良質な睡眠によって判断力や集中力が高まるというが…(写真:blackie0335 / PIXTA)

昨年、旅客自動車運送事業運輸規則、貨物自動車運送事業輸送安全規則の一部が改正されたことで輸送業界が揺れている。というのは、疾病、疲労、飲酒などに加えて、睡眠不足の運転手も乗務が禁じられたからだ。

言い換えれば、ドライバーの睡眠に対する関心が、かつてないほど盛り上がっていることになる。睡眠に関わる企業にとっては、睡眠の大切さを伝える絶好のチャンスだ。

よい空気が質の高い睡眠の確保につながる

銚子電気鉄道×究極の寝室……。ひょっとしたら、こんなロゴが入った軽トラックをあちらこちらで見かけるようになるかもしれない。


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荷台に寝室を設置したこのトラックは、千葉県松戸市の戸建て住宅メーカー・早稲田ハウスが開発した「究極の寝室体験カー」。自分で「究極の寝室」を造れる6畳用DIYキット発売の記者発表会で併せて紹介された。

同社は「寝室が変われば人生が変わる」をコンセプトに、寝室にこだわる家づくりをしている。

よい寝室とは質が高い眠りを得られる部屋。同社では、そのポイントは空気にあると考えている。そこで、よい空気をつくるために、寝室の材料にこだわっているわけだ。具体的には珪藻土、オビ杉、赤松木炭など、湿度の調整機能やマイナスイオン効果、消臭効果などを持つ日本の伝統的な材料を使っている。いずれの材料も、選りすぐりの生産者の手によるものだという。

こうした素材で天井や壁や床を造ることで、寝室はよい空気で満たされ、ぐっすり眠れるという理屈だ。このような寝室をクルマの荷台に再現したのが「究極の寝室体験カー」。「よい空気ができる」と口で言ってもたいした説得力はないし、ショールームをつくっても、千葉まで足を運んでもらうのは難しい。そこで、体験できる移動ショールームをつくって、ニーズのある場所にこちらから移動してしまおうと考えたのだという。


戸建て住宅メーカー、早稲田ハウスが開発した「究極の寝室体験カー」(筆者撮影)

「究極の寝室体験カー」を開発した直接のきっかけは、15人の死者を出した2016年に軽井沢で起きたバスの事故。運転士が大型バスの運転が不慣れだったことなどが原因として挙げられているが、同社ではこの事故を契機に、質が高い睡眠は運転を職業とする人にこそ必要だと考えたという。つまり、「究極の寝室体験カー」はバス会社や電鉄会社、タクシー会社、運輸会社などに対して、安全運転のためには、質の高い睡眠を確保できる仮眠室などを用意すべきだというデモンストレーションすることを目的に造られたわけだ。

もっとも、住宅メーカーがこうした運輸のプロに運転士のことをとやかく言っても相手にされないだろう。まずは、運転を職業とする人に、質の高い眠りが質の高い仕事に結び付くことを証明してもらうことが必要だ。そこで白羽の矢が立ったのが、早稲田ハウスの社長の金光容徳氏と付き合いが長い銚子電鉄だった。

ぬれ煎餅の売り上げが頼みの綱

銚子電鉄の営業距離はわずか6.4km。10駅を19分かけて走るローカル鉄道だ。開業は1923年なので、100年近い歴史をもっていることになる。


銚子電鉄は「あきらめない経営」で知られる(写真:銚子電鉄)

鉄道ファンの間では「あきらめない経営」で知られている。何をあきらめないのかというと、倒産しそうになってもあきらめないのだ。同社もほかのローカル鉄道会社と同様、赤字経営が続いているのだが、それは鉄道経営だけを見た時の話。儲からなければ、ほかの事業で儲ければいいし、それでもだめなら、正直にお客さんに窮状を話して助けを求める。

2006年には現金残高が200万円まで減少し、倒産が目の前に迫った。この時は副業で作っていた1枚82円(当時、現在は86円)のぬれ煎餅を従業員が売りまくり、鉄道ファンがそれを購入することで、なんとか持ち直すことができた。この話は「奇跡のぬれ煎餅」として今でも語り草だ。

もっとも今でも鉄道事業は儲からない。現在、同社の売り上げは5億円。その中で運賃収入はわずか1億円にすぎない。残りの4億円は「ぬれ煎餅」「まずい棒」「ラーメン」をはじめとした食品が占めている。

さらに2015年からはネーミングライツと呼ばれる駅名の販売もスタートした。ひと駅1年当たりの契約料は180万円だ。この時に協力したのが早稲田ハウスだ。

両社の関係は2014年にさかのぼる。銚子電気鉄道株式会社の取締役経営戦略担当の黒澤崇氏は「早稲田ハウスさんが配っていた『ありがとうシール』を使わせてほしいと頼んだことからお付き合いが始まりました」と話す。



ありがとうシール(写真:早稲田ハウス)


「ありがとう」の文字の雰囲気は銚子電鉄にぴったり(写真:銚子電鉄)

銚子電鉄のミッションは「この町に銚子電鉄があってよかった。銚電ありがとう」と言われる会社になることだという。早稲田ハウスが配っていた「ありがとうシール」の文字の雰囲気は、そのミッションのイメージにぴったりだった。そこで、車両が引退する「ありがとう運行」の時などに、そのシールを、ぜひお客さんに配らせてほしいと頼んだのだ。

早稲田ハウスの金光容徳社長は銚子の近くにある匝瑳市内の高校出身で、父親が銚子の病院に長期入院していた。何かと銚子とは縁が深い。銚子に恩返ししたいという気持ちが強く、快くシールの使用を許可してくれた。その後も外川駅のネーミングライツを購入し、「ありがとう」駅と命名するなど、両社の関係は深い。

早稲田ハウスは質の高い眠りが質の高い仕事に結び付くことを証明すべく、銚子電鉄に対して、仲ノ町駅に新しい宿直室を寄贈することを申し出た。その宿直室は早稲田ハウスが技術の粋を集めて造り上げた「究極の寝室」である。銚子電鉄からみれば老朽化した宿直室をリフォームしてくれるだけでもありがたい話であり、断る理由はなかった。

安全運転は質の高い睡眠から

古い宿直室と比べて結果はどうだったのだろうか。


「質のよい睡眠は集中力と判断力を高めます」と語る銚子電鉄の坂本雅昭運転士(筆者撮影)

2006年に入社した運転士の坂本雅昭氏によれば、それまでの宿直室は粗末なものだったという。アレルギー体質でぜんそく気味だったためか、ちょっとした湿気で鼻水が止まらなくなった。さらにベッドが悪いのか、いつも眠りは浅く1時間おきに目が冷めるというありさまだった。

「当時は、眠ることも大事な業務だと思って必死に寝ようとしました」(坂本氏)。それに対して、新しい宿直室は快適そのもの。一度寝たら朝まで目が覚めない。「宿直室での睡眠も『業務』なのですが、今では寝ることが楽しみで『業務』だとは思わなくなりました」。

実際に電車の運転士がこんな話をすると、いかにも説得力がある。

さらに、こんな話もしてくれた。

「よく眠ることができると判断力、集中力が違います。ブレーキをかけるタイミングがいつも以上によくなりますし、お釣りの計算も速くできます。なんといっても、いい笑顔、大きな声でお客さまにあいさつできるようになる。睡眠の大切さをあらためて実感しました」(坂本氏)。

ここまで言われたら、運輸業者もドライバーの仮眠室の環境を考え直してくれるに違いない。銚子電気鉄道×究極の寝室……。銚子電鉄には、「究極の寝室体験カー」を紹介するために、このような体験談を話してもらうことが期待されているわけだ。

「誤解をおそれずに言えば、点呼の時の確認だけで睡眠不足を防止できるとは思えない。体験してみて、よい寝室は睡眠不足の解決に役立つと実感しました。ですから、いくらでも話をしようと思ったわけです」(坂本氏)。「究極の寝室体験カー」に加えて、運転する者にとっての睡眠の大切さを伝えてくれる伝道師もできた。

運輸業以外にも宿直を伴う職業はたくさんある。そうしたところにもどんどん出動して、質のよい睡眠を広めていきたいという。よい睡眠が広がれば、日本の「おもてなしレベル」はさらに上がるかもしれない。