米国のスペースシャトル「コロンビア」が28回目の飛行に出発したのは、2003年2月1日のことだった。そしてコロンビアは、二度と戻ってくることはなかった。軌道上での任務を終えて乗組員が地球の大気圏に帰還した際に、宇宙船全体がばらばらに壊れてしまったのだ。シャトルの外部タンクから発泡断熱材の大きな破片が落下して左翼に衝突したことが原因で、搭乗していたNASAの宇宙飛行士7人全員が死亡した。

「スペースXのドキュメンタリー映画『リターン・トゥ・スペース』で語られたイーロン・マスクの“偉業”と、語られなかった真実」の写真・リンク付きの記事はこちら

この大惨事を経て米航空宇宙局(NASA)と米政府は、スペースシャトル計画の段階的縮小という苦渋の決断を下した。このころ、ほとんど無名の億万長者だったペイパル創業者のイーロン・マスクが立ち上げた宇宙探査のスタートアップが、スペースXである。

ロッキード・マーティンやボーイングのような大企業が支配する宇宙業界で、スペースXは何年も苦戦を強いられた。特に最初の3機のロケットがすべて失敗に終わったあとは、なおさらだった。

そんな不利な闘いを強いられたにもかかわらずマスクとスペースXは、低コストで再利用可能なロケットの開発になんとか成功した。打ち上げたロケットを安全に地上へ帰還させ、再び宇宙へ送り出せるようになったのである。

こうして2020年には、スペースXが打ち上げたカプセル型宇宙船「クルードラゴン」が、NASAの宇宙飛行士ボブ・ベンケンとダグ・ハーレイを国際宇宙ステーション(ISS)まで運んだ。ドラゴンはISSへのミッションを完了した最初の商業宇宙船となった。

Netflixの新作ドキュメンタリー『リターン・トゥ・スペース』で語られているのは、少なくともそんなストーリーである。

2022年4月7日に公開されたこのドキュメンタリー映画で、監督のエリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィとジミー・チン(代表作に『フリーソロ』)は、スペースXが2011年の最後のシャトル飛行からほぼ10年ぶりに、有人打ち上げを米国に復活させるまでの姿を徹底的に紹介している。

ロシアが大部分の国々によるソユーズ宇宙船の利用を拒否し、より安価に宇宙へアクセスできるUberやFedExのようなサービスを必要とする顧客が増えている昨今の事情を念頭に、この映画は20周年を迎えるスペースXを未来に必要な企業として描いている。よくできた映画ではあるが、こうした筋書きはものごとの一面しかとらえていない。

語られていないNASAの重要性

弁舌巧みなマスクの話を聞いていると、スペースXは宇宙飛行の新時代を開き、火星などの厳しい環境の惑星にコロニーを建設することで人類を救う存在のように思えるかもしれない。しかし、スペースXや同様の企業は、NASAやNASAとの契約なしでは存続しえないことも事実だ。

NASAはある時点で、その壮大な野望を実現するには一部の仕事を外部に委託しなければならないことに気付いた。そこでNASAは、芽生えたばかりの宇宙産業を下支えする基礎的な役割を買って出たのだ。そしていまもまだ、その役割を果たし続けている。

「宇宙へのタクシー」を誰が操縦するかにかかわらず、重要なのは軌道上やその先での活動である。確かにスペースXは、いま宇宙飛行士を軌道へと送り出し、補給物資を供給する重要なサービスを提供している。だが、NASAやその他の宇宙機関は、ISSを支え、宇宙放射線や微小重力下での生活が健康に与える影響について重要な研究を進め、地上の重要なインフラを維持する役割を担っている。

最後のシャトル飛行からドラゴンの開発までの数年間に、NASAは新たな有人カプセル型宇宙船のほかに多くの画期的な無人宇宙船を開発した。なかには深宇宙に乗り出し、太陽や火星、小惑星、木星、冥王星などへ向かった宇宙船もある。マスクの主張とは裏腹に、宇宙探査をリードしているのはいまでもNASAなのである。

深掘りされなかったマスクの言動

機材や乗組員を宇宙へ運ぶコストを下げようとするスペースXの取り組みが、革新的であったことは真実である。チン監督は『WIRED』US版のインタビューで、スペースXは文字通り「異なる成層圏に到達した」とまで語っている。

このように『リターン・トゥ・スペース』は、スペースXの取り組みを称賛している。一方で、同社の発射施設や同社が構築する衛星コンステレーション「スターリンク」による環境上の懸念など、多くの欠点についてはほとんど触れていない。

2時間に及ぶ映画はカリスマ的な宇宙飛行士に多くの時間を割いているが、マスクの不安定で気まぐれな言動については、あまり触れていない。火炎放射器に関するマスクのツイートや、ジョー・ローガンのポッドキャストへの出演については言及しているが、Twitter上でのジャーナリストへの攻撃や、新型コロナウイルス感染症への懸念に対する無神経な否定、短命に終わったドナルド・トランプ前大統領との親交については省かれている。

ヴァサルヘリィ監督は、自分もチン監督もマスクという人物の「複雑さ」を伝えたかったとする一方で、「これはイーロンに関する物語ではない」とも語っている。確かにそうかもしれない。だが、マスクという人物とスペースXの軌跡は人々の意識において表裏一体であり、片方を深く掘り下げ、他方をそうしないようでは手抜きにも感じられる。

Return to Space

Courtesy of Netflix

『リターン・トゥ・スペース』は、ほかの宇宙企業についてはわずかに言及するのみとなっている。しかし、宇宙飛行士を軌道に運べる企業がいまのところ主にスペースXだけであることを考えれば、これは理にかなった選択とも言える(ブルーオリジンとヴァージン・ギャラクティックの宇宙飛行は周回軌道に到達していない)。

とはいえ、スペースXと競合するブルーオリジンとユナイテッド・ローンチ・アライアンスは独自の大型打ち上げロケットを開発中である。ノースロップ・グラマンとシエラ・ネヴァダ・コーポレーションはスペースXと同様に、ISSへの補給物資運搬でNASAと契約を結んでいる。

また、打ち上げられた宇宙船が「米国の国土」へと帰還することに対する称賛がナショナリズムの発現であるという懸念について、映画においても議論があったほうがよかったかもしれない。

宇宙探査には競争と主導権争いの要素がつきものであり、今後もなくなることはないだろう。一方で宇宙探査は、突き詰めれば人類全体が主導する共同事業のはずである。

実際のところ、カナダや欧州、日本の宇宙飛行士は、米国から打ち上げられる宇宙船に乗ることに何の抵抗も抱いていない。ある国による地上と軌道との行き来を別の国が助けることは、もともと悪いことでも何でもないのだ(ロシアによるウクライナへの侵攻によって事情は変わってしまったかもしれないが、今後そうした考えが復活する可能性はある)。

『リターン・トゥ・スペース』の中盤、スペースXが初めてロケット「ファルコン9」の着陸に成功した場面では、ヨハン・シュトラウスの音楽が大きく鳴り響き、『2001年宇宙の旅』を思い起こさせる。「最後に下に降りてきて、絵に描いたように完璧に狙い通りに着地した瞬間は、まさに一生忘れることのない思い出のひとつです」と、スペースXのシニアエンジニアのラーズ・ブラックモアがカメラに向かって語る。

そして次に映されるNASAの元副長官のロリ・ガーヴァーが、ブラックモアの言葉に暗に込められたメッセージについて具体的に補足する。「イーロンとスペースXは宇宙産業を一変させました。あらゆる部品が再利用可能だからです。いまや彼らは、従来の10分の1のコストで打ち上げを可能にしたのです」

それは真実かもしれない。だが、そのコストを負担しているのは、いまだにNASAなのだ。

(WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)

※『WIRED』による宇宙の関連記事はこちら。スペースXの関連記事はこちら。


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