By NASA

「ミッキーマウス」をはじめとするキャラクターの生みの親で、ディズニーリゾートの創立者でもあるウォルト・ディズニーが実は原子力発電が好きだったという理由について、ブロガーのネッド・ドノヴァン氏が解説しています。

How Disney Became a Nuclear Power

https://neddonovan.substack.com/p/how-disney-became-a-nuclear-power

ウォルト・ディズニーが原子力発電に対する好みを表わしたのは、「アラジン」が生まれる40年前ほど前にあたる1957年のこと。当時の世界情勢は1953年12月に時のアイゼンハワー大統領が「平和のための原子力」という演説で核兵器の軍事的利用から平和的利用への移行を呼びかけたばかりのタイミングで、原子力発電に関する関心が特に高まっていた時期でした。

この時期にウォルト・ディズニー肝いりの番組シリーズ「ディズニーランド」の中で放映されたエピソードが「Our Friend the Atom(私たちの友、原子力)」。このエピソードの冒頭でウォルト・ディズニーは手の中で原子の模型をくるくると回しながら「原子力は私たちの未来です」と語ります。



続いてウォルト・ディズニーは「私たちは原子力が重要になるという認識から、いくつかの原子力プロジェクトに着手しました」といいながら核科学主任研究員という肩書きのハインツ・ハーバー教授を紹介。このハーバー教授がパカッと本を開くとアニメーションシーンが始まり、まさしくアラジンの原型といえる「ターバンを被った男がランプをこすると魔神が出てくる」というシーンが再生され、アインシュタインのE=mc2の解説がスタートします。





By MHarrington

ムービー自体やハーバー教授がかつてナチスの熱心な支持者というウワサがあった点も「シュール」だとドノヴァン氏は語りますが、ウォルト・ディズニーの原子力への熱意はこの「Our Friend the Atom」だけでは終わらなかったとのこと。その例としてドノヴァン氏が挙げているのが、かつてウォルト・ディズニーが所有していた約40平方マイル(約104平方キロメートル、東京ドーム2200個分)という広さの土地「リーディ・クリーク改善地区」です。

一説によると、ウォルト・ディズニーはカリフォルニアのディズニーランドの成功を受けてフロリダに「ディズニーワールド」を建設しようとした際、ディズニーランドの周辺に無秩序に建設されまくったテナントを嫌っていたとのこと。こうして第三者にテナントを勝手に建てられないようにウォルト・ディズニーが欲したのが広大な土地で、この求めに応じたのがフロリダ州でした。

前述の経緯からウォルト・ディズニーは地区内の完全なコントロールを欲したため、フロリダ州議会にほぼ完全な自治権を要請。同地区の市議会はディズニー社の上級従業員で構成されており、建築規制・上下水道施設・消防・法執行機関・道路などまでディズニーが強権を振るえたとのこと。

そしてこのリーディ・クリーク改善地区についてフロリダ州議会に要求する際、ウォルト・ディズニーが特に求めたというのが「原子力発電所を自由に建造する権限」だったそうです。このようにウォルト・ディズニーは原子力に対して強い関心を示し続けましたが、1966年12月15日に肺ガンによる肺炎で死去。上述の権限のためにディズニー社は同地区の中に原子力発電所を建造こともできましたが、結局地区外から電気を引くようになり、2014年に同地区に建ったのはディズニー・ワールドで回収された生ゴミから電力を生成するバイオガス施設でした。