さて、仲間由紀恵は1979年10月31日、沖縄生まれの34歳。
 「プロフィール上の出身地は那覇の北隣りの浦添市となっていますが、幼い頃に暮らしたのは、両親の出身地である宮古諸島の伊良部島です」(芸能関係者)

 姉と3人の兄がいる末っ子だ。
 「父親はマグロ船の船長。子供の頃から活発で、幼稚園から中学まで続けた琉球舞踊では、全国コンクールで新人賞を獲得。地元ではちょっとした有名人でした」(芸能記者)

 また、宜野湾市の『沖縄タレントアカデミー』にも通っていて、モデルやDJのマネごともしていたというから性格も積極的。
 「中学を卒業し、上京したのが'95年。実は2000年に件の『トリック』でブレイクするまでの5年間、下積みを経験しているのです」(テレビ局関係者)

 しかも、その間は『小室ファミリー』の一員として歌手活動をしていたのだ。
 「これは'96年のデビュー曲『MOONLIGHT to DAYBREAK』などを指しますが、実は小室哲哉自らがプロデュースしたのではなく、手がけたのは小室の“右腕”と言われていた久保こーじという音楽プロデューサーでした」(音楽関係者)

 これでは“ファミリー”というより“遠い親戚”みたいなもの。
 同じ沖縄出身ということもあって『ポスト安室奈美恵』と期待され、シングル7枚、アルバムも1枚出したが、大惨敗に終わってしまった。
 「しかし、その頃は工藤静香が憧れの存在で歌うことが大好き。女優より歌手志望だったのです」(前出・芸能レポーター)

 '97年には、写真集でセクシー路線へも挑戦。水着やセーラー服姿を披露した。
 「また、『アイドル王』(TBS)という番組に出演した際には、“ニャンコ、こニャンコ、まごニャンコ”という早口言葉にチャレンジ。思わず“アソコ”を表する文字単語を口走ってしまい、“ピー音”で編集されるという大失態もやらかしました」(テレビ関係者)