米国の作戦で殺害されたと発表されたザワヒリ容疑者(写真・共同通信)

 米バイデン大統領は、国際テロ組織アルカイダの最高指導者、アイマン・ザワヒリ容疑者(71)の殺害を発表した。日本時間7月31日午前、アフガニスタンの首都、カブールの隠れ家にいたザワヒリ容疑者に対し、ドローン(無人機)からミサイルを発射してピンポイントで攻撃。その家族や市民に被害はなかったと述べた。

 バイデン大統領によると、ザワヒリ容疑者は2001年9月11日の米国同時多発テロを首謀した、ウサマ・ビンラディン容疑者のナンバー2である副官となり、この事件の計画に深くかかわった。また、2000年の米艦コール襲撃事件や、ケニアおよびタンザニアの米国大使館爆破事件などを企て、数十年にわたってアメリカを攻撃してきた。そして、2011年にビンラディン容疑者が殺害されると、後継者として世界中のアルカイダ傘下組織のメンバーに、米国への攻撃を呼び掛けていた。

 その人物が亡くなったことは何を意味するのか。イスラム政治思想を専門とする東京大学先端科学技術研究センター教授の池内恵氏が解説する。

「ザワヒリ容疑者殺害の意義は、ジハーディズム(イスラム過激派)と、それに対して過去20年間おこなわれてきた戦争に、ひとつの大きな区切りがついたということです。

 ザワヒリ容疑者は、ジハード運動にお墨つきを与える最古参の人物で、功労者と見なされていますが、すでに一線を退いており、指示を出して組織を動かすといった実質的なことはおこなっていませんでした。ですから、ジハード主義者たちから尊敬を集める存在を失ったという、象徴的な意味のほうが大きいのです」

 ザワヒリ容疑者は、今日のジハード運動の出発点となる事件に関わった人物だという。

「ジハード運動というと『9・11』を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、それはいわば、クライマックスです。すでに1970年代から始まっていて、本来は異教徒に対する戦いを意味しますが、自分たちイスラム教徒の国の政権がそもそも腐敗しており、彼らに対する内戦として開始されました。

 そのなかでいちばん重大な事件が、1981年に起きた、エジプトのサダト大統領暗殺です。ザワヒリ容疑者は、その事件に若手活動家として関与し、投獄されました。

 ザワヒリ容疑者はエジプト生まれで、カイロ大の医学部を出た医師。代々、医師か宗教学者というインテリ家系の出身です。近代のジハード運動はエリートが先導してきましたが、ザワヒリ容疑者も膨大な読書量で、本を丸暗記した“ガリ勉”でした。

 ビンラディン容疑者亡きあとは、組織のナンバーワンとなり、ビデオレターを出して、世界にジハード運動を拡散させました。しかし『フェイスブック革命』とも呼ばれる、2010年から2012年にかけての『アラブの春』では、インターネットの力が注目される中で、ザワヒリ容疑者のやり方は時代遅れとなりました。したがって、近年は直接的に権力を行使せず、象徴的な存在に留まっていました」

 今後、ジハード主義者の活動はどうなっていくのか。

「テロ組織などの非国家主体が、大国に挑戦する時代はひとつの終わりを迎えたといえます。これはプラスの側面です。

 米国は2020年2月、『ドーハ合意』によりアフガニスタンから撤退し、またロシア、中国の台頭により、アフガニスタンに関わる余裕がなくなりました。

 結果、『ハッカーニ・ネットワーク』と呼ばれる最強硬派の派閥のメンバーが加わるタリバン政権が再び誕生し、実際にザワヒリ容疑者も、政権によってかくまわれていました。同様に、アフガニスタン以外の地域でもジハード運動は存続し、政権獲得への戦いが各国で繰り広げられる可能性はあります。これがマイナス面。

 アルカイダの各地の組織も、実際的な指導力を失っていたザワヒリ容疑者の死によって、衰退することはないでしょう。イスラム国はそもそもザワヒリ容疑者と直接的な関係がなく、今後も勢力を保つと思われます。

 米国との戦争には勝てませんでしたが、米国が自分たちへの関心を失ったことで、ジハード主義者たちは比較的、自由に活動できるようになり、国家の理念としてのジハード運動は生き残ったと考えられるでしょう。かつて、タリバンがジハーディストをかくまっていた20年前と同じ状況、つまり振り出しに戻ったのです」

 再びジハーディズムの勢力が伸長し、テロという行動を起こさないことを願う。