戦闘機の世界では、モデル名に加えて愛称が付けられるのがいわば“お約束”です。そのなかで、とびきり怖い名前が、BTD「デストロイヤー(破壊者)」艦上爆撃機。ただこの機が実際に何かを“破壊”することはありませんでした。

SBD「ドントレス」などの後継として…

 軍用機の世界では、たとえばF-15「イーグル」、F-35「ライトニングII」といったようにモデル名に加えて愛称が付けられるのがいわば“お約束”です。そのなかで、とびきりおどろおどろしい愛称をもつモデルが存在します。――ダグラス社が開発したBTD「デストロイヤー(破壊者)」艦上爆撃機です。
 
 ただこの「デストロイヤー」、結論をいってしまうとなにも“破壊”することはできませんでした。


BTD「デストロイヤー」(画像:NASA)。

 BTD「デストロイヤー」は、主翼が途中で上方向に折れ、前方から見ると翼が「W」のような形状である「逆ガル・ウイング」や、当時の艦上爆撃機としては珍しい、前脚1本、主脚2本の「前輪式」のレイアウトなどが外観上の特徴です。まずは、同機の出自から遡っていきましょう。

「デストロイヤー」はアメリカ海軍のSBD「ドントレス(ドーントレス)」、カーチス社のSB2C「ヘル・ダイバー」の後継として開発が始められました。

 SBD「ドントレス」は第二次世界大戦下、サンゴ海海戦、ミッドウェー海戦において、急降下爆撃により日本の空母に大きな打撃を与え、太平洋戦争中の殊勲機として名を馳せました。なお、愛称の「ドントレス」は、“勇敢な”“我慢強い”といった意味を持ちます。

 SBD「ドントレス」はSB2C 「ヘル・ダイバー」の登場により空母機としては道を譲りました。「ヘル・ダイバー」の愛称は、鳥のカイツブリを由来とするもので、「ドントレス」より速く飛び、多くの爆弾を積むことができるなどのアップデートが図られました。

 1941年6月にダクラス社は、アメリカ海軍より、これら2機種の後継として新型空母搭載用の急降下爆撃機仮モデル「XSB2D」の発注を受けます。ただ、試作機の製作には難儀したようで、初飛行したのは1943年4月8日になってしまいました。このXSB2Dは、従来機より高速で、「ヘル・ダイバー」のほぼ2倍の爆弾を搭載できたと記録されています。

 これをベースにアメリカ海軍からの要求をもとに、複座から単座にするなどの改修が加えられ、1944年3月5日に初飛行をしたのが、BTD-1、すなわち「デストロイヤー」です。

デビュー後の「デストロイヤー」…なぜトホホ機に?

 こうしてデビューしたBTD「デストロイヤー(破壊者)」艦上爆撃機は当初350機近くの発注を獲得しましたが、実際の生産機数は30機弱にとどまっています。

 この理由としては、太平洋戦争の終結に目途がついたことはもちろん、BTD「デストロイヤー」を手掛けた名設計者、エド・ハイネマン氏によって、「デストロイヤー」の流れを汲む新型爆撃機「XBT2D」が、その直後に開発スタートとなったことが挙げられます。

 なお、「XBT2D」は、のちにA-1「スカイ・レイダー」と名付けられ、レシプロ艦上攻撃機の傑作機となり、3000機以上が生産されることになります。ちなみに、こちらの愛称「スカイ・レイダー」の意味は“空賊”。ただ、同機は当初「デストロイヤーII」と呼ばれていたそうです。まさにその意味ではBTD「デストロイヤー」は、「失敗は成功の始まり」のような飛行機だったのかもしれません。


フランスのル・ブルジェ航空博物館に展示されている A-1「スカイレイダー」(松 稔生撮影)。

 A-1「スカイ・レイダー」の影に隠れてしまい、生産も少数機のみにとどまったBTD「デストロイヤー」は、“同機が戦闘行動をとる姿を見た人はいない(None saw combat action)”という記録もあるほど、残念な結果となってしまいました。

 ただ、BTD「デストロイヤー」ではとある珍しい“改修”が検討されたことがあります。同機に搭載されているプロペラ駆動のレシプロエンジンに加え、コックピットの後ろから斜めに貫くようにターボジェットエンジンを追加搭載して混合動力化したもので、「XBTD-2」と名付けられ1944年5月に初飛行しました。ただ、速度の増加がほとんど見込めなかったほか、たとえばエンジン排気の熱で飛行甲板を傷める可能性があるなど、設計上問題があった、こちらの計画も破棄されてしまいました。