ミランFWズラタン・イブラヒモビッチの自伝から、新たなエピソードが明らかになった。2004年、アヤックスからユヴェントスへ移籍する際の、当時のルチアーノ・モッジGM(ゼネラルマネジャー)との会談について、同選手は次のように話している。

「オレをトリノへ連れて行くのは簡単なことじゃなかっただろう。オレとミーノ・ライオラ(代理人)は、F1のモナコグランプリのときに、モナコでモッジと極秘で30分間会うことができたんだ。空港のVIPルームで会う予定だったんだけど、渋滞がすごくてね。車が進まず、降りて走らなければいけなかった」

「ミーノはちょっと太っているし、素晴らしいアスリートとは言えないだろ。息を切らして、汗でびしょびしょだった。会談にふさわしくはなかったね。ハワイアンの短パンに、ナイキのTシャツ、裸足にスニーカーだった」

「VIPルームについたら、部屋中が煙だらけだったよ。モッジはすごくエレガントな格好で、手には大きな葉巻を持っていた。すぐに、権力のあるヤツだって分かったよ。彼はミーノに『なんて格好だ』って言ったな。ミーノはすぐに『ファッションのアドバイスとビジネスの話、どちらをしに来たんだい?』って答えた。そこからすべてが始まったんだ」

2年後、イブラヒモビッチはファビオ・カペッロ監督が率いるユヴェントスの大黒柱となり、チームは2連覇に迫っていた。だがそのとき、カルチョーポリのスキャンダルが発覚する。

「いつもそうだけど、誰かが支配していると、ほかのヤツらは泥を塗ろうとするんだ。オレたちがまたリーグを制覇しようとしているときに、外部から非難があったことには、まったく驚かなかった。スキャンダルが起きたとき、オレたちは2連覇するところだったんだ。グレーな状況なのはすぐに分かった」

「メディアはまるで世界大戦かのように報じていたな。でも、大半はでたらめだったんだよ。審判たちが有利にしてくれていた? おいおい、やめてくれよ! オレたちはピッチでハードに戦っていた。まったく審判からの助けなんてなしに、ね。オレが審判の友人だったことはない。チームの誰もそうじゃなかった。単に、オレたちがベストだったというだけだ。それが真実だよ」

「ユヴェントスはオレたちのジムなどで会議を開いた。あのことは、決して忘れない。モッジは、見た目はいつもと同じだった。でも、違うモッジだったんだ。そのとき、彼の息子のことや、浮気のことに関する新たなスキャンダルが明らかになっていた。彼は、無礼だと言っていたよ。オレも同感だ。個人的なことだし、サッカーとは無関係だからな」

「でも、オレが衝撃を受けたのはそれじゃない。彼がそこで、まさにオレたち全員の前で、泣き始めたことだった。胃を殴られたみたいにね。あんなに弱い彼は、決して見たことがなかった。あの男は常に威張っていたんだ。力と権力を振りかざしていた。だがあのとき、突然、オレの方が彼に同情を覚えた。世界がひっくり返ったんだ」