「納豆」の作り方、グルタミン酸が増す”基本的な混ぜ方”を伝授!:世界!ニッポン行きたい人応援団

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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時〜)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は「ニッポンにご招待したら人生が変わっちゃった!感謝のビデオレターが届いちゃいましたスペシャル!」をお届けします。

納豆工場を設立し、売り上げが3倍に!


まずご紹介するのは、アメリカ・バーモント州に住むショーンさん、イライジャさん夫婦。


3年前に出会ったお2人が愛してやまないのがニッポンの「納豆」。「ニッポンほど発酵食品の種類が多い国は世界にないと思います。美味しいだけでなく、食べるだけで健康になれる! 発酵食品の中でも特に栄養豊富な納豆が大好きなんです」とショーンさん。

世界屈指の長寿国・ニッポンの食生活に欠かせない発酵食品。食材を発酵させることで栄養価が高まり、新たな健康効果を生み出すスーパーフードです。中でも、人間に必要な5大栄養素すべてを含んだ完全食といわれている「納豆」。その始まりは今から900年以上前。武将・源義家が兵糧にと貰った煮豆が戦の間に発酵し、糸を引く豆になったといわれています。

ショーンさんとイライジャさんは、20歳の頃、日本食レストランで食べた納豆の味に感動し、その虜に。ニッポンに行ったことがない2人は、本やインターネットを使い、独学で試行錯誤すること40年! 必要な機材を揃えるために貯金をほとんどつぎ込み、夫婦二人三脚で納豆作りに没頭しました。6年前からインターネットで販売もしています。


7人のお孫さんたちもみんな納豆好き。しかし、独学ではやはり限界が...。「ニッポンの納豆のような粘りがどうしても出ないんです。ニッポンの職人さんが納豆の旨味である粘りをどうやって生み出すのか学びたい」というショーンさんご夫婦を、ニッポンにご招待!

訪れたのは、群馬県下仁田町。「納豆を炭火発酵させる伝統的な製法に興味がある」という2人は、炭火の熱で納豆本来の旨味を極限まで引き出す昔ながらの炭火発酵を受け継ぐ、日本でも数少ないお店「下仁田納豆」へ。2代目の南都隆道さんと奥様の由美さん、職人さん全員で出迎えて下さいました。まずは、念願だった炭火製法の納豆をいただきます。南都さんは、「右に51回、左に15回、最後に右に5回、それを3セット」と混ぜ方を伝授。

納豆の粘りの正体は、昆布の旨味成分と同じグルタミン酸。粘りが増すほど旨味も増すため200回以上混ぜるのが南都さんのこだわり。混ぜた後の粘りを見て、2人は「ワーオ! すごいまろやかさです。こんなの初めて見ました」とビックリ。


納豆を口にしたショーンさんは、「すごく旨味を感じます。大豆本来の甘みも感じます。天国にいるみたいだ」、イライジャさんも「これは私の知ってる納豆とまったく別物です」とうっとり。そんな2人を見て、南都さんも「こんなに真剣に食べていただけるのは嬉しいな」と笑顔に。


「下仁田納豆」こだわりの製法を見せていただくことに。納豆菌はタンパク質が多いほど活発になり、粘りも増加するため、「下仁田納豆」では、地元の農家さんに改良してもらったタンパク質豊富な品種の大豆を使用しています。丸1日水に浸して2倍の大きさになった大豆に、ジョウロを使って納豆菌をまんべんなく振りかけます。


アメリカでは軽量カップで菌をかけていたショーンさんはジョウロに興味を持ち、「これなら大豆一粒一粒に納豆菌を行き渡らせることができますね」とメモ。続いて、菌をつけた大豆を容器に詰めますが、ここにも旨味を引き出すこだわりがありました。「下仁田納豆」で使う容器は、経木(きょうぎ)でできています。経木とは木材を薄く削ったもので、日本人にとっては昔から身近な存在。


保湿性と通気性を併せ持つ呼吸する素材で、食べ物を腐りにくくする効果もあります。さらに、経木の原料・アカマツにも、納豆の粘りと同じグルタミン酸が含まれているので、粘りが増えるのです。

そして、納豆の旨味を極限まで引き出すのが炭火発酵。ヒーターで温度を自動管理するのが一般的な発酵方法ですが、炭火発酵は、七輪で燃やした炭の熱で室を温めて発酵を促進。遠赤外線効果で大豆を芯から温め、ふっくらとした風味豊かな納豆に仕上げます。


大変なのは温度管理。納豆菌の発酵に最適な温度は40度で、温度を一定に保たなければ良い粘りが出ません。温度が高くなりすぎたら、天井の空気口を開けて調節します。絶えず人の目でチェックすること20時間! 旨味あふれる「下仁田納豆」が完成しました。「実際に自分の目で見たり食べたりすると得るものが全然違いますね」とショーンさん。その後も、3日間に渡って納豆作りを学びました。

別れの時。「皆さんの知識や経験を惜しみなく教えていただき感謝します。アメリカに来たら、ぜひ私たちの納豆工場に遊びに来てください」とショーンさんが感謝の手紙を読み上げます。すると南都さんが、ショーンさんが気に入っていたジョウロをプレゼント!


心のこもったプレゼントに、「イエス! ワーオ!」と大喜びでした。

あれから2年半。ショーンさん・イライジャさんご夫婦からのビデオレターを「下仁田納豆」の皆さんに届けます。早速、見せたいものがあるとのこと。以前は自宅のキッチンなどを利用して納豆を作っていましたが、もっとたくさんの人に納豆を食べてもらいたい、という思いが強まり、今年の1月に貯金をはたいて納豆工場を建設。


以前は夫婦2人だけで作っていましたが、今は5人の従業員を雇っています。新工場で作るショーンさんの納豆がこちら!


粘りが出ないのが悩みでしたが、今は粘りと旨味が格段にアップ! 作り方にも進化がありました。大豆を一晩水に浸し、2倍の大きさになるまでしっかり浸水。専用スチーマーで3時間蒸します。続いて柔らかくなった豆に納豆菌をまく作業。ここで活躍するのが南都さんからいただいたジョウロです。


「このジョウロで納豆菌をかけると大豆一粒一粒に納豆菌が行き渡って、旨味と粘りが格段に増えました」とショーンさん。奥様の由美さんも「プレゼントできてよかった」と嬉しそう。

カップに大豆を100グラムずつ詰めたら、新たに造った一度に2000個の納豆を発酵させることができる20平米の室で発酵させます。「本当は炭火発酵をやりたいのですが、今は人手が足りず、できていません」とショーンさん。炭火発酵を行うには、人の目で休みなく発酵具合を監視する必要があります。それでも「下仁田納豆」に少しでも近づけたいと、南都さんの室を参考にしたそう。「空気の循環や温度管理が大切だと学んだので、壁に空気口を2つ付けて、室の空気をコントロールしています」。


室の温度も「下仁田納豆」と同じ40度を保つように設定。「今はヒーターを使っていますが、従業員を増やせるようになったら炭火で納豆を作ってみたいです」と話します。

発酵させること18時間。進化したショーンさんの納豆が完成しました。


南都さんご一家に、ショーンさんが送った納豆が届きます。器を開けた途端、「色があの時と違う」「違うね、すごい色が綺麗!」「粉の吹き方もいい感じ」と次々に感想が。混ぜてみると粘りも格段にアップしていました。


「美味しい!」「美味しい!」「これなら日本でも売れる!」と箸が止まりません。長男・歩さんも「下仁田納豆を食べてるのかなというくらいの美味しさがある」と大絶賛。南都さんは「劇的に変わったね。98点! 2点は(大豆を)煮すぎかな」とのこと。

ニッポンの一般的な納豆は1パック40グラムから50グラムですが、ショーンさんの納豆は、2倍の100グラムで約400円。オーガニックにこだわっているため値段は高めですが、作り方の進化で格段に美味しくなったことで世界最大級のスーパーからも注文が入り、1年間の売り上げが約4万3000個と3倍になったそう。イライジャさんは、アメリカで有名な健康食品の番組に出演し、納豆の魅力を熱弁。


「アメリカのテレビ番組で扱っていただけるなんて」と感無量の南都さん。ビデオレターには、お孫さんたちがおやつに納豆を食べているシーンも。


「右に51回、左に15回、最後に右に5回だよね」とお孫さんも南都さんの混ぜ方をマスター。
「納豆食べて大きくなれよ〜」と南都さん。由美さんは「我が家の娘も息子も6カ月から食べてますから。納豆を食べるといい子になるって」とニコニコ。

ショーンさんとイライジャさんをニッポンにご招待したら、納豆工場を建設し、アメリカで納豆を広めていました!

収入が倍になり、急須職人として生活できるまでに!


続いてご紹介するのは、アメリカ・ワシントン州に住むアルトゥーロさん。


1年半前に出会ったアルトゥーロさんが愛してやまないのはニッポンの「急須」。「お茶の味と香りを抜群に引き出してくれるニッポンの急須は本当に素晴らしいです」と話します。古くから日本人の食卓に欠かせない急須は、江戸時代、湯沸かしやお酒を温める道具として伝来。武家や貴族の飲み物だった煎茶が庶民に広まると、手軽にお茶を入れる道具として使われるようになりました。さらに茶こしがつけられるなど、ニッポン独自に発展。

アルトゥーロさんは、3年前から試行錯誤しながら急須を自作。車庫だった場所を急須工房に変え、日々急須作りに励んでいます。


すでに自作の急須を販売していますが、理想の急須には達していないよう。「僕が作る急須は完璧ではありません。もっと美味しくお茶が楽しめるような急須作りをニッポンで学ぶのが夢なんです」と話すアルトゥーロさんを、ニッポンにご招待!

お世話になる職人さんに失礼がないように…と、ひげを剃って初来日。


向かったのは、急須の名産地・愛知県常滑市。陶芸歴55年の村越風月さんが出迎えてくださいました。使いやすく美しい「常滑焼急須」を長年追求し、人間国宝に選ばれた三代・山田常山(やまだじょうざん)に15歳で弟子入り。人間国宝の技を受け継ぎ、急須で初めて日本工芸会賞を受賞するなど、常滑焼を代表する陶芸家です。


村越さんの急須の最大の特徴は、日常の使いやすさにこだわった「用の美」。まさにアルトゥーロさんが目指す急須そのものです。


煎茶道の師範である奥様が村越さんの急須でお茶を入れてくださいました。大切なのは温度と時間。 ぬるめのお湯でゆっくり淹れると甘みの強いまろやかな味に、高温のお湯でさっと淹れると 香りが立ち、すっきりとした味に。温度と時間を変えて香りや味の変化を楽しみます。「こんなに美味しいお茶は初めてです。ここは天国ですね」と感動するアルトゥーロさん。


そしていよいよ、念願の急須作りを見せていただくことに。向かったのは村越さんのお宅のお庭。そこには、原料となる田んぼの土「田土(たつち)」が。田土には鉄分が豊富に含まれており、お茶の渋味を抑える効果があるそう。


田土を水を張った甕で攪拌して不純物を取り除き、こし器にかけます。この工程を1日2回、1カ月間繰り返し、軽くてきめ細やかな土だけにしていきます。出来上がった土を触らせていただくと、とても滑らか。焼き上げると土に含まれる鉄分が酸化し、常滑焼独特の朱色に変わるといいます。

続いて急須の胴の部分の作り方を見せてもらうと、ろくろを使ってものの5分でできてしまいました。「この速さで形を整えるなんて、まさに神技です!」と驚くアルトゥーロさん。この胴にこそ、使いやすさの秘密がありました。村越さんはアルトゥーロさんに糸を渡し、せっかく作った急須を半分に切るよう指示します。


そこにはわずか2ミリの薄さの断面が。実はこれこそ村越さんが見せたかったもの。この断面の薄さが急須の使いやすさの秘密だったのです。これ以上薄いと強度が足りず、厚いと重くなってしまう絶妙な強度と重さのバランス。急須は芸術品ではなく、日用品。だからこそ、外見からは分からない薄さにもこだわるのだと。

アルトゥーロさんも薄い胴作りに挑戦しますが、失敗してしまいます。村越さんは、指先の感覚と絶妙な力加減で、満遍なく同じ薄さに仕上げていたのです。「頑張ればできる」と励まされながら挑戦すること10回。何とか合格点をいただきました。


続いて作るのは急須の蓋。村越さんはひとつ作るのに3分かからず、次々と作っていきます。それを見ていたアルトゥーロさん「大きさを測ったりしないんですか?」と素朴な質問を。完成した胴と合わせると、測っていないのにどれもピッタリ! 「感覚だけで同じものが作れるなんて、信じられません」と驚くアルトゥーロさんに、「私は50年以上やっていますので」と笑顔で返す村越さん。限られた時間で少しでも感覚をつかんでもらおうと、暗くなるまでつきっきりで指導してくださいました。


翌日は茶こしの作り方を教えていただきます。「一番知りたかった工程です」と話すアルトゥーロさんがアメリカで作っていた茶こしは、胴にキリで直接穴を開けたもの。「茶こしを別に作ってから付けるのが正しいのですが、僕の技術ではうまくいかなくて…」穴も村越さんのものに比べるとかなり大きめでした。村越さんは先を丸めた木の棒で土をドーム状にしてからある道具を取り出しました。それは「ポンス」と呼ばれる茶こしの穴を作る道具。


ポンスを使ってドーム状の下から穴を開けていきます。一見すると簡単に見えますが、実はかなり神経を使います。穴の面積が大きく、数が多い方が目詰まりが少なく注ぎやすいのですが、開けすぎると焼いた時に割れてしまうことも。中心は穴の小さいポンスに変えて穴を開けます。アルトゥーロさんも挑戦させてもらいましたが、穴の間隔が離れてしまいました。


ここからは、急須を組み上げる作業。まずはコンパスで胴に穴を開け、水で溶いた泥を塗り、茶こしを接着します。そこに注ぎ口と持ち手をつけますが、ここに、急須の使いやすさを決める大切な2つのポイントが!


ひとつ目のポイントは持ち手の角度。注ぎ口に対して持ち手を直角より内側に向けること。角度は88度か87度。人は持ち手を持って内側に注ぐので、少し内側に向けて付けることで注ぎやすさが格段に良くなるそう。これこそ、人間国宝、三代・山田常山から受け継ぎ、使い勝手を突き詰めた究極の角度だったのです。

2つ目のポイントは注ぎ口。注ぎ口を接着したら最後に先をカットしますが、これも水平ではなく、わずかに持ち手側に傾斜させます。こうすることで液だれしにくくなるそう。注ぎ口が水平なアルトゥーロさんの急須はお茶を注いだ時に液だれがありましたが、村越さんの急須は切れが良く、最後の一滴まで美味しく飲めるように作られています。「注ぎ口を斜めにするアイデアは僕もすぐに使いたいです」。飽くなき探究心から生まれた匠の技に感心していました。


自分で作った急須を組み立て、いざ注ぎ口を切ってみると、十分に薄くできていなかったため、穴が小さくなってしまいました。村越さんに微調整していただき、組み立て完了! 1週間乾燥させた後に窯で焼き、村越さんが仕上げてがアメリカに送ってくださることに!

別れの時。村越さんから茶こしの穴を開ける「ポンス」をプレゼントしていただきました。村越さんが使っている「ポンス」は、現在販売されていない貴重なもの。アルトゥーロさんも「こんな貴重なものを! 信じられません」と感無量。


あれから1年。アルトゥーロさんから届いたビデオレターを村越さんのもとへ届けます。
「これは村越さんと一緒に作らせてもらった急須です。今ではお茶を飲む時に一番使用する急須となりました」。


「ニッポンで学んだことを忘れないように、細部を観察しながら急須を作っています」とのこと。急須はネット通販を中心に販売し、お客さんの評判も上々。急須を販売しているお店のオーナーも「帰国後のアルトゥーロさんの急須はすごく持ちやすくなり形も良くなりました。以前にも増して沢山のお客さんがアルトゥーロさんの急須を待ち望んでいます。ついこの間送ってもらった20個の急須は4日間で売り切れてしまう盛況ぶりです」と話します。

ニッポンに来る前は月に平均15個だった急須の売り上げも今では倍の30個売れるようになり、8月はなんと50個以上売れて、約52万円と過去最高の売り上げだったそう。「急須職人として生活ができそうです。本当にありがとうございます」。


急須作りの様子も撮影してくれました。まずは胴から。村越さんは「しっかりできてると思う。特にフタ受けのところが」と感想を。


続いては「茶こし」作り。「いただいたポンスを使っています。1000回練習するといいましたが、穴は2万4000回以上開けました」。


急須作りも終盤。「取手はつける時の角度に気をつけます。90度ではなく87度にします」と村越さんの教えを守り、注ぎ口も習った通り少し斜めにカット。完成した急須を、村越さんに送って見ていただくことに。


「軽くできてるなぁ。ここ(フタ受け)はよくできてる。全体のバランスが上手に取れてる。品が出てきたね」と村越さん。「アメリカの急須の代表者になって欲しいな」と、勉強熱心なアルトゥーロさんの将来に期待を寄せていました。

アルトゥーロさんをニッポンにご招待したら、アメリカで絶賛される急須職人になっていました!

ハンガリーの子どもたちに自作のそろばんを提供するバイダさんのその後は…


最後にご紹介するのは、ハンガリー南東部の町・マコーに住む、バイダさん。


出会ったのは4年前。バイダさんの案内で自宅裏の作業場のような場所に行くと、見せてくださったのはニッポンの「そろばん」。


「そろばん作りが私の生き甲斐なんです」と話すバイダさんは、元小学校の技術の先生。29年前にテレビで見たニッポンのそろばんに感動。その情熱を抑えきれず、自宅の裏庭にそろばん用の工房を作ったのです。洗濯機のドラムを利用した機械でそろばんの珠に油をなじませ、ローラースケートの車輪を利用した機械で外枠を固定。元技術教師の経験を活かして機械から全て自作し、この工房で年間1000挺(ちょう) 近くのそろばんを作っています。


大量に作っているのには理由がありました。バイダさんに案内されて行った小学校では、子どもたち1人に1つずつそろばんが。これらはすべてバイダさんが作ったもの。


「ニッポンがそろばんをハンガリーに伝えてくれたから、多くの小学校が授業で使っています」。実は今、海外でそろばんに注目が集まり、世界100カ国以上に広まっています。バイダさんによると、ハンガリーでは約4割の小学校でそろばん教育が導入されているそう。「ニッポンのそろばんを使わせてあげたいのですが、値段が高く、多くの家庭では買えません」とバイダさん。「少しでも多くの子どもたちにそろばんを使ってほしい」との思いから、そろばんを材料費ほどの低価格で提供しています。「本当はニッポンでそろばん作りを学びたいのですが、その経済的余裕が今はない」というバイダさんを、ニッポンにご招待!

向かったのは、ヤマタノオロチ伝説の舞台にもなった島根県奥出雲町。奥出雲町は、180年以上の歴史を持つ「雲州そろばん」の生産地。兵庫県小野市の「播州そろばん」と並ぶそろばんの二大産地です。その良質なそろばんは、国の伝統的工芸品にも指定されています。

珠算教室で子どもたちの驚異的な計算力に驚いた後、訪れたのは「雲州そろばん協業組合」。出迎えてくださったのは、岩佐俊秀さん。バイダさんが「この地域はなぜそろばん製造が盛んなのですか?」と聞くと、「私どもの材料は非常に硬い材料を使います。良い刃物がなかったらそろばんが作れなかった」と答える岩佐さん。古来より日本有数の砂鉄の産地だった奥出雲。現在でも世界で唯一「たたら製鉄」で優れた鋼が作られている、刃物の伝統が息づく町です。良質な刃物で腕利きの職人が手がけたそろばんは、いつしか「質の雲州そろばん」と呼ばれるようになり、奥出雲はそろばんの一大産地に。その伝統を受け継ぐこちらの組合では、主に全国の珠算塾などで使われるそろばんを生産しています。


岩佐さんが、「そろばんの伝統工芸士の中で一番若手!」という内田文雄さんを呼んでくださいました。内田さんは職人歴半世紀以上、そろばんで初めて現代の名工に選ばれた方。180以上ある工程すべてをひとりでこなす数少ない職人さんで、製作には約1カ月かかり、最上級のそろばんには15万円以上の値がつくそう。バイダさんが自作したそろばんを見ていただくと、「珠が結構揃ってますね。正確な仕事ができている。お手本なしでここまで出来れば大したもんです」と内田さん。

「そんな言葉をいただけるなんて思ってもみませんでした」と嬉しそうなバイダさん。

バイダさんのそろばんとニッポンのそろばんの違いは珠の形。ニッポンのそろばんは素早く正確に計算することが求められるため、指にかかりやすい形と滑らかな動きが重要。珠と軸は、わずかな誤差も許されないといいます。その秘訣を特別に教えていただけることになりました。

工房では、7人の職人さんの手で、年間約2万挺のそろばんが製作されています。まずは、軸を枠にさす「竹差し」という工程。ここに珠が滑らかに動く秘訣がありました。「これは竹の皮の表の一番硬いところですね。裏は竹の内側です。ここが一番硬いので長らく使っても摩滅しない」と内田さん。最上級のそろばんの軸に使われるのは、煤(すす)竹と呼ばれる、葺き屋根などで長年燻された竹。


乾燥した普通の竹よりも硬く滑らかで、こうして作られた軸には、竹の内側の柔らかい面と、外側の硬く滑らかな面があります。枠に挿す時は、硬い皮の方が上になるように揃えます。珠は上から指で弾くため、こうすることで磨耗しにくく滑らかな動きを保てるそう。


「ニッポンのそろばん作りがここまで細かいとは私の想像を超えていました」とバイダさん。

珠入れの工程にも驚きの職人技がありました! 珠がたくさん入っている箱の中で枠を左右に振るだけで、あっという間にすべての軸に綺麗に珠が入ってしまったのです。


「魔法のようだ!」と驚きの連続。この続きはまた次回ご紹介します!

そして、今夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、「ニッポンの職人技を愛する外国人大集合!SP」をお届けします。


▼「筆と硯の作り方を見てみたい」アメリカ人男性
約2年前、ニッポンにご招待。その際、愛知県豊橋市にある江戸時代から200年続く手仕事を受け継ぐ嵩山工房や、山梨県早川町雨畑にある約700年の伝統を受け継ぐ硯匠庵で最高級の筆や硯の作り方を学んだ。そんな彼からビデオレターが届く。そこには嬉しい報告が…。

▼「そろばんの製造技術を学びたい」ハンガリー人男性
約4年前、ニッポンにご招待。雲州そろばん協業組合で180年以上の歴史を持ち、国の伝統的工芸品に指定されている「雲州そろばん」の作り方を学んだ彼からビデオレターが。帰国後、驚きの進化を遂げていた! そして彼をご招待した組合側にも大きな反響があり…。

どうぞお楽しみに!