「レッツノート」などを製造する神戸工場に掲げられたスローガン(記者撮影)

「伝承師」ーー。

パナソニックではそう名付けられた社員が2022年4月から活動している。20人弱の伝承師が所属する「オペレーション戦略部」は、パナソニックホールディングス(HD)の社長直轄組織だ。

伝承師は、世界各国に散らばるグループ会社の生産拠点で活動し、「カイゼン」を通じて製造現場の生産性向上を後押ししている。

取り組みはすでに実を結び始めている。「レッツノート」ブランドのノートパソコンなどを製造するパナソニックコネクトの神戸工場では、生産性がわずか1年で1.6倍超にまで改善した。自動車向けの部品を作る敦賀工場(福井県)でも生産性が2倍になったという。

車載事業部門で学んだノウハウ

伝承師が活動を始めた背景には、パナソニックHDの楠見雄規社長の強烈な課題意識がある。「決められた仕事を真面目にやるが、それをさらに改善させることがおざなりになっていた」。意識の強さは、2021年6月の社長就任直後の東洋経済などの取材に対して、あけすけに答えたほどだ。

そこで社長就任後に進めてきた施策の1つが、トヨタ自動車流の生産性向上法「カイゼン」を社内に根付かせるための取り組みだ。楠見氏自身は社長就任以前に車載事業部門のトップを務め、車載機器の顧客や車載電池の合弁相手としてトヨタと接する機会が多かったことも背景にある。

1つの契機となったのは、2019年に経験した大型台風からの復旧だった。電子基板の材料などを生産する福島県の郡山工場が被災し、製造ラインが止まった。

「当初は1年ぐらいかかると思った復旧が、トヨタのノウハウが入ったことでムダや滞留がなくなり、3カ月で再稼働した。奇跡ではなく、正味の仕事に集中すれば必然的な時間でできるということを経験した」。オペレーション戦略部を率いる南尾匡紀部長は愕然としたと当時を振り返る。

現場レベルのカイゼン活動は、経営レベルでの効率アップとも密接に関係している。

楠見社長は就任から2年間を競争力を高める期間として設定。事業部門ごとに「選択と集中」を進めるよう指示してきた。2022年に持ち株会社制に移行し、権限の委譲と収益への責任を明確にしたのもその一環だ。

持ち株会社への移行後は、事業会社ごとにPL(損益計算書)の開示をすすめ、今年度からは投じた資金に対してどれだけ利益を生み出せたかを示すROIC(投下資本利益率)の開示も始めた。


上図のとおり、実績に加えて2024年度の目標も設定されており、事業会社ごとに効率アップへの責任が明確になっている。

例えば、パナソニックコネクトは2024年度までに生産性向上で固定費率を2022年度比で2%削減する。パナソニックオートモーティブシステムズでは、AI(人工知能)を活用して生産性2倍を達成した敦賀工場の事例を横展開していくことで、生産性を上げていくという。

レッツノートでも細かなカイゼン

パナソニックHDの事業分野は多岐にわたる。そのため、それぞれの事業会社が目標達成を目指すうえで、グループ全社一律で横展開しないといけない具体的な技術やノウハウは少ない。

一方で、生産性を上げるための「思想と手法」には抽象的な部分も多く、各社で共通する部分がある。思想と手法を伝播しグループ全体の横串を担うのが伝承師の役割というわけだ。

伝承師が音頭を取って進める1つひとつのカイゼンは、どれも「そんなことが」と言いたくなるほどささいな工夫ばかりだ。

例えば、レッツノートの裏側に製造番号などが書かれたシールを貼り付ける作業。従来はシールの台紙を1枚ずつはさみで切り離して筐体に貼り付けており、台紙を切る作業のために余計な時間がかかっていた。


シールの製造過程で切れ込みを入れるように加工を施し、生産現場の負担を減らした(記者撮影)

そこでシールの台紙にあらかじめ切れ込みを入れ、はさみを使わずに手で引っ張るだけで台紙を1枚分ずつ切り離せるようにした。これで約2秒作業時間が短縮されたという。

こうしたカイゼンを積み重ねたことで、1人の従業員が1時間で作れるレッツノートの台数は、2023年8月時点で1年前の0.88台から1.41台に増加した。生産性にして約1.6倍の大幅改善だ。当面の目標である「生産性倍増」もすでに視野に入っているという。

ただ、裏を返せばそれだけ従来の作業にムダな工程が多かったともいえる。

オペレーション戦略部で現場力革新課の課長を務める福井祐子氏は、「正直に言うと、この活動を始めるまでは全社的にものづくりの現場で多くのムダがあった。それを見た楠見社長が、『ムダ取りが1丁目1番地だ』といって動き始めた」と振り返る。

ホワイトボードで困りごとを収集

ムダ取りの過程はこうだ。

まず現場の従業員が自身の困っていることや気づいたことをリーダーなどを通して報告する。リーダーは付箋に困りごとを書いて専用のホワイトボードに貼り付ける。事務部門の従業員が現場を観察して気づいたことなども同時に収集し、まずは現場で改善できるかを判断する。


生産ラインのすぐ横に設置された「困り事・お願いボード」と伝承師の芹田さん(記者撮影、画像の一部を加工)

現場だけで解決できないことは「大部屋」と呼ぶ会議に提出する。大部屋には伝承師に加えて工場長や生産技術、品質管理などの責任者が一堂に会して費用対効果から優先順位を判断。即断即決でムダ取りを進めていく。製品の設計に関わる部分では設計部門などへ意見を上げることも行う。

仕組みの導入当初には苦労もあった。伝承師の1人、芹田満映さんは「導入当初は困りごとが何百件も出てきて、実施する側が困ってしまった。即断即決、といいながら停滞してしまい、(困りごとの)出し手も『解決してくれない』と不満をためてしまった」と語る。

それでも優先順位のつけ方を工夫したり、取り組み状況を適宜現場に伝えるようにしたりと徐々に改善を進めた結果「今では現場に行くだけで製造リーダーの方から声をかけてもらえるようになった」(芹田さん)。

生産性の向上だけではなく、一連の活動を通じて現場のコミュニケーションが活性化したことで、製造現場の雰囲気もよくなってきているという。

「ムダ取り」のその先へ

ムダ取りが進んできたことでパナソニックHDの企業価値が見直され始めている。長らく「1倍割れ」が続いてきたPBR(株価純資産倍率)は今年6月以降1倍を回復。投資家からの評価が徐々に高まりつつある状態だ。

しかし、ムダの削減には限界がある。この先さらに企業価値を高めていくためには、楠見社長以下パナソニックHDの経営陣が投資家からの期待を集められるだけの成長戦略を示す必要があるだろう。

今年5月に開いた経営説明会では「成長ステージへギアを上げる」(楠見社長)として車載電池への重点投資など一定の方向感を示したものの、具体的な戦略はまだ明らかにしていない。

競争力強化のための2年間を経てパナソニックHDはどこへ向かうのか。現場のひたむきな努力に報いるだけの確かな成長戦略が必要だ。

(梅垣 勇人 : 東洋経済 記者)