惜しくも指名漏れとなった清原正吾(写真・共同通信)

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 10月24日に都内でおこなわれた「プロ野球ドラフト会議」は、「早慶」が明暗を分けた形となった。

 まず、満面の笑みを見せたのが、日ハムから5位で指名を受けた早大4年の山縣秀選手。フィールディングのうまさ、守備範囲の広さ、そして強肩と、遊撃手としてはトップクラスの評価だった。今春の六大学リーグ戦では早大の優勝に貢献し、ベストナインにも選ばれている。大学日本代表にも選出されるなど、この数年で急激に伸びたひとりだ。

 その卓越した守備力に、一部のファンは「守備職人」「忍者」と呼ぶなど、称賛を惜しまない。また、同時に話題となっているのが、出身高校だ。偏差値75と全国でも超難関で知られる早稲田大学高等学院(早大学院)から進学したとあって、まさに文武両道を体現した格好となった。

 早大学院出身のプロ野球選手は、1958年に中日に入団した故・森徹氏以来、2人め。来季の続投が決まった新庄剛志監督のもと、エスコンフィールドで華麗な守備を見せてくれるに違いない。

 一方で、朗報が届かなかったのが、慶大4年の清原正吾選手だった。父親は、日本球界で通算525本塁打の清原和博氏。否が応でも注目される立場にあったが、指名されることはなかった。

 正吾選手は中学ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部と、軟式でプレーしていた小学校から6年間、野球のキャリアにブランクがあった。だが慶大で短期間に急成長を遂げ、野球部の4番をまかされるまでに。まだまだ荒削りのところはあるが、父親と同じ身長186cmでパワーがあり、ポテンシャルの高さは誰もが認めるところだ。

 それでも指名されなかったのはなぜか。スポーツ紙デスクが解説する。

「指名されるかどうかの目安となるのが、球団から届く調査書なんですが、当初、正吾のもとにはどの球団からも届きませんでした。ところが、ドラフト直前になって複数の球団から届いたんです。それで『指名されるんじゃないか』『育成ならいける』と空気が変わってきました。

 ドラフト当日、慶大には報道陣が60名ほど集まりました。しかし、2023年に横浜DeNAから指名された度会(わたらい)隆輝に続く“親子鷹”は実現しませんでした。要因は、もちろん実力不足が大前提ですが、ほかにも最後のアピールの場である秋のリーグ戦で打率.200、2本塁打、4打点と、決して好成績を残せなかったことでしょう。

 正吾は、足は速いんですが、守備センスは決して高くなく、一塁しか守れないんです。一塁手というのは、日本に限らずメジャーでも、抜群の打力のある選手のポジションなんです。彼の打力は、残念ながらそのレベルにありませんから、各球団とも指名できなかったのでしょう」

 父・和博氏は1985年のドラフトで、熱望した巨人から指名されずに悔し涙を流した。そして、長男・正吾選手は指名漏れとなった。

「正吾のもとには、今季からNPBウエスタン・リーグに参入した『くふうハヤテ』が獲得に乗り出したという話もあります。一方で、彼にはこのドラフトにすべてをかけてきた自負もあるでしょうから、11月9日からの早慶戦でユニホームを脱ぐのでは、という噂もあります」(同前)

 ドラフトが終わっても目が離せない。野球ファンとしては、いつか父と同じ舞台に――と願ってしまうのだが……。