どこの大学でも「あの教授の講義は難しすぎる」「テストの採点が厳しすぎる」などと言われ、学生から苦手に思われている教授がいるものです。アメリカの名門校・ニューヨーク大学では、有機化学を教えていたメイトランド・ジョーンズ・ジュニア教授に対して80人以上の学生が「授業が厳しすぎる」と訴えを起こし、ジョーンズ氏が解雇されてしまう事態に発展。化学部の教授からは大学当局に対する反発の声が上がっています。

At NYU, Students Were Failing Organic Chemistry. Whose Fault Was It? - The New York Times

https://www.nytimes.com/2022/10/03/us/nyu-organic-chemistry-petition.html

ジョーンズ氏は数十年にわたりプリンストン大学で有機化学を教えてきた人物であり、有機化学の教科書執筆にも携わり、暗記ではなく問題解決に焦点を当てた指導法を開拓したと評されています。2007年にプリンストン大学を退職した後はニューヨーク大学に移り、2017年には「ニューヨーク大学の最もクールな8人の教授」にも選出され、84歳になった2022年の時点でも有機化学を教えていました。

ところが2022年の春、有機化学の授業を受けていた350人のうち82人が、ジョーンズ氏の授業が厳しすぎるという請願書を大学に提出。大学当局は成績の見直しおよび遡及的にクラスを受けなかったことにする措置を例外的に認め、2022年の秋学期になる前にジョーンズ氏との契約を終了しました。

学生の請願書を重く見てジョーンズ氏を解雇するという決定は、化学部の教授たちやジョーンズ氏を支持する学生からの反発を引き起こしました。化学部教授のパラムジット・アローラ氏は、「学長たちは明らかに利益を追求しており、大学について素晴らしいことを言ってくれる幸せな学生を集めることを望んでいます。そうすればより多くの人々がニューヨーク大学を受験し、大学ランキングはどんどん上がっていくからです」と指摘しています。



日刊紙のニューヨーク・タイムズのインタビューに対し、ジョーンズ氏は「学生たちは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックにおいて勉強を怠っており、学力が急速に低下していた」と主張しました。そもそも試験問題のテキストを誤読する学生が多く、試験の難易度を下げたにもかかわらずテストの点数が一桁だったり、0点だったりする学生もいると述べています。

パンデミックによる学習の遅れに対処するため、ジョーンズ氏は5000ドル(約72万円)もの自腹を切って、他の教授と協力して52もの有機化学講義を録画したり、オンラインのミーティングを開催したりしたそうですが、それでも学力の低下は進んだとのこと。ジョーンズ氏と同じ化学部教授であるケント・キルシェンバウム氏は、オンラインテスト中に不正行為をする学生を発見した上に、不正行為を指摘して成績を下げたら学生から「この成績では医学部に入れない」と抗議されたと証言しています。

2022年の春学期から大学はCOVID-19の規制を緩めましたが、ジョーンズ氏は「学生たちは授業に来ていませんでした」「彼らはビデオも見ていなかったし、質問に答えることもできませんでした」と指摘しています。

そして学生たちは、授業に関するグループチャットで不満をぶつけ合い、5月には「私たちの成績は、この授業に費やした時間と労力を正しく反映していません」と主張する請願書を大学に提出しました。請願書の中で学生たちは、中間試験の回数が3回から2回に減らされたことや、平均の成績が開示されていないこと、COVID-19にかかった生徒がいるのに単位の補充をせずにZoom講義へのアクセスを削除したこと、ジョーンズ氏が「侮辱的で命令口調」だったことを批判。「単位を落とした者や成績不振の者がこれほど多いクラスは、学生の勉学と幸福を優先しておらず、化学部だけでなく大学全体に悪い印象を与えることを理解してください」と主張しています。

なお、ジョーンズ氏はこれらの主張に対し、中間試験の回数が減ったのは授業回数の変更に対応しただけであり、成績の25%が実験および最終実験テストによるため平均成績を開示することは不可能だと反論。Zoom講義へのアクセスは自分の決定ではなく、講義ホールの技術的な問題だったと説明しています。



ジョーンズ氏の授業でティーチング・アシスタントを務めたZacharia Benslimane氏は、ニューヨーク・タイムズへの電子メールで「この請願書は不公平に扱われているという感情ではなく、試験の点数に対する不満から書かれたものだと思います」「授業に対して一貫した不満を述べている学生は、私たちが彼らに提供したリソースを使用していないことがわかっています」と述べてジョーンズ氏を擁護しました。

授業を受けた学生のRyan Xue氏は、ジョーンズ氏は好感が持てる刺激的な人物だと語っています。「これは大きな講義であり、『除草クラス(単位を落とす学生が多いクラス)』であるという評判もあります」「だから最高の成績を取れない人も現れます。請願書のコメントの中には、その人がとった成績に大きく左右されたものがあるかもしれません」と述べました。

一部の学生は確かにジョーンズ氏の授業で悪い成績を取ったことでショックを受け、将来に不安を持つ学生も多かったとのこと。しかし、請願書を提出した学生たちもジョーンズ氏が解雇されたことに驚いているそうで、請願書でジョーンズ氏の解雇を要求したわけではなく、そんなことが可能だとも思わなかったと説明しています。

ニューヨーク大学の広報担当者であるジョン・ベックマン氏は、学生の成績が低調な授業を注視しており、有機化学は長らく「D」や「F」の学生が多い授業だったと指摘。「厳格であるために懲罰的になる必要があるのでしょうか?」「(学生によるジョーンズ氏の授業評価は)化学部だけでなく、大学の全学部の中で最悪でした」と述べ、ジョーンズ氏の解雇は妥当だったと主張しました。



ニューヨーク・タイムズは、この事例が高等教育界に対する圧力のケーススタディになる可能性があると指摘した上で、「パンデミックによるメンタルヘルスや学業への影響に対処している学生が多い中で、大学は学生へのプレッシャーを緩和すべきなのでしょうか?教授に対する学生からの苦情の増加に、大学はどう対応するべきなのでしょうか?テニュア(終身雇用資格)のない契約教員に対し、学生はあまりに大きな力を持っているのでしょうか?」と、問題提起しています。

アローラ氏は、ジョーンズ氏が高レベルの教育が目的とされていた時期に教育者となった人物であり、学生たちには厳しい授業を乗り越えてほしいと思っていると主張しています。また、キルシェンバウム氏は「分子レベルの変化を理解しないかぎり良い医者になれるとは思いませんし、そんな医者に患者を診てほしくありません」と述べて、医者志望の学生が多い有機化学の授業を緩くすることに対する懸念を表明しました。

化学部の教授陣もジョーンズ氏の解雇に反対しており、科学学部長やその他の学部長たちに約20人の連名で、「(ジョーンズ氏の解雇は)正当な手続きをまったく踏まずに教員の自由を損ない、実績ある教育学的実践を弱体化させかねない先例となってしまう」とする書簡を送付しました。署名した教員の1人でありテニュア保有者のナサニエル・トラサス氏は、「テニュアを持っていない教員はこの件を見て、『ああ、もしこれが自分の身に起こって契約が更新されなかったらどうしよう』と思っています」とコメントしました。

なお、ジョーンズ氏は近いうちに引退する予定だったため、もはやニューヨーク大学に復職する意思はないとのこと。同氏は「私はただ、これと同じことが他の人にも起こってほしくないだけです」と述べました。