稲盛和夫氏

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2014年6月29日。中国・浙江省杭州市の人民大会堂は興奮に包まれ、お祭り騒ぎと化した。「稲盛和夫経営哲学報告会」の会場に本人が登場したのだ。熱狂冷めやらぬ報告会の後、プレジデント特別取材班が稲盛氏に取材した。

※第1回はこちら(http://president.jp/articles/-/14097)

■なぜ拝金主義で行き詰まったのか

経営者は才能を私物化せず、仲間のために会社を発展させ続けなければならない。それは果てしない頂を目指す登山のようなものだという。

「もうこれでいい」と思った瞬間から、会社の没落が始まります。だから京セラという会社が続く限り、従業員の将来にわたる幸福のために、エンドレスな努力を続けるしかないのだと思っています。

いくら今はよくても、5年、10年先のことはわかりません。現在は過去の努力の結果であり、将来は今後の努力で決まっていきます。だから、経営者は一瞬たりとも気を緩めてはいけないのです。今、この瞬間が未来につながり、未来の結果を左右していきます。経営者の場合、それは個人だけの問題ではなく、全従業員の未来をも左右することになります。となれば、小休止などしてはいられません。

企業を経営することは、高い山に登ることと似ています。登っている瞬間は目の前に見える山の頂を目指して登るわけですが、その一つの山を登り切ると、尾根づたいに次の山とつながっているのです。そうしてまたその山を目指して登ると、さらに山は続いていく。企業経営というのも、これと同じことなのです。

われわれ経営者は、そびえ立つ山の頂を目指して、登り続けていくしかありません。なぜそのような際限のない努力を続けることができるのか。それは、「全従業員の物心両面の幸福を追求すること」こそ、会社が存在する目的だからです。人生の目的を何に置くかで、人生はガラッと変わります。財産や利益が目的の人もいれば、地位や名誉が目的の人もいるでしょう。しかし、そうした数字や肩書によって示されることが目的であれば、その目的が達成されてしまえば、あとは目指すものがなくなってしまいます。

もちろん、金を儲けたいという強い思いを持つこと自体は、決して悪いことではありません。特に事業をスタートさせる時期には、「何としてもこの事業を成功させ、豊かになりたい」という強い「思い」も必要になります。しかし、成功した事業を永続的に発展させていくためには、「お金を儲けたい」という経営者の私的な願望だけが目的であってはうまくいきません。なぜなら、いったん成功して私的な願望が実現してしまうと、もはやその経営者は一生懸命働こうとはしなくなってしまうからです。それでは従業員を不幸にしてしまいます。

従業員だけでなく、株主やお客様、地域の方々など、会社にかかわるすべての方々の未来に経営者は責任を持っています。そして、企業を永続的に発展させることで人々の幸福を実現しようと思えば、その努力には際限がありません。逆にいえば、人々を幸福にすることを働く目的にしている限り、現状に満足することはありえないのです。

「個人のお金儲け」から「全従業員の物心両面の幸福を追求すること」への転換。それは、社会主義から改革開放へと急激な方向転換により格差が開き、従業員と経営者の心が離れてきた中国において、もっとも必要とされていたことの一つであった。稲盛氏は経済的に十分なゆとりのある現在でも、贅沢をすることに対しては潔癖すぎるほどの警戒心を保っている。

現在でも仕事上の会食以外では、豪勢な食事をするようなことはめったにありません。何万円もするような食事をしようと思えばできるのでしょうが、そんな豪華な食事を平気で取れるという、慢心が恐ろしいのです。自分が贅沢をしたりするということは、慢心や驕りにつながっていくと自らを戒めてきましたので、それが習性になっているのだと思います。

人間は成功すると、どうしても慢心し、かつて謙虚であった人でも傲慢な人間へと変貌してしまうものです。そうしてだんだんと人間性が変わっていってしまいます。経営者や社員が慢心していくのと軌を一にして、企業の業績も悪くなっていくものです。私もこれまで、才覚あふれる経営者たちが流星のごとく現れてはやがて没落していった例を多く見てきました。彼らが没落していった理由は、「成功」という試練に耐えられず、人格、人間性、考え方などが変わってしまったからにほかなりません。そう考えると、成功を持続させる働き方として大切なのは、「無私の心で働く」ということだと思います。我欲を満たそうとするから、慢心が起きるのです。

「社長業には何が大切か」と聞かれて、こんなふうに答えたことがありました。第一に、「社長は公私の区別を峻厳に設けること」。公私混同をしてはいけませんし、特に人事については公正でなければなりません。第二は、「社長は企業に対し無限大の責任を持つこと」。企業はもともと無生物。そこへ生命を吹きこむのが社長の仕事なのです。第三は、「社長は自身の持つすべての人格と意志を会社に注入しなくてはいけない」。さらにいえば、経営者にはひとかけらでも「私」があってはならない、ということです。社長が個人に戻るとその間、会社はおろそかになります。「私心」というものをできるだけなくそうと努力しないといけないのです。

■一流の経営者に共通すること

一流の経営者は私欲を満たすことにかまけたりはしない。むしろ非常に謙虚である。杭州市で稲盛氏と面会した中国人企業家、アリババ集団の馬雲(ジャック・マー)氏もまさにその一人といえる。馬氏は、中国を代表するネットショッピングサイト「淘宝網(タオバオワン)」やネット決済システム「支付宝(アリペイ)」を開発。時価総額は20兆円に達するともいわれる中国ネット界の巨人である。

彼とは、日本で1回お会いしていますので、今回で2回目になります。これまでも、大変立派なお仕事をして成功された方だと理解していましたが、今回親しく食事をしながら話をして、彼の人間性にも強く印象づけられました。単に才能があって成功した、というのではなく、すばらしい人間性も身につけている方だったのです。今までいろんな経営者にお会いしてきましたが、一流の人物だと思いました。

馬さんは「まさに仕事の場が、修行だと思っていて、辛酸をなめて自分の心を高めている」と語っています。仕事を通じて、あたかも禅のお坊さんが座禅をしながら自分の人間性を高めていくのと同じように、彼は仕事を通じて、つまりは仕事の修羅場をくぐりながら、すばらしい人間性をつくってきているのです。

経営者というのは、あらゆる面で日常の仕事の中、大変厳しい環境に置かれたり、いいときもあったり、悪いときもあったりと、いつも予期せぬことに見舞われます。それがまさに修行で、うまくいかなくなったときに動揺したり、うまくいったからといって有頂天になったりしてはいけません。いいときでも、非常に厳しい環境の中でも頑張っていくということがまさに修行であって、そうした経験を経ていくことで自分の心が高まっていくのですね。

このように中国にもすばらしい経営者はたくさんいます。中国のいい点をもっとよく知り、日本人と中国人はもっといい付き合いをしていかなければならないと思っています。

仕事を「修行の場」と捉えることが、自分自身を高めるための最良の手段。それは、経営者のみならず、ビジネスマンを含めたあらゆる人々に通じる考え方だろう。

人生において「無駄な苦労」というものは、実は一つもありません。なぜなら、苦労そのものが人間をつくっていくからです。私も子どものころは生意気でしたから、大人から「苦労は買ってでもしろ」といわれると反発し、「いやいや、苦労なんて売ってでもしたくない」と思っていたものです。しかし今ではその意味がよくわかります。苦労というものは、自分を磨いていく糧となるもの。「金を払ってでもしたほうがいい」というのは本当です。

私の場合、大学を卒業して就職をした会社が「給料の遅配は当たり前」という赤字続きの会社でした。会社の研究室で自炊をしていましたが、ご飯を炊いて、ネギと天カスだけのみそ汁をバッとこしらえて、それを朝昼晩と食べていたものです。その後も京セラを創業して、若いころから非常に苦労をしましたが、これは天が私に与えたもうた試練だろうと思うようにしてきました。神様はきっと私の心を高めるために、そういう苦労を与えたもうたのだろうと思います。そういう困難から逃げず、真正面から立ち向かってきたからこそ、今の自分があるのです。

82歳になって、しみじみ「心のあり方が、すべてを決めるのだな」と思います。今、自分の境遇に苦しんでいる人がいるかもしれません。しかし、その境遇をつくり出したのは、まさに自分の心なのです。自分の心が、正しい方向に変わっていけば、自分が今置かれている環境も変わっていきます。心が招かないものは、自分の周辺には現れません。自分の心の反映が、自分の周辺に現れ、現在の自分を取り巻く環境もつくっているのです。そう考えれば、「心を磨く」ということこそが人生の目的であり、また、人生で最も大切なことではないでしょうか。

(西谷 格=構成 大高志帆=協力 町川秀人=撮影)