず、人物評価は多分に現代的、主観的で、「伝統的規範から自由となり、革新的な生き方をする曹操」という再評価や、アニメキャラクターのように、「推し」ている登場人物の知識を語ることが目玉となった。また、『演義』における諸葛亮の人間離れした能力が否定され、その評価が引き下げられることとなる。

この人物評価の是非はさておき、そこには忠義に生きる諸葛亮が、三国志の主人公として語られることへの、心理的な反発心が透けて見える。新しい諸葛亮評価において、その忠義は冷笑的に相対化され、その価値を否定された。

こうして正史を読まねば三国志を語るべきでないという嘲笑と共に、「アンチ諸葛亮」とも言うべき風潮が生まれた。これが大体2000年代以降の雰囲気である。

この時、社会は構造改革の嵐を迎え、終身雇用、年功序列の時代は終わりを迎えようとしていた。容赦ない解雇や派遣切りの嵐の中、組織と個人との精神的つながりは希薄化し、起業による自己実現や、限りなく個人を優先する時代が訪れていた。

王道中の王道を行く「パリピ孔明」

そうした中でも、厳密な三国時代の考証を反映させながら、妻である黄月英と二人三脚で、天下泰平の理想を追求する諸葛亮を描いたマンガ、『孔明のヨメ。』(杜康潤)が誕生し、諸葛亮人気は根強く存在していることを示した。

そこにきて『パリピ孔明』が登場したわけである。そこでは、現代に転移した諸葛亮が、不幸な幼少期を過ごし、能力がありながらも不遇に苦しむヒロインと出会う。そして、彼女が歌手として歌で人々を笑顔にしたい、という夢を語るのを聞いて、そこに天下泰平の理想を重ね、彼女を主君に見立てて忠義を尽くし、その夢を実現すべく智謀をめぐらす。

筋としては誰にでもわかりやすい、現代的な舞台設定を用いる一方、諸葛亮の忠義をテーマにしている点で、『パリピ孔明』はそのタイトルの奇抜さと正反対に、王道中の王道を行っていることがわかる。そして、個性豊かなキャラクターと、テンポよく展開するイベント、そしてふんだんに盛り込まれた三国志ネタを楽しむ中で、そこに一貫して描かれる、諸葛亮のヒロインへの温かい眼差しと、それが故の情け容赦ない怜悧な判断を視る時、観客は自分以外の人生に命を懸ける、崇高な精神を見ることとなる。

これこそが忠義の物語であり、それはとりもなおさず、他者や組織とつながり、互いのために力を尽くして理想を実現したいという、現代社会に潜む願望が、ほのかに映し出されているのである。

もっとも、それがすぐに社会の変化につながるものではないものの、組織がドライな契約関係に限定され、過度な自己実現に疲れた人心が、忠義の物語を求める時、そこには新しい社会の変化が生まれるだろう。そんなことを考えながら『パリピ孔明』を楽しむのも、また一興かもしれない。

(大場 一央 : 中国思想・日本思想研究者、早稲田大学非常勤講師)