ヒロミ 1965年2月13日生まれ。東京都出身。1986年にデビット伊東、ミスターちんとともに、B21スペシャルを結成。『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)や『8時だJ』(テレビ朝日)、『モグモグGOMBO』(日本テレビ)など、数多くのバラエティ番組でMCを担当していた。

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数多くの番組MCを務めていた絶頂期から一転、約10年もの間お茶の間から姿を消していたヒロミさん。再び注目を集めている今、久しぶりに戻ってきたTVに対する思いを聞いた。

――実際に10年間テレビから遠ざかってみて、どうでした?

俺みたいなのはね、10年くらい休んだほうが、ちょうどいいの。がむしゃらに走りすぎてたなって思ってたし、周りにも「お前、生き急いでない?」って言われたりしてたからね。26歳で会社を立ち上げるのもそうだけど、みんなより一歩先に経験することが多かったから。休んで趣味の時間が持てたのも、良かったなって思うし。誰でもさ、仕事がうまくいかないときってあるじゃん? そういうときは一度、自分は今ダメだって認めないといけないと思うんですよ。自分が売れてないと把握するというか。そうしないと、次が始まらないんです。辞めているんだか辞めてないんだか、売れているんだか売れてないんだかって、自分でよくわかってない状況だと進むに進めませんよ。世間的に売れていないのに態度だけは売れている風の人とか、嫌じゃない? 痛いじゃん。自分を俯瞰で見る視点は持ってないとダメだとは思うよ。

――このままテレビに出られなくてもいいと思ってたんですか?

うん、俺ってさ、ちょっと人生ついていて、芸能人をやらなくなって他の事業を始めたんだけど、それなりにやっていけたんですよ。食べていけるし、楽しいからいいかなって。普通、芸能界に入ったり起業をしたりしても、そんなにうまくいく人ばかりじゃないでしょ? 人生、どん底に堕ちる可能性だってあるわけですよ。でもね、俺ってキャラクター的にクスリで逮捕されたりしそうじゃない?(笑) そういう、みんなが“あぁ〜、やりそうだね”って想像できる堕ち方だけは絶対にやめようと思ってましたけどね(笑)。

――事業もうまくいっていて、満足な生活を送られていたのに、どうしてまた芸能界へ?

本当にそのまま辞めてもよかったんだけど。でもわざわざ“辞めます”宣言をする必要もないし、テレビに出ること自体は嫌じゃないから、言われたら出るしね。でもね、いつか誰かが、俺のことを必要としてくれる時代がくるんじゃないかって思っていた部分もあるんだよ、どっかで。テレビを見ていても“俺だったらこうやるのに”とか“へたくそ!”とかさ(笑)、芸人じゃなく視聴者としていろいろ考えたりもしてたし。そんなふうにしていたら、ママ(妻の松本伊代さん)は芸能活動をしていて、彼女へのコメントで出演したりするうちに、またオファーが来るようになった。自分では俺の何がおもしろいんだろうって思ったけど、呼ばれたら出るからね。

――10年ぶりのテレビはどうでしたか?

しばらくやってないから“本当にできんのかな”って気持ちはあったよね。野球でもさ、現役の人と休んでいた人が一緒にプレーしたって無理じゃない? テレビの前で文句は言えても、いざ実際に出てみたらどうなるかわからない。でもね、自分がバリバリの現役の人たちと闘えるのかどうか、試してみたい気持ちがあったんだよね。実際に出演してみて、勝ったか負けたかはわからないけど、まぁ、一応勝負はできたんじゃないかと。きっと周りもそう思ったからオファーをくれているわけだから。取りあえず、オーディションには合格したのかなって。でもね、10年間休んでいたおかげで、一視聴者としての視点が身についたことは、今の俺の強みだと思うよ。昔ならキャラクター的に恥ずかしくて言えないことも平気で言えるし、それに朝の番組に出させてもらってるけど、若いころだったら絶対に断ってるもんね。それが“おはようございます!”なんて言ってるわけですから。そんな自分を“年とったな”って思うけど、視聴者の人もそのくらいの俺がちょうどいいのかもしれないね。

――では、これからもテレビに出続けたいですか?

オファーがある限り出続けますよ。若い人たちの番組に出て、いいスパイス役になることもあるだろうしね。たまに自分の冠番組にしか出ないという人もいるけど、そうはなりたくないな。そうじゃなくて、みんなで昔みたいにワイワイできればいいなって思うよね。俺たちの世代の芸人には、そういう気持ちが残っている人が多いと思うんだけどな。

◇ヒロミ 1965年2月13日生まれ。東京都出身。1986年にデビット伊東、ミスターちんとともに、B21スペシャルを結成。『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)や『8時だJ』(テレビ朝日)、『モグモグGOMBO』(日本テレビ)など、数多くのバラエティ番組でMCを担当していた。

※『anan』2015年5月27日号より。写真・中島慶子 ヘア&メイク・MIKA(augment) インタビュー、文・重信 綾 《anan編集部》