ザックが大会前に何を考えていたのか。おそらくは、ガス抜き、だったのではないかと思う。新戦力を試さないという批判。固定メンバーで戦い過ぎという批判。そういう批判を和らげるための大会として、東アジアカップは仕様的にもタイミング的にも抜群だった。とても意地の悪い言い方をすれば、ザックにとってはどちらに転んでも良かったのだと思う。新戦力が活躍すれば当然多くの人は満足するし、しかし、もし活躍しなかったとしても、だから新戦力を試さずに現在の主力メンバーを固定して戦ったきたのだ、という事をザックは言う事ができる。つまり、どちらにしても、批判をガス抜きする事ができる、という事であり、おそらく、大会前のザックの腹の片隅には、そういう算段があったのではないかと推測する。


そして迎えた初戦の中国戦。まだザックの肩には力が入っていなかった。しかし、スコア「3−1」として2点のリードを奪いながらも同点に追い付かれる、という試合展開と結果によって、少しザックの心に火が付いたように思えた。中国戦後には「Jリーグの試合での疲労があった」と選手を庇ったし、大会後には「勝利のためにより多くのゴールを決めること。相手より1点でも多くゴールを決めることで勝利に近づくこと。そういった哲学を持っている」とザックは語ったが、個人的にはそれがザックの本心とは思えない。攻撃的であろうとしている事を常に主張しておきながら、その言葉とは裏腹に、ザックの采配は多くの場合で守備重視であるし、ザックは試合中、常に守備の事を一番に気にしている。

また、そういう意味では、ザックがどのようなチームを作りたいと思っているのか、それが見えてきた大会であったとも思う。つまり、攻撃的な選手を多く揃えたスタメンで先制点を奪い、あるいはリードを奪い、その後は逃げ切る戦い方。その後は試合をコントロールして堅守カウンターから追加点を狙う戦い方。強豪相手には最初から守備的に入るが、しかし、メンバーは守備的な選手にはしない、というところにもそれを感じる。「勝利のためにより多くのゴールを決めること。相手より1点でも多くゴールを決めることで勝利に近づくこと。そういった哲学を持っている」とザックが語ったのは、結果論としてそういう試合が多くなっているので、そういうチームになっている事を、自分の狙いとしているものとは違う、とは言いたくないからだろう。

中国戦での結果を受け、オーストラリア戦を迎えるにあたり、ザックは守備の整備を重点としたトレーニングを行った。いつものチーム然り、今大会のチームも得点は取れるチームだと知り得た。Jリーガーだけでも、即席チームでも、相手がどうあれ、やはり3点も奪えた事は嬉しい驚きだったのではないだろうか。そして、そういう事であれば、新戦力の見極めが第一の目的であったとは言え、守備をしっかりさせて失点を減らせば結果も求められる。最終ラインからのビルドアップに強くこだわるのは、低い位置からいかにして良い攻撃をするのか、そこに重点を置いている、という事であり、もっと縦に速く、と要求する事とも合致する。カテナチオはしてもボランチには必ずピルロのような選手を起用するイタリア。そういう意図があるのだと思う。

しかし、オーストラリア戦も、またしても2点リードしながらも同点に追い付かれるという試合展開だった。どうしても、日本代表はリードした後に堅守カウンターで逃げ切る、という戦い方ができない。先に得点を取る、リードする、そこまではできるのに、どうしてもそこから守備に徹して相手に得点を取る隙を与えず逃げ切る、あるいは、前がかりになる相手を手玉に取るようなカウンター攻撃から追加点を奪う、という事ができない。しかも、1点のリードであるならばまだしも、2点もリードを奪いながらもそれができない、という事は大きな問題だ。オーストラリア戦は大迫の活躍によって競り勝つ事はできたが、2点のリードですらセーフティーリードに変えられない、という事が、日本のサッカーの大きな課題である事が明確になった試合だったと思う。