妻を亡くした大輔さんは取材中、時折、声を詰まらせ目を赤く腫らした

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 出産の痛みを麻酔でやわらげ、出産時やその後の疲労などを軽減する無痛分娩。

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 ここ数年、神戸、京都、大阪で起こっていた無痛分娩が原因の事故が最近になり、相次いで発覚した。

 医療事故問題に詳しい弁護士の谷直樹氏は、

「表に出てこないだけで、事故は起きています。以前から事故の報道がされていて、リスクや危険性の認識があれば、医師側も注意深くなったでしょうし、妊婦も慎重になり、新たな事故が防げたかもしれない。問題を隠すとうずもれてしまい、また繰り返す」

 と表面化しないことのリスクを指摘。無痛分娩について、

「無痛分娩にもルールはあり、ルールを守り手順を踏めば安全なはずです。ルールを守らない、守れない医師が同じような事故を起こしている」

 と、経験や勘に頼りすぎる医師のスキルを疑問視する。

 無痛分娩にはいくつかの方法があるが、そのひとつが硬膜外麻酔(下の図参照)。脊髄の近くに薬を投与し、痛みを和らげる方法だ。気をつけなければいけないのは硬膜を破り、その奥のくも膜下に針が到達したときだ。くも膜下腔に麻酔が誤注入されると効きが強すぎて、妊婦は急速に意識をなくし、処置が遅れれば呼吸停止、心停止に至る。

 前出の谷弁護士は訴える。

「くも膜下腔に麻酔薬が入っても、異変に気づきその後の注入を止めれば、全身脊椎麻酔になることはまずない。ただ、観察しなければ異変に気づけない」

 実は事故の多くがこの観察を怠った結果、発生している。

 麻酔を使った出産方法だが、「無痛分娩には、ガイドラインなど統一したものは現在整っておりません」と明かすのは日本産科麻酔学会の担当者。さらに、

「ガイドラインは早急に議論し、作る必要があります。ほかにも産科麻酔の専門医の資格化についても話し合い、安全性の確立や体制を整備しなければならないと思います」

 と今後の取り組みを明かす。

 兵庫県姫路市の産婦人科『オカ・レディースクリニック』は積極的に無痛分娩をすすめていない。岡憲史院長は、

「やり方のコンセンサスが取れていない。カテーテルの本数も使う麻酔も、現状は病院によってまちまち。ひと言でいえば混沌としている状態」

 と、医療の現状のバラツキを指摘。その混沌の犠牲になるのが、妊婦であり赤ちゃんであり、その家族だ。

 東京在住の広川大輔さん(32・仮名)は、2015年9月2日、無痛分娩事故に見舞われた。硬膜外麻酔の誤注入により妻・美樹さん(当時33・仮名)は重大な後遺障害を負い、意識を取り戻すことなく今年5月12日に死去。緊急帝王切開で生まれた息子も脳に重い障害を負い、1歳となった現在も意識のないまま入院生活を送っている。

 美樹さんは実家のある神戸市で里帰り出産を望んだ。決めたのは家からいちばん近い『おかざきマタニティクリニック』。

 ただし、夫妻は最初から無痛分娩を望んでいたわけではない。美樹さんは身長150センチ強と小柄。赤ちゃんは3500グラム弱と大きめで「お産に時間がかかり大変」と院長医師からの提案があったからだ。

「美樹も医師を信頼していた。あのとき反対していたら」

 と、後悔をにじませるのは美樹さんの姉・咲子さん(仮名)。医師に促されるまま無痛分娩で出産が決まった。

 陣痛が始まったのは出産前日の9月1日。翌朝、まず試験的に少量の麻酔を投入するテストドーズが行われた。ここで医師は美樹さんを残し、外来に。異変はすぐに現れる。

「私が突然呼ばれて“足がしびれて自分では動けないから車イスに乗せてほしい”と言われました」(前出・大輔さん)

 実は、このしびれは兆候だった。美樹さんのカテーテルはくも膜下にまで達していたが、医師も看護師もそれを疑うことなく本番の麻酔を投入。医師は再び外来へと戻った直後に美樹さんの容体が急変。気分不良、嘔吐、さらには子どもの心音も下がりだした。

「看護師も慌てだし、何が起きているのか私にはわからず、医師がやっと戻ってきたら、そのうちに救急隊が到着し、搬送されることになりました。妻の意識はなく、大学病院に着いたときには、母子ともに心肺停止でした」(大輔さん)

 適切な観察、迅速な連絡、対処があったら最悪の事態は防げたかもしれない。

「医師だけの問題じゃない。看護師も、みんなが異変を見逃し、急変したときの連携も遅かった」(前出・咲子さん)

 事故後、謝罪はおろか、クリニックから事故の経過説明すらなかった。家族が開示を要求し、初めて実現したのだ。

 しかし先月、事故のことが地元紙で報じられると代理人を通じ慌てて「謝罪したい」と言ってきたというのだ。

「私たちの家も電話番号も知っているはずなのに、直接連絡をしてきたことは1度もなかったんですよ」(大輔さん)

 信じられないのはそれだけではない。事故後、大輔さんらが見たカルテに記載されていたのは「○月○日来院」と書かれた文字。事故当日の記録もほとんどなければ通院時の様子を記すものもない。

 家族は、ずさんで不誠実な対応を目の当たりにした。

 同クリニックは昨年、院長の医療ミスを認め、示談金を支払ったが、謝罪することなく今も妊婦を受け入れている。

「怒りは消えることはありません。どうか目の届かないところに消えてほしい。本当だったら今ごろ、1歳半になった子どもと家族3人で暮らしていたんです、妻と一緒に、ほらしゃべったとか、立った、とか喜んでいたのに……。悔しいです」(大輔さん)

 今回、家族は「第2、第3の被害者を出してはいけない」と公表を決意。厚生労働大臣などにも無痛分娩の医療事故の実態調査などを要望した。

「私たちは無痛分娩を否定するわけじゃない。お産を考えている人は、食事や施設などの表面的なことよりも、医療としてのレベルやリスク管理、そして妊婦ひとりひとりに真摯に向き合ってくれている病院なのか。それを調べたうえで病院や分娩方法を決めてもらいたい」(大輔さん)

 命を取り上げる医師の過失で家族は多くを失った。悲しみが残り、医師の怠慢さが癒えることのない傷を作った。

 当該クリニックにも取材を申し込み1週間以上待ったが、連絡はなかった。