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欧米企業や国内の外資系企業に比べ、日本企業の給与は相対的に低い。好業績でもぐんと上がったという話はほとんど聞かない。なぜなのか。ダメ社員を「解雇しにくいから」という指摘もあるが、人事ジャーナリストの溝上憲文氏は「それよりももっと深刻な根本的理由がある」という――。

■フェイスブック 従業員給与の中間値は2620万円

アメリカの上場企業が、平均的従業員と経営トップの給与格差を開示するようになり、話題を集めている。これは「ペイ・レシオ」と呼ばれるもので、トップの報酬が平均給与の何倍に当たるか、その「倍率」を公表するものだ。2010年の金融規制改革法で開示が義務付けられた。

たとえばフェイスブックの従業員の給与の中間値(※)2620万円。トップのマーク・ザッカーバーグ氏が9億6000万円で倍率は37倍だ。フェイスブックの従業員の給与が突出していることは他企業と比較するとよくわかる。

※データを小さい順に並べたとき中央(真ん中)に位置する値。お金に関するデータでは中央値は平均値より低くなる傾向がある。

●GE(ゼネラル・エレクトリック):中間値623万円、トップとの差157倍
●GM(ゼネラル・モーターズ):中間値811万円、トップとの差295倍
●ファイザー:中間値972万円、トップとの差313倍

フェイスブックは中間値が飛びぬけて高いが、トップとの倍率は低く、格差が小さいともいえる。

逆に、格差が大きいのはマクドナルドだ。最高経営責任者(CEO)の報酬は実に約23億7000万円、世界中の従業員の中間値はポーランドの店員の約76万円。その差は3000倍超にもなる。

それにしてもファストフードの経営者にしては破格の給与だ。マクドナルドの世界の年間売上高は約2兆7000億円だからCEOの給与は大体その1000分の1だ。日本で「夜マック」のダブルチーズバーガーのバリューセットにサラダを付けると1000円。うち1円がCEOの給与に回るということになる。

▼日本企業のトップの倍率は従業員の2桁台

一方、日本の上場企業には「ペイ・レシオ」の開示義務はないが、「日本経済新聞」(2018年5月13日)の記事では、有価証券報告書に記載された平均給与を使い、従業員と経営トップの倍率を試算している。

それによるとアメリカ企業のトップの倍率が3桁台に対し、日本企業のトップの倍率は従業員の2桁台にとどまっている。

また、フェイスブック、グーグル、ネットフリックスの従業員の中央値が2000万円を超えるのに対し、日本のソフトバンクグループやトヨタ自動車といった一流企業がその半分以下であることから、日本の低い給与が今後の人材獲得に支障を来すのではないか、と指摘している。

■なぜ日本企業の給与は上がらないのか?

確かにアメリカのトップ企業に限らず、最近の中国では日本の企業以上に報酬を出す大手企業が増えている。

なぜ日本企業の給与は上がらないのか。

代表的な主張のひとつは「日本の解雇規制が厳しいからだ」というものだ。外資系企業は業績が悪化すれば大幅に給与を減らし、解雇できるので高い給与を設定できるが、日本は業績が悪化しても解雇できないから低い給与にせざるを得ない、という理屈だ。しかし、これは短絡的で、実態に即した分析とは言えない。

厳しいという「日本の解雇規制」だが、労働契約法16条で「解雇は、客観的に合理的理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と書いてあるだけで、厳しいも何も、ごく当たり前の規定があるにすぎない。

解雇される理由のない恣意的な解雇を禁じているだけであり、業績が悪化し、事業が立ちゆかない場合は最高裁の判例である「整理解雇の4要件(※)」を満たせば解雇できる。

※(1)人員整理の必要性(2)解雇回避努力義務の履行(3)被解雇者選定の合理性(4)解雇手続の妥当性

もちろんアメリカのように使用者と労働者双方に契約自由の原則がある国からすれば厳しく見えるかもしれない。だが、米国系企業であっても日本で事業を行う以上は日本の法律下にある。実際に日本の判例を知らない外資系企業が簡単に社員のクビを切ったために訴訟を起こされる事例は珍しくない。

▼日本企業の給与が低い深刻な根本理由3

外資系企業などと比べて日本企業の給与が相対的に低いのには、大きく3つの事情がある。

1番目は賃金制度の違いである。

ご存じのように日本企業の典型的な給与制度は、若いときは仕事の成果の割に給与が低い代わりに、毎年昇給し続け、40歳を過ぎると実際の成果以上の給与をもらえる年功賃金である。

それに対して外資系企業の多くには、毎年昇給の概念がなく、役割やポストごとに賃金が決まる「職務給」である。したがって30歳であっても大きな役割やポストに就けば年収1000万円も普通だ。あるいはAI技術者やデータサイエンティストなど新規事業の重要な役割の場合、2000万円、3000万円の給与を用意できる。

■日本の社長が給与の引き上げをしない理由

また日本の外資系企業が日本企業に比べて相対的に給与が高いのは、高くなければ優秀な人材を獲得できないからである。

日本の一流企業であれば、賃金と雇用は安定している。一方、外資系企業では一流の企業でも本社採用ではなく、日本法人という一ブランチの採用にすぎない。本社の事情で撤退や事業閉鎖を余儀なくされるリスクもある。だから日本企業よりも高い給与を出さなければ人を採れないのだ。

ただし、日本の雇用慣行がもたらす賃金制度が優秀な人材の獲得を阻んでいるのは確かである。外資系人材紹介業大手のロバート・ウォルターズ・ジャパンのデイビッド・スワン社長はその問題点をこう指摘する。

「日本企業は人件費を上げることに慎重になっているが、それを支えているのが年功型賃金制度だ。30歳であれば全員の給与がほぼ横並びなので給与を上げないといけないというプレッシャーが企業側にないし、また社員の側も自分の役割や成果の大きさに見合った給与を要求しない風土もある」

2番目の理由は、トップが給与の引き上げを経営の最優先事項とは考えていないということだ。

大手企業が最高益を更新し、人手不足感がこれだけ高まっているにもかかわらず、企業が生み出した付加価値全体のうち労働者に分配する比率を示す「労働分配率」は低下している。

なぜ給与に回さないのか。

大手シンクタンクのエコノミストは「人材が不足しているのに、一方で株主から配当を増やせという圧力が高まり、株主への分配比率が上昇しているからです。日本の株主分配比率はドイツやアメリカに比べても低いので、経営者はそちらを優先し、賃金を上げづらくなっています」と指摘する。

▼「同一労働同一賃金」で年功的賃金から脱却するのか

賃金が上がらない3番目の理由は非正規社員の増大だ。

日本企業はこれまで賃金が高い正社員に代わって賃金が低いパート・アルバイトなどを使ってきた。最近は現役時代の半分以下の賃金で雇われている定年後の再雇用者も増え、全労働者に占める非正社員比率は4割弱に達している。その結果、平均賃金を押し下げている。

だが、今後は「同一労働同一賃金」の法制化によって非正社員の賃金は徐々に上がっていくことになるだろう。そうなると平均賃金も上昇に転じ、企業が負担する総人件費が増えることになる。

この時、経営者がどのような判断を下すのかによって大きく違ってくるだろう。年功的賃金から脱却して成果や職務重視の給与体系にすれば、若くして高い報酬をもらう社員も発生するが、人件費が変わらなければ給与が下がる社員も発生する。

以上のような「3つの理由」を踏まえると、これから日本人の給与が劇的に上がることは、残念ながら想像ができないのが現状である。

(ジャーナリスト 溝上 憲文 写真=iStock.com)