大沢たかお「茨の道を選んだことが俳優人生の始まり」55歳とデビュー30年を振り返る
実写化不可能。そう言われ続けてきた漫画『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、累計発行部数3200万部超)が連載されたのは'88年〜'96年。
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湾岸戦争中には、国会で話題にのぼったこともある。
今だからこそ、実写化すべき理由がある
約30年の時を経て、ついに実写映画の公開を迎える。主人公・海江田四郎を演じるのは大沢たかお。本作のプロデューサーのひとりでもある。
「映画『キングダム』('19年〜)の松橋真三プロデューサーから“『沈黙の艦隊』のテーマって面白いですよね”と話を持ちかけられて。でも、王騎将軍を演じている真っ最中だったので、そのときは余裕がなくて」
ただ、原作ファンである大沢の頭には“なるほど”という思いが残り、『キングダム』の撮影が一段落すると原作を読み直した。
「30年前よりも今のほうが、実写化すべき理由があり、そのタイミングではないか? そう思いました。すぐに松橋さんとふたりで会う機会をつくり“これ、本気でやりませんか?”と話したのがきっかけですね。
でも規模も大きいし、お金もかかる。国(防衛省)がどこまで協力してくれるかなど未知数だったので、ファンタジーのようなイメージでしたね」
海上自衛隊の潜水艦“やまなみ”が沈没し、艦長の海江田四郎ら乗員76名の生存は絶望的。しかし秘密裏に、海江田は高性能原子力潜水艦“シーバット”艦長に任命され、乗員を率いていた。
ここまでは筋書きどおりだったが、海江田は反乱逃亡を図る。しかも原子力潜水艦に核ミサイルを搭載して――。
製作の予算問題はアマゾンの賛同によりクリア。原作者のかわぐち氏へのプレゼン、防衛省への協力要請を大沢はプロデューサーとして自ら行い、合意を取り付けている。
「プロデュースする気持ちなんて全然ないし、僕としては肩書なんて別に何でもいい。自分にやれる得意なことがあったからやっただけで。日本では肩書にこだわる人が結構いるけど、裏方だろうと何だろうと、協力できることは何でもやる。総力戦でやらないと越えられないハードルは多いので」
主演映画『風に立つライオン』('15年)でも大沢は約5年、孤軍奮闘。映画化へと動き出すと、準備物をすべて託し、プロデューサーからクレジットを外してもらったという。
「『沈黙の艦隊』も同じこと。キャスティングや脚本などまで僕が口を出したら本末転倒になる。そこはプロに任せ、現場では僕は俳優のことだけ。全部やり出したらキリがないし、俳優ができなくなっちゃいますからね」
30年前、ダークヒーローは許されなかった
演じた海江田四郎は潜水艦を奪って逃亡するだけでなく、ミサイルまで撃つ。それは海江田の揺るぎない信念に基づく行動だ。
「昔は勧善懲悪というか。主人公は正義の味方で、悪者を倒す。見た目も端麗で、悪者は邪悪。昭和のころからずっとそういう構図が続きましたけど、今は“そんなスーパーマンなんかいねーよ”って見る人がわかっている。そして、そうじゃない正義があることも」
海江田はダークヒーローに近い。ただ、30年前にダークヒーローは許されなかった気がすると語る。
「でも今の時代は、人の見方や価値観がすごく変わってきたから、伝わると思ったんです。従来は主人公が壁にぶつかって成長して終わるけど、『沈黙の艦隊』は海江田のテロによって、周りが考えざるを得なかったり、成長せざるを得なかったりする。
わかりやすいアプローチではないので戸惑うこともあるかもしれませんが、新しい時代の作品のひとつだと思って見てもらえたらうれしく思います」
デビュー2年目で選んだ茨の道
大学時代からモデルとして活躍し、'94年にドラマデビュー。今年はデビュー30年目に当たる。長い俳優生活での転機を聞くと、
「きれいごとになるかもしれないけど、いいことも悪いこともあったから、全部がターニングポイントになっていて。俳優の仕事って、結構際どいんですね。
ひとつの作品をやったことによってイメージが変わるから、次の方向性も変わっていく。全然先が見えない中でやっているので、飛び石感覚がすごくありますね。
次に飛べる石が全然違う方向に複数あることもあれば、飛んだ石によって次に飛べる石の範囲が決まってしまうこともある。そしてその石は沈む石かもしれないし、飛び間違えているかもしれないし」
ただ、振り返ってひとつ挙げるのであれば20代。
「デビュー2年目くらいでドキュメンタリードラマ『深夜特急』('96年〜'98年)に出会って。長いプロジェクトなので、流行りのドラマには出られなくなることが条件でした。そこで茨の道を選んだことが、自分のこういう俳優人生の始まりだったのかなとも思いますね」
同時期、民放のドラマにバンバン出演する機会はあったが、それは選ばなかった。
「『深夜特急』をやったことで、蜷川幸雄さんにまた出会えて、舞台『ロミオとジュリエット』をやらせてもらえた。このあたりはやっぱり、ターニングポイントになっていると思います」
俳優をあとどれくらいできるかもわからない
流行りのエンタメ作品とはどこか距離を置き、独自の道を歩きながら、唯一無二の存在へ。55歳を迎え、今後をどう考えているのか?
「さっきの飛び石の話に戻りますけど、30年、たまたま石が沈まなかっただけで。この先、飛ぶ石が必ずあるかはわからない。自分がやりたいことと作品がマッチしたとしても、自分に必要な動きのキレがないと思ったらやらないだろうし。
運と縁みたいなところがあるんですよね、俳優業って。だから、俳優をあとどれくらいできるかもわからないし。今日までお仕事させていただいていることにはすごく感謝しているけど、先のことはやっぱり、わからないですよね」
撮影中を含め、ずっと自然体。そして昔、取材をさせてもらった記者の近況まで気にかけてくれる。魅力的でないわけが、ない――。
オフのときには?
「休みの日には、なるべく仕事から離れるようにしています。頭の中でも、できるだけ考えないように。だから台本も見ないし、仕事っぽいメールも一切読まないですね。
無理やりにでもそういうふうにしていかないと続かないし、何も出てこなくなっちゃうんですよね」
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