ブラジルW杯を前にした本田圭佑は、日本フットボール界において絶対的な存在だった。ファンも、メディアも、そして選手たちもその実力と実績に一目を置いていた。本田の言葉は彼自身を彩り、飾り付け、実際よりも大きく見せることもあったが、そのキャラクターも含めて魅力的だった。

 2010年W杯で代表の中心選手としての座を勝ち取った本田は、その後に発足したザッケローニ体制においても常に先頭を走ってきた。2011年のアジアカップ、2012年のW杯アジア3次予選、2013年の最終予選、その主役を務めてきたのは常に本田だった。日本代表において本田の存在がいかに大きかったかについては、SportivaブラジルW杯特集号『保存版「本田の時代」』にも書いている。

 ところが2014年のW杯において、本田は本田ではなかった。誰が見ても、精彩を欠いていた。その瞬間、日本は本田もろともに失意の底へと落ちたのだった――。

 スペインのFCバルセロナが最強を誇るのは、常に新陳代謝を求めて競争関係を作っているからである。過去10年だけでも、ロナウジーニョの時代があり、メッシの時代があり、昨シーズンはネイマールを獲得している。

"エースは君臨し続けてはならない"というルールはない。しかし競争は欠かせないもので、その環境は指揮官が作る必要がある。ひとりの選手に依存するのは健全な状態ではない。それは集団としての衰弱を意味している。

 その点、日本代表が本田の代役を見つけられなかったことは不幸だった。ブラジルW杯の敗退がドイツW杯のそれと既視感があったのは、中田英寿に頼り切りになってしまい、しかし全盛期の力は中田になかった、という悲劇と似ているからだろう。本田の場合は体力の限界ではなく、コンディションの問題が色濃く影響していたものの、イメージよりも不調という点では変わらなかった。

 では、ザッケローニ監督がなぜ本田の代役を探そうともしなかったか。

 本田の実力が突出していたにせよ、誰も変わる存在は選出されなかったし、不在時の異なるシステムが試されることもなかった。香川真司をトップ下で代用するやり方すら積極的に使われていない。これはひとつのミステリーである。

 例えば東アジア選手権の日本代表に選出された山田大記(ジュビロ磐田)は、前線でボールを収め、打開し、シュートを打てる。特質的には、本田と同じ機能を果たすことができるはずだった。山田はサイドで起用されることが多いが、プレイの流れを読む目を持ち、連係の中でいい判断をし、好機を作れるだけに、トップ下の特性を濃厚に持つ(そもそも本田も監督によっては、FW、サイド、ボランチで使われ、生粋のトップ下ではない)。

 2013年限定ならば、Jリーグで最も10番の似合う中村俊輔を対抗選手として選出するべきだった。所属する横浜F・マリノスで優勝争いをリードしていた彼のプレイは、冴え渡っていた。相手の弱い部分を読み取り、自分たちの強さを存分に引き出し、洗練された技術を出す。FKは神がかり的だった。

「チームスタイルに合うかどうか分からないし、本田の立場は?」

 そんな議論よりも先に、優秀な選手は選出されるべきだ。もし聡明なプレイを見せていた中村が入っていたら、本田や他の選手が「自分たちのサッカー......」などと酔いしれることはなかっただろう。

 本田がブラジルW杯の戦犯と言うことではない。むしろ、指揮官がチームを作る点において、選手を正しく導く必要があった。クラブチームのようにメンバーを固定して安定感を出すザッケローニのやり方は、間違っているわけではない。だが、それは4年も続けるべきことではなかった。4年も同じメンバー=競争関係を与えない状態では、環境が淀むのは必然である。

 2014年1月、本田はACミランへの入団を発表し、10番を背負い、人気的には"栄華を極めた"。しかし実際にはベンチを温める機会が多かった。ケガにも見舞われ、コンディションは上がっていない。名声だけが一人歩きしていた。それは彼自身にも、周りの選手にも幸福な出来事ではなかった。

「自分は世界一になるのが目標だし、こういうやり方しか知らない」

 コロンビア戦後にそういった彼の表情は、W杯優勝を豪語していたのが嘘のように悄然としていた。この4年間、好敵手が現れなかったことは、なにより本田にとって一番の不幸だった。なぜなら、彼は踏みつけられたり、凌(しの)ぎを削り合う中で成長してきたのだから。熾烈な競争こそが、プロフットボールでは望ましい。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki