東京電力福島第一原子力発電所の「処理水」の放出が開始。中国は水産物輸入の全面停止という「対抗措置」を取りました。その真の狙いとは?(写真:ペイレスイメージズ 2/PIXTA)

中国税関当局は24日、日本産の水産物の輸入を全面的に停止すると発表しました。同日、東京電力福島第一原子力発電所の「処理水」の放出が始まったことへの対抗措置と見られますが、その奥にある本当の思惑とは?

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塩の買い占めに走った中国の市民たち

「塩の買い占めについてコメントをお願いします」

8月25日の夕方。テレビのニュース番組に出演した私は、そんな“事件”のコメントを求められた。24日から、東京電力による原子力発電所の処理水放出を受けて、中国国民はいまのうちに塩を買い集めたいと思ったようだ。

まったく科学的な態度ではない。放出された放射性物質の濃度からももちろんのこと、海流を考えても中国に影響を与えるとは思わない。しかし、科学というよりも、雰囲気で不安というひともいるだろう。「自分は危険と思ってはいないけれど、周囲が買い占めるから、自分も買い求めざるをえなかった」中国国民もいたと想像する。

中国の行政は、塩の在庫はたくさんあるので慌てる必要はない旨のアナウンスを発表したが、少なくとも25日の夕方時点では、そのアナウンス効果はないように思われた。それも中国政府自身が、海洋放出について疑念を挟み、政治的プロパガンダとして日本=危ない論を重ねてきたからだ。

さらに中国は、24日の処理水放出実施後、すぐさま日本からの水産物について輸入を停止する旨の発表をした。これで、中国国民に慌てるな、といっても難しい。むしろ中国国民は中国政府から煽られたので、素直に鵜呑みにしたように感じる。

日本の水産物輸出への影響は?

ところで私は海洋放出について科学的な議論は解決していると考えている。しかし、いまだに処理水放出について懸念を示す人たちがいる。科学的懸念というよりも、「なんとなく怖い」といったものだろう。この原稿では、その科学的/非科学的な側面を深追いせずに、あくまで貿易の額から影響を調査する。

そこで2022年の水産物の輸出実績を見てみよう。

順位 輸出先 輸出金額 比率
1 中華人民共和国 71,701,154 28%
2 アメリカ合衆国 39,289,864 15%
3 大韓民国 22,372,378 9%
4 台湾 21,151,716 8%
5 香港 20,173,913 8%
6 タイ 19,749,914 8%
7 ベトナム 18,961,893 7%
8 オランダ 6,202,585 2%
9 シンガポール 5,420,857 2%
10 インドネシア 3,571,445 1%
  その他 28,080,421 11%
(財務省「貿易統計」から統計品目番号(HSコード)の「03」を抽出し、著者作成/単位は1000円)
*水産庁や農林水産省の統計では年間の合計が3000億円〜3800億円とするものがある。これらの統計にはHSコード16類の「気密容器入りの魚(缶詰・瓶詰など)」「キャビア(缶詰・調製品)」関連が内包されていると思われるため、当表の数字と完全には一致しない

年間の合計が2567億円にいたる。そして目立つのはアメリカを大きく引き離す中国圏の存在だ。「中華人民共和国」と「香港」を合計すると919億円で全体のなかで36%の比率を占める。この分が、日本にとって打撃となる領域だ。このところの日本はアメリカや韓国、台湾とは良好な関係を継続しているが、この3つを足しても中国圏には及ばない。

なおあくまで参考だが、日本は2022年に1兆5279億円の水産物を輸入した。当然ながら、輸出よりも圧倒的に輸入が多い。その内訳を見てみると、トップは、チリやアメリカだった。中国は4位で1513億円(香港からは162億円)だった。全体の10%を中国からの輸入に頼る。

日本は中国の「規制」にどう対応するか

少し話が変わることをご容赦いただきたい。それは半導体の話だ。

今年の5月、中国がサイバーセキュリティ上の問題があるとしてアメリカ・マイクロンのメモリーの、中国国内のインフラ設備での使用を中止したのは記憶に新しい。また、中国は今月8月にLEDやパワー半導体等で使用される、ガリウムとゲルマニウムの輸出を規制するとした。

これは明確に、アメリカへの対抗措置だった。昨年、アメリカは半導体関連機器やスーパーコンピューター関連品目について、中国への輸出を規制した。同時に、マイクロンのライバル会社であるYMTC(長江メモリ)を禁輸リストに入れていた。アメリカは、さらにひもを緩めることなく、AIなど高度産業領域の中国企業への投資すら厳しく禁じようとしている。


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この半導体の例を引いて、私が述べたかったことは、半導体であれ表面的には「サイバーセキュリティ」や「安全性の問題」としているが、完全に政治問題にほかならないことだ。皮相的に技術のようでいて、本質は政治。

以前から国家間の貿易問題は政治問題だった、といえなくもないが、このところは露骨で誰もがわかるようになった。半導体だけではなく、水産物についても、冒頭で私は非科学的な態度を嘆いてみせたが、結局は安全性というよりも相手国をダシに国民感情を煽る側面のほうが大きい。

話を戻せば、中国圏への水産物輸出の919億円はきわめて大きい。関係者のダメージは計り知れない。それと同時に、日本の輸入総額は2022年で約100兆円ある。だから、ミクロなレベルでは大ダメージでも、マクロなレベルでは大ダメージとまでは言いにくい。

そこでさっそく政府が支援を打ち出したように、中国圏に輸出するはずであった水産物については他国への販売ルート開拓支援が考えられるだろう。さらに、日本国内では、これまで中国圏から「買い負け」していた分、日本消費者が支援の意味でも購入すればいい。少なくとも、先に示した通り、水産物は中国からも輸入している点を忘れてはならない。

中国はメンツの国だから、規制をかけて、まったく何もしないとは思えない。ただ13億人の民を食わせる必要があり、中長期にわたって輸入禁止の愚を続けるとも思えない。それは半導体材料のガリウムとゲルマニウムの輸出規制で見られる「相手国をビビらせる、けれど、そこまで深刻な事態は引き起こさない」態度と似ているかもしれない。

繰り返す。水産物の中国輸入停止はダメージであるのは間違いない。しかし、これこそ影響を最小限化するために、日本政府や国民が協力しあうタイミングだろう。日本は大人の国として冷静な態度で臨もう。

(坂口 孝則 : 調達・購買業務コンサルタント、講演家)