7月4日に再開するJリーグ。2月21日に開幕したものの、翌2節から中断に入ったので、4ヶ月半ぶりの再開になる。昨季の最終戦が行われたのは12月7日。したがって、直近の7ヶ月の間で行われた試合は、今季開幕戦のみということになる。

 代表チームの場合は、国内組で臨んだ東アジアE1選手権(2019年12月10日〜18日)が最後になる。代表チームの試合間隔はもともと空きやすいものだが、とはいっても3、4ヶ月がいいところだ。ここまで動きが止まったことは過去にない。

 五輪チーム(U-23)しかり。なにより、東京五輪の開催そのものが危ぶまれはじめている。18人枠を巡る争いにスポットが当てられるなど、活気づいていた3、4ヶ月前が懐かしい。様相は当時とガラリ一変してしまった。

 この中断期間の間に、それぞれの優劣及び勢力図には、大きな変化が起きているものと思われる。Jリーグには、もともとバルセロナとマジョルカのような、上位が下位に4-0で楽勝する試合は存在しない。上位と下位との差はこの中断を経て、さらに拮抗するのではないか。混沌とした状況に拍車が掛かるのではないか、と見る。

 変わらぬものはなんだろうか。変化しにくいのはチーム力より個人の力だ。サッカー界でよく言われる台詞に「技術は死なない」がある。遠藤保仁や中村俊輔さらにはイニエスタがそうであるように、大ベテランになっても現役でいられる理由は、ひとえにその高い技術に起因する。「一度習得した技術はそう簡単には衰えない」のである。体力も必要だが、技術あっての体力となる。

 50mを何秒で走るか、など体力は測定が可能だ。数値に置き換え可視化できるが、技術は完全に見た目になる。巧いか下手かの基準は立派な主観だ。「あの選手、巧いよね」は、サッカー独得の感想になる。

 100人いたらほぼ100人が巧いなと思う選手。巧いと一口にいっても種類は様々だが、大多数がそれでも巧いと認めざるを得ない選手と言われれば限られてくる。

 その昔、関東大学リーグを毎週取材していた頃、断然、巧かったのは風間八宏だった。1979年ワールドユースを戦った日本チームの中で、年少組ながら全試合スタメンを飾った時点で、明らかになっていた事象だが、筑波大学に入っても1年から、次元の違う個人技を発揮していた。

 久保建英を語る時、引き合いに出されるのは小野伸二になるが、その前は誰になるかと考察すれば、風間八宏に行き着く。「巧い」の概念を更新した選手という意味において、小野、久保と同じ類で括られる。

 大学時代に日本代表入りしたものの、卒業して直ぐにドイツに行ってしまったため、代表歴はそこから伸びず、日本でプレーしていなかったので、日本在住者にとって、その全盛期の印象は限られている。

 帰国したのは1989年。28歳の時だった。そしてドーハの悲劇で知られる1994年アメリカW杯アジアが近づくと、筆者は代表に入れるべき選手として、その名前を挙げた。年齢的には少々厳しくなっていたが、技量的に見て外せない選手だと思ったからだ。

 だが、時の代表監督ハンス・オフトが選択したのは、同じくマツダSC→サンフレッチェ広島と進んだ森保一だった。風間と森保。ボール技術を比べれば、玄人と素人ぐらいの差があった。圧倒的に巧い風間に対し、森保はボール回しをすれば、直ぐに鬼になってしまうほど、巧くなかった。

 ラモス瑠偉ありきだったからだ。森保の存在は、ほぼ守備をしないラモスとコンビを組む相手という設定になったことで浮上した。

 風間と森保の微妙な関係は、お互いが現役を退き、監督になってからも続いている。 2018年ロシアW杯が近づくにつれ、ハリルホジッチの采配は、怪しくなっていった。結局、W杯本番の2ヶ月前にハリルは退任。西野朗氏と交代したが、それ以前にも交代か? と囁かれていた時期があった。それと、風間の川崎フロンターレ監督退任報道が、ほぼ同じタイミングだったことから、次は風間ではないかと囁かれることになった。