柏原純一氏は1980年から5年連続全試合出場…日ハムの「顔」として活躍した後楽園球場の人工芝が選手生命に影響を及ぼした。野球評論家の柏原純一氏は日本ハム時代の1980年から1984年まで全試合に出場した。パ・リーグを代表する選手になり、1982年のオールスターゲーム第2戦(西武球場)ではMVPに輝くなど、存在感は高まっていった。一方で故障との闘いも起き始めていた。打撃の状態が悪く、苦しかった時期には1度だけ敵の主砲に