世界一上手くて、世界一取り扱いにくいメッシという存在
この手のスーパースターは、もはや前時代的だ。かなり困った存在に見える。おっと唸らせるシーンは1試合に数回あるが、眉をひそめたくなる回数はそれを大きく上回る。それはつまりリスクの数そのもので、決勝戦における完敗を予想する最大の根拠になっていた。
決勝戦。ところがメッシは、これまでの試合より、リスキーな存在ではなくなっていた。メッシの存在は、相手ボール時も穴になっていなかった。アルゼンチンの布陣が中盤フラットの4−4−2で、メッシが2トップを張っていたことと大きな関係がある。少なくとも前半、メッシは高い位置にいた。文字通りFWとしてポジションを取った。下がることはなかった。よってアルゼンチンは、4人で構成する中盤が、フラットに綺麗に並ぶことになった。ピッチには網が綺麗に張られていた。4年前、ケープタウンのピッチに描かれた絵とは違っていた。
だが、メッシの運動量は、試合時間が深まるにつれ、落ちる一方になった。そしてそれはアルゼンチンの反発力低下にそのまま繋がっていた。
大会を通して、メッシは身体のどこかが悪い選手にしか見えなかった。だまし、だましプレイしているような不自然な選手に見えた。
MVPに選ばれてはいけない最大の理由だ。
もし、どこも悪くないのであれば、それはそれで大問題。単なるプレイ態度の悪い選手になる。メッシはいったいどこへ行くのか。今後に不安を抱かせる終わり方だった。
僕は、これほど守備に参加しない選手は、グアルディオラの発案通り、0トップ以外あり得ないと思う。古典的な選手を、今日的サッカーに当てはめる手段は、決して多くない。この先、残りのサッカー人生を彼はどのように歩むか。彼の身の上にどれほど幸が訪れるだろうか。ストライクゾーンがきわめて狭い、取り扱いに難しいスターであることは確かだ。
外部サイト
スポーツライター杉山茂樹氏の本音コラム。