大下容子アナ「コンプレックスの塊」だった彼女が、テレビ朝日の“昼の顔”になるまで
テレビ朝日系昼の情報番組『大下容子ワイド!スクランブル』のメイン司会を務める大下容子アナウンサー。キャリアを重ねるなかで冠番組への思いや仕事への矜持、意外な素顔を直撃インタビュー!
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「最初は戸惑っていましたが、同世代の女性や先輩、後輩、多くの方が喜んでくださり、“頑張って”と声をかけられて、そういうふうに思ってくださる方がいることは、ありがたいなと思います」
こう語るのは、テレビ朝日の大下容子アナウンサー。
テレビ朝日の“昼の顔”
4月から自身の名前がついた同局系昼の情報番組『大下容子ワイド!スクランブル』で、メイン司会を担当する。1998年から同番組のサブMCを務め、冠番組で文字どおり“昼の顔”に。
「ひとえに番組が続いてきたおかげです。番組を担当して21年目、結婚も出産もなく、フラットにきてしまいました(笑)。女性は節目があって、続けたくても続けられない先輩後輩もいます。ずっと担当しているのは、さまざまな条件が重なっただけですので、みなさんに感謝したいです」
’93年に入社。現在は、アナウンス部の女性では最年長に。“女子アナ30歳定年説”ともいわれるが、『SmaSTATION!!』(2001年〜’17年)が始まり30代から40代半ばまで週6日、生放送をこなす生活が続いた。
「とにかく体調を崩さないように気をつけて、毎日やるべきことをやって、自分の役割を果たすことを必死にやっていました。
気がつけば年齢を重ねていましたが、いま考えてみると、それは充実していたことでもあります。夢中になれる仕事に恵まれたという意味では、とても幸せなことだと思います。
40歳を過ぎたあたりから、年齢はあまり考えなくなりました(笑)。作家の下重暁子さんも著書で“年齢を捨てなさい”とおっしゃっていて、そこでしばられてもしょうがない、と。
自分が納得する毎日を送ることができればいいのかなと思います。人生を終えるときに納得した人生、精いっぱいやったと思えれば、どう見られてもいいかなと、人のことは気にしなくなりました。これって、開き直りでしょうか(笑)」
コンプレックスの塊
五輪取材が転機に
アナウンサーを目指したのは就職活動中。金融、商社、メーカーなど受ける中、選択肢のひとつがテレビ局だった。
「自分が何に向いているのか、何をしたいのかもわかりませんでしたので、いろいろな業種の方にお話を聞きました。アナウンサーは、試験が進むに従って執着心が湧き、どうせ落ちるなら悔いなくやりたい、そして、試験を受ける中で友達になった丸ちゃん(丸川珠代/アナウンサーから参議院議員に転身)に“アナウンサーになって一緒に頑張ろうよ!!”と言われたひと言で、現実的に取り組むことができました」
難関のアナウンサー試験に合格し、丸川と同期アナに。他局には雨宮塔子(TBS)、角田久美子(日本テレビ)、八塩圭子(テレビ東京)らがいた。
「みんながキラキラして見えました。アナウンサー研修ではいちばん下手で、広島弁のアクセントが抜けず、地味でコンプレックスの塊でした。とにかく練習しかない。華やかさを追い求めてもないものねだり。自分の与えられた仕事に最善を尽くすしかない。仕事ぶりでみなさんに信頼されるアナウンサーになるしかないな、と思うようになりました」
アナウンサーのターニングポイントに、’98年の長野冬季、2000年のシドニー夏季と2度の五輪取材をあげた。
「昔からスポーツが好きで、五輪取材は夢でしたから宝物のような体験で、アナウンサー冥利に尽きると感じました。競技はもちろんですが、街の様子や人々との会話など、ちょっとしたことが新鮮で楽しくてたまらなかったので、寝不足も全然、苦にはならなかったです」
サッカー好きで、’98年のサッカーW杯に日本が初出場したときには、開催地のフランス・トゥールーズで自身の企画を実現させた。
「振り返ってみると’98年は、私にとって大きな年だったと思います。2月に長野五輪、6月にサッカーW杯、そして10月にワイドスクランブルの担当になりました。
夏ぐらいまではスポーツモードだったので、ワイドショーは予想外でした。先輩に相談したら、ワイドだから幅広くニュースを扱い、スポーツもそのひとつだ、と言われて納得しました。専門分野があるわけでもなく、広く興味があるタイプなので、今となっては、ワイドショーは向いていたのかなと思います」
広島弁でストレス発散
ひとり身、未来は……
生放送番組を担当してきた20年間は“判で押した”生活でもある。現在は、午前4時過ぎ起床、5時過ぎに出社し一般紙、スポーツ紙合わせて10紙に目を通し、テレビ各局をチェック。8時半から約1時間の打ち合わせ、ヘアメイク、衣装に着替えて10時25分から本番。午後1時40分に本番終了。反省会と翌日の打ち合わせを約1時間程度。アナウンス部で業務をすませ、3時過ぎに退社。9時過ぎ就寝──がほぼサイクル。
「30代はジムで30分くらい走ったりしていましたが、40代になって10分も走れなくなり、ストレッチするくらいです。いまは本番が終わると、あしたのジョーじゃないけど、燃え尽きた状態。
休日の土日のうち1日は寝たきりで、起き上がれないです(笑)。ストレス発散は、広島弁での身内とのおしゃべりです」
今後に向けての抱負は?
「ニュースの素材は一緒ですからコメンテーターへの質問で独自性を出していけたら。視聴者の半分は女性ですから、男性の視点だけでなく、女性の視点が出てくれば、より多くの方に興味をもっていただけるのかなと思います。インパクトは小さいかもしれないですけれど、丁寧に真摯に実直に、ニュースをお伝えできたらいいなと思っています。
現在は、ひとり身ですが、未来はわかりません(笑)。節目や変化を面白がれるようになりたいし、いまはとにかく番組を一生懸命やることで精いっぱいです」
オンとオフが変わらず勉強熱心、聞き上手!入社して第一印象は、スポーツ大好きのさわやかな女性。いまと変わらない明るい声で“おはよう!”と元気に挨拶していました。
広島出身なので新人時代はアクセントの違いをかなり指摘されましたが、いつもメモを取って次の研修までにすべてを完璧に直してくる。それはかなりの努力だし、修正力、適応力のすごさに驚きました。
今でも覚えているのが、恐竜が大集合するというイベントの司会をしたときに、難しい恐竜の名前をすべて覚えてきた。これには主催者も感心しきりでした。彼女は研修、新人、現在に至るまで準備には妥協しないし、勉強を積んでいる。それが仕事の信頼度につながっているし、いろいろなジャンルの情報を切り盛りできると思います。
オンとオフが変わらず、聞き上手。角澤(照治)アナウンサーと同期3人で食事に行っても、男ふたりの話を聞いてくれる。番組でもメインだけど、聞き上手で、簡潔に最小限でコメントする姿に、彼女の美学を見る気がします。(同期の坪井直樹アナウンサー)
冠は自然の流れ“大下カラー”が支持!昨年10月に番組をリニューアルすることが決まったときから大下アナをメインにすることを決めていました。20年、サブMCとして頑張ってきて視聴者にも好感を持たれています。清く物事をとらえ、やさしく受け止めようとし、人も社会も美しくあってほしいというイメージのある彼女に、ジャーナルな目線を出してもらいたいと思いました。
リニューアル後は世代、性別の違う3人の日替わりコメンテーターと向き合いながら、一緒にニュースをとらえて考える番組に、控えめで、遠慮深い彼女らしい存在感をキープし、自分なりの言葉を発信しています。
視聴者からは“大下容子さんの番組”と認知され、視聴率でも横並びトップになることもあり、冠は自然の流れでした。女性の視聴者が多い昼の情報番組で、女性目線を生かした大下カラーが支持されていると思います(小林雄高エグゼクティブプロデューサー)
大下容子アナに20の質問
──1.好きな言葉は?
「人事を尽くして天命を待つ」
──2.嫌いな言葉は?
「〜に迫ります」「検証します」など使い古された表現はなるべく避けるようにしています
──3.好きな食べ物は?
根菜の煮物
──4.嫌いな食べ物は?
特にありません
──5.好きな男性のタイプは?
品のある人
──6.嫌いな男性のタイプは?
品のない人
──7.ご自身の長所は?
まじめ
──8.ご自身の短所は?
きまじめ
──9.特技は?
平日オンエアまでは分単位で時計を見なくてもほぼわかること
──10.苦手なのは?
ユーモアのあるスピーチ
──11.得意料理は?
広島風お好み焼き
──12.カラオケの十八番は?
瀬戸の花嫁
──13.ハマっているのは?
京都。時の流れがゆったりしていて好きです
──14.勝負カラーは?
白
──15.必需品は?
目薬
──16.最近、泣いた(感動)ことは?
映画『凪待ち』を見て
──17.最近、腹が立ったことは?
日々(自分に)ぷんぷんしていて……情けないです
──18.美容(健康)法は?
よく寝ること
──19.子どものときに憧れたのは?
医師
──20.生まれ変わったら何になりたい?
オペラ歌手