19日、NHK「サンデースポーツ」では、星野仙一氏が聞き手となりプロ野球史に名を残す二人、長嶋茂雄氏と王貞治氏の対談を放送した。

「ON(王、長嶋)」と呼ばれ、国民的スター選手として活躍した二人。昭和34年6月25日の天覧試合では、日本中が見守る中、王氏が同点ホームランを、長嶋氏がサヨナラホームランを放っている。

「(ONのアベックホームランは)あの日が初めてだったね」という長嶋氏に、入団初年度だった王氏は「その時はそれどころじゃなかったですけどね」と苦笑い。

すると長嶋氏は「村山さんがあの打球はどう見てもファウルだと。最後の最後まで言ってましたよね。(亡くなる)寸前まで。ピッチャーの意地が最後まであったような気がするね、村山さんは」という故・村山実氏のエピソードも披露した。

また、王氏の一本足打法に話が及ぶと、王氏は「あの時、打てるのが長嶋さんしかいない。他の人が打てないから。私は期待されて入って鳴かず飛ばずだったんで。なんとかしろって荒川さん(博/コーチ)が言われたんじゃないですか」と切り出す。

事実一年目の打率が.161に終わるなど大化けするまでに数年の時間を要している王氏は「私は詰まり屋だったので詰まらないためにどうしたらいいかっていうことでやってた。簡単なんですよ。ピッチャーが足を上げたらお前(足を)上げろと。ピッチャーが地面に着いたら足を下ろせと。たまたまボールとの距離がとれたんです。“ああ、これはいいな”ってことで、ただそれだけでやるようになったんです」と伝説の打法を取り入れた経緯を明かした。

すると3番を打つ王氏をいつもネクストバッターズサークルから見ていた4番の長嶋氏は「足が上にいったり下にいったり、その日によって違うんですよ。僕は後ろで見てて“ああ今日はいいな、いいスイングしているな”ってことを背中を見て分かっていた」と振り返りつつ、「本当に最高の技術」と絶賛した。

対談の最後は今のプロ野球界についても言及した二人。長嶋氏が「スーパースターになることが一番。日本の野球にスーパースターが果たして何人いるかということになると、ちょっと寂しいような気がするよ」と語ると、王氏も「4打席立ったら3三振1ホームランの選手が欲しい」と笑顔を見せた。