「授業中に奇声」「みずから頭を叩く」チック症でいじめ被害にあった女性が「理解を求めること」を諦めた現実と葛藤
「授業中にキャーと叫びたい衝動に駆られ、自分では止められないんです」。自分の意思とは無関係に体が動いたり、声が出るチック症。へちさんは幼い頃から自身の症状に悩まされ、一時期は他人に理解を求めることすら諦めてしまったそうです。
【写真】授業中、意思に反して奇声を発し、つらい思いを抱えた小学生時代のへちさん(6枚目/全14枚)
「ブヒブヒッ」と鼻を鳴らすのが始まりだった
── 自分の意思とは無関係に体の一部が動いたり、声が出たりするチック症。運動チック(瞬きや首振りなど体の動き)とひとつ以上の音声チック(鼻を鳴らす、オウム返しほか)が1年以上持続する場合は「トゥレット症候群」と呼ばれ、鬱や強迫性障害などの合併症が出やすいと言われています。へちさんは子どもの頃からトゥレット症候群を患っているそうですが、いつ頃から、どんな症状が出ていたのですか?
へちさん:「ブヒブヒッ」と豚みたいに鼻を鳴らすことがやめられなくなったのが最初でした。症状が出たのは4、5歳頃だったと思います。周りの子に「おい、豚!」と言われても何も言い返せず、シクシク泣いていたのを覚えています。
── 意図的にやっている行動ではないのに…それはつらいですね。
へちさん:小学1年生の頃に左右に首を振るチック症特有の「首振り」の症状が出ました。風邪をひいた時に、頭痛の確認で「今日は頭が痛い」「痛くない」って首を振っていたら癖がついてやめられなくなってしまって。親に「首を振るのがやめられない」と言ったら、「うん、チックだからね」と返されたんです。
親は医療関係の仕事で、私がチック症だということは当時、既にわかっていたようです。チックは何か起因するものがあって症状が出る時と、何もなくても出る時があるんですけど、首振りに関しては風邪を引いた時だったと思います。
2年生に入ると今度は音声チックがひどくなりました。授業中、教室全体に響き渡る声で「キャー!」って叫びたい衝動に突然、駆られるんです。ひと言の時もあれば、何度も連続で叫ぶ時もあって。自分では、止められないんです。
両親がチックの説明を学校にしてくれて、先生からクラスのみんなに伝えてくれたので、幸いいじめられることはなかったんですけど。みんな驚いたと思います。
中学でさらに悪化する症状「自分の頭を壁に…」
── 中学時代はいかがでしたか?
へちさん:入学当初はよかったものの、症状が次第に悪化してきました。中学2年の頃は運動チックがいちばんひどくて、首ふり以外にも体が「ビクビクッ」と震えたり、自分で自分の頭を殴ったり、壁が近くにあると、自分で頭を壁にぶつけ続けたり。
── 壁に頭を…。痛みは感じるのに、体が動いてしまうのでしょうか?
へちさん:はい。痛いけどやめられないんです。自分の頭を叩くのは、自分に強い罪悪感を抱いた時。たとえば母に怒られて「自分はダメなんだ」と感じた際に、自分で自分の頭を叩けば、ダメなことが帳消しになるような気がしてしまって。
── 小学生の頃は叫びたくなる衝動に駆られたということですが、音声チックは?
へちさん:音声チックはある程度、自分でコントロールできることが増えました。大きな叫び声は出さず、しゃっくりなど、小さいチックにして逃すとか。ただ、チックを出さないように常に気を張っていたので、膨大なエネルギーを使うんですよね。結果、疲れ切って学校を休むこともあったし、登校してもしょっちゅう保健室に行っていて、周りの生徒には「サボり癖がすごい」って言われていました。
「マジ障害じゃん」と聞こえて怖くなった
── 小学校の時はご両親が学校に病気の説明をしていたそうですが、中学では説明はされたんでしょうか?
へちさん:症状が悪化してから両親が学校に説明してくれましたが、「同級生には公表しないで」と私がお願いしていたんです。中学生の頃ってちょっとでも変わったことをしたり、変な人だと思われたりしたらいじめのターゲットになってしまうので。実際、病気じゃなくても誰かをからかう時に「お前、マジ障害じゃん」と誰かがクラスの子に言ってる姿を見て、すごく怖くなってしまって。公表する勇気がありませんでした。
それでも結局、隠し通せずに男の子たちからいじめられました。説明しなかった私も悪いんですけど、チックの真似をされることから始まり、思いっきり机を叩かれる、学校行事で班行動する時に自分だけ入れてもらえないなど…。
つらい気持ちをわかって欲しくて、いちばん仲の良かった女の子にだけ、思い切ってチックのことを打ち明けたことがありました。でも、当事者じゃないと、やっぱり理解は得られなくて。そこからは誰かに病気を説明することも、わかってもらうことも諦めました。中学時代は、つらい記憶が多いですね。
中学時代は「わかってもらう」を諦めたけれど
── その後、高校は単位制の学校に進学されました。トゥレット症候群を意識してのことですか?
へちさん:それもありますが、4歳の頃からプロを目指してクラッシックバレエをやっていたので、自分で授業を選択する単位制の学校のほうが活動しやすかったんです。毎日決まった時間に同じメンバーで授業を受けないので、私だけ目立つこともない。結果的にトゥレット症候群に対するストレスが少なく、過ごしやすかったです。
また、当時の日本ではまだ導入されていなかったCBITという認知行動療法の一種があるのですが、アメリカの作業療法士の先生にオンライン受診したところ、症状が劇的によくなったんです。翌年には、アメリカに渡米してトゥレット用のマウスピースを作ってもらったことで、かなり症状が落ち着きました。
── その後、へちさんはSNSでトゥレット症候群を公表し、現在は当事者として発信を続けています。
へちさん:私自身、子どもの頃は自分の病気が周りに理解されず、ずいぶんつらい思いをしてきました。でも、私が諦めずに周りに病気をきちんと説明して、周りもちゃんと理解してもらえていたら、小・中学時代はずいぶん違ったのかなと思います。
今は当時と環境も変わり、ここ3、4年で病気についての認知度は大きく上がりました。私自身も同じトゥレット症候群の人たちの集まりに出向き当事者同士でのお話をしますし、こうした取材やSNS発信を通じて、多くの人に知ってもらう努力を続けるようになりました。私のつらい体験を今後の世代が繰り返さないためにも、まずは伝えていくことが大切なのかなと思っています。
取材・文:松永怜 写真:へち

