ここがヘン、日本のガラパゴス選挙「名前の連呼」「世界一高い供託金」のナゾ
選挙期間になると、そこかしこで走り回る選挙カー。政策や理念をアピールするわけでもなく、投票用紙に名前だけ書けばいいんだと言わんばかりに、候補者の名前だけを連呼する。聞かされるこちらは正直イライラ、投票する気も萎えてしまう。
だが、日本の選挙のルールを定める公職選挙法を見て、びっくり。なんと、選挙運動で使用する自動車において基本的に選挙運動は禁止で、例外として許されているのが「連呼行為」と、停止した車上での演説だという。逆にいえば、走行中の選挙カーでは名前の連呼以外の選挙運動はできない、ということなのだ。
妙な決まりはまだある。候補者の名前と顔を記した「のぼり旗」を街頭演説のときに地面に立てるのはダメだが、車の上なら可。有権者が候補者を応援する場合、メールで投票を呼びかけるのはNGだがSNSはOKなど、謎な制約が多すぎる。不可解な規制が有権者の候補者選びを困難にさせているのは確かだ。
世界一高額な日本の供託金
なかでも特に問題視されているのは、世界と比べてもずば抜けて高額な選挙供託金の存在だ。過去2度の都知事選出馬経験がある、弁護士の宇都宮健児氏はこう言う。
「選挙に出ようと思ったら、都知事など首長選挙や衆参選挙区なら300万円、比例区なら600万円という高額の供託金を納めなければならず、かつ有効投票数の10分の1など一定の得票がなければ、没収されてしまいます。
非正規労働者など貧困に苦しんでいる人が政治家になって、そんな社会を変えたいと思っても、立候補すらできない。それではいつまでも当事者の声は政治に届かないでしょう」
総務省の労働力調査('18年)によれば、年収300万円以下の人が労働者全体の約50%、女性に限れば72%を占める。これでは立候補の自由を行使することは実質不可能に近い。結果、いまの日本では大政党に属した候補や、世襲議員など、環境的にも経済的にもあらかじめ恵まれた人間ばかりが議員になっている。
もともとの供託金制度の目的は、「当選の可能性が極めて低い“泡沫”候補や、選挙を利用した売名行為を防ぐため」にあると言われてきた。
しかし、この主張は、選挙供託金制度が導入された1925年の普通選挙法導入時に規定されたもの。それまであった納税額による制限がなくされ、満25歳以上の男子に選挙権が与えられたことで、有権者の割合が増え、労働者運動をはじめとする無産政党、無産者の議会への立候補を制限することが当時の目的だった。
民主主義らしからぬ金銭面での制約
ちなみに普通選挙法公布の直前に抱き合わせのように公布されたのは、悪名高い治安維持法だ。労働者運動や社会主義運動への弾圧がその後、一層強まったことは歴史が示すとおりだ。
「戦前の制度の“当時の目的”がいまも根拠にされていること自体、時代錯誤ですし、思想はどうあれ、候補者を判断するのは有権者です。ふさわしくない候補者は選挙で排除されるべきで、一定の金額を納付できるかどうかで候補者を制御するのは民主主義ではない。むしろ、真に当選を争う意志のある人たちの立候補の機会が奪われていることこそを問題にすべきです」(宇都宮氏)
'16年、宇都宮氏を弁護団長とする供託金違憲訴訟弁護団は、高額な供託金制度を違憲とする裁判を東京地裁に起こした。原告は、'14年の衆院選出馬を決意し準備を進めたにもかかわらず、供託金が準備できず立候補が認められなかった、埼玉県の自営業の男性だ。
お金がない人が立候補できない現状は、国民の立候補の自由を保障する憲法15条(1項)、また《議員や選挙に出る人間を財産又は収入によって差別してはならない》とする憲法44条(但書)に反していると主張する。
裁判にあたり弁護団は海外の供託金制度について調査。OECDに加盟する35か国(調査当時/現在は36か国)のうち供託金制度があるのは日本を含む12か国。その内容を比べてみても日本の供託金は格段に高額だ。
●日本 300万円 ●韓国 145・5万円 ●トルコ 32・1万円
●オーストラリア 16・6万円 ●チェコ 8・8万円
●ニュージーランド 7・7万円 ●イギリス 6・9万円
また、カナダでは'17年に地方裁判所が供託金制度を違憲と判断、その判決を受けて政府が供託金制度を廃止しているし、韓国やアイルランドでも違憲判決を受けて金額の引き下げや没収要件が緩和されている。
しかし今年5月24日、東京地裁は原告の訴えを棄却。判決の主文では、高額な供託金を「立候補をしようとする者に対して無視できない萎縮効果をもたらすもの」で「立候補の自由に対する事実上の制約になっている」と認めているにもかかわらず、選挙制度については「国会に裁量権がある」ので判断を避けるという煮え切らない判決だった。
宇都宮氏はこれを、三権分立における司法の役割を放棄した国会への「忖度判決」だと批判。弁護団は5月31日に東京高裁に控訴している。
1票にとてつもない重みがある
無頼系独立候補、いわゆる「泡沫候補」の取材を通して、日本の選挙制度の問題を訴え続けているフリーランスライターの畠山理仁さんも、有権者の多様な意見を反映できない現在の選挙制度には多くの問題があると指摘する。
「議会制民主主義(間接民主主義)の日本では、有権者は選挙で自分たちの意見を反映してくれる候補を選んで国政を委託する形になります。しかし実際に選ぼうと思っても、候補者の選択肢は非常に限られているのが現状です。
例えば有権者の多くは会社など、なんらかの組織に属して働いている人ですが、彼らが議員に立候補しようと思うと高い供託金を払うだけではなく、休職や退職をしなくてはならないため、リスクはとても高くなる。
結果的に、選挙に出てくるのは、代々政治家をやっている二世三世候補や、会社を退職した人、弁護士などの自営業者や資金が潤沢にある企業の経営者などに限られてしまいます」
有権者にとって身近に感じられる候補がいなければ当然、投票率も低くなる。多くの人が、自分の1票の価値を低く見積もりすぎていることも、投票率の低さの原因だと畠山さんは言う。
「現在、日本の選挙の投票率は、国政選挙でも50%程度、地方選だと30%を割ることもあります。実は投票に行かない人たちがいちばんの多数派なのです。例えば“泡沫”扱いをされていた『NHKから国民を守る党』は4月の統一地方選で地方議員の数を39人に増やしました(現在は31人)。NHK批判というわかりやすい主張だけに絞ったことで、これまで選挙に行かなかった層を掘り起こした」
選挙に行かない層の多くは、自分たちが1票や2票入れたところで勝てるわけはないと考えがちだ。だが実際には、そういった層にこそ、政治を大きく逆転させる力がある。与党が最も恐れるのは、その層が自分たちの力に気づくことなのだ。
「無収入の人も年収1億円の人も同じ“1票”を持っている。そんなすごい権利を簡単に捨てて他人に白紙委任するのは、あまりにもったいない。最初から勝ち目がないと思わずに、彼らの言っている政策や主張に耳を傾けてみれば、自分の気持ちに近い主張をしている候補がきっといるはずです」(畠山さん、以下同)
候補者を選ぶ重要な基準のひとつが、選挙公報だ。畠山さんは現在、選挙期間中に発表される選挙公報を、選挙終了後もホームページなどに残しておくよう各自治体に働きかけるキャンペーンを行っている(https://www.change.org/p/選挙が終わっても選挙公報を消さないでください)。
「選挙の際、候補者がどのようなことを約束したか、その約束をきちんと守ったかどうか、有権者が選挙後にチェックする手段は非常に限られています。候補者のSNSやサイトは都合が悪くなれば削除してしまえますが、公金を用いて発行される選挙公報は、選挙後も見られるよう公開されておくべきです」
当選してしまえばこっちのもの、というような態度を許さないためにも、選挙公報の継続的公開は非常に重要だ。有権者にとっても、自分の「推し」の候補者を見守り応援していくための、いいきっかけになる。キャンペーンサイトでは6月30日までに1万7600人の署名が集まり、7月1日に署名を総務省に提出した。
「僕は日本国民が全員立候補したらいいと常々言っています。みんなが1度は選挙に出てみれば、候補者がどれだけの思いで立っているかがわかるし、自分の1票を簡単に捨てるということができなくなるはず。そのくらいの思いで、各候補者の声を聞いて、1票を投じてほしいですね」
(取材・文/岩崎眞美子)
岩崎眞美子 ◎フリーランスライター。1966年生まれ。音楽雑誌の編集を経て現職。医療、教育、女性問題などを中心に雑誌や書籍の編集に携わる