菊池桃子

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文化人として活動

 5年前、“将軍”の異名を持つ大物官僚と電撃再婚した菊池桃子(56)が、芸能界をドン引きさせるトラブルを起こした。アイドル時代に世話になった大物作曲家を怒らせてしまったのだ。「結婚してから変わった」と周囲に言われる菊池が恩人に重ねた“非礼”とは――。【前後編の前編】

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【写真】40年前、“清純派アイドル”だった菊池桃子の“かわい過ぎる”ブロマイド

 今年、歌手デビュー40周年を迎えた菊池桃子だが、最近は芸能活動より私生活が注目されることが多い。

 2019年に再婚した前内閣審議官・新原浩朗(にいはらひろあき)氏(65)との夫婦円満ぶりである。安倍政権のブレーンとして「アベノミクス」などの重要政策に関わり、その剛腕から“将軍”と呼ばれる大物官僚が、元人気アイドルと結婚した――。5年前に流れたニュースは日本中を驚かせた。

菊池桃子

 菊池は12年ごろから、母校・戸板女子短期大学の客員教授やNPO法人「キャリア権推進ネットワーク」の理事に就任するなど、文化人としての活動に軸足を移していた。それが安倍政権の目に留まり、15年に始まった安倍晋三氏肝いりの事業「一億総活躍国民会議」の民間議員に一本釣りされた。そこで新原氏と出会い、愛を育んだのである。

「もう二度と菊池とは関わりたくない」

 そんな菊池が“古巣”の芸能界で騒ぎを起こしているとの報せが入ってきた。さる音楽業界関係者が明かす。

80年代の邦楽を支えた名作曲家(林哲司氏)

「最近、菊池は大恩人である作曲家の林哲司さん(75)を怒らせてしまったのです。林さんは『もう二度と菊池とは関わりたくない』 とまで話している」

 確かに菊池にとって林氏は、その存在なくしてスターダムをなしえなかったといえるくらいの恩人だ。

 デビュー曲「青春のいじわる」以来、「卒業-GRADUATION-」「もう逢えないかもしれない」「アイドルを探せ」などアイドル時代に出したヒット曲は全て林氏が手がけた。

 あの頃、林氏に世話になった歌手は菊池だけではない。松原みきの「真夜中のドア」、中森明菜の「北ウイング」、杏里の「悲しみがとまらない」……。記憶に残るこれら「シティ・ポップ」と呼ばれる音楽は4年ほど前、約40年を経て国内外でリバイバルブームが起きたばかりだ。

菊池桃子

 世界にも名が知れ渡る音楽界の大御所を菊池はなぜ怒らせてしまったのか――。

待たせた上に「やっぱりできません」

 話は2年ほど前にさかのぼる。

「新曲を出したいと考えていた菊池が林さんに作曲を依頼したのです。菊池は新原氏と結婚後、所属していた『パーフィットプロダクション』からすぐに独立した事情もあり、自ら直接連絡を取ったそうです。林さんは久しぶりの連絡に驚いたようですが、『桃ちゃんのためならやるよ』と快諾しました」(前出の音楽業界関係者)

 そして22年7月、アイドル時代の曲に加えて35年ぶりのタッグで作った新曲2曲を収録したアルバム「Shadow」をリリースした。

菊池桃子

 このアルバムの制作時から、林氏は菊池に振り回されていたという。

「当初、林さんは作詞を、以前菊池の楽曲で組んだことのある二人の作詞家に依頼していました。しかし菊池が『自分で書きたい』と言い出したのです」(同)

 だが、いくら待っても菊池は詞を送ってこなかった。しまいに、

「『やっぱりできません』と言い出した。急きょ、林さんは作詞家たちにまた依頼し直さなければならなくなり、恥をかかされた」(同)

信じがたい非礼

 とまれ無事アルバムは出来上がり、23年10月には二人でNHK「うたコン」にも出演。続けて菊池は林氏に、40周年事業でもプロデュースを依頼した。

 そこで信じ難い非礼を重ねたのである。

「今年4月に発売された新曲3曲から成るEPの制作を林さんに依頼しておきながら、途中で菊池の個人事務所社長がお気に入りだというロックバンド『androp』のメンバーなどに変えた。結局は菊池のセルフプロデュースとなり、林さんがこのEPで関わったのは、菊池が作詞・作曲した1曲を編曲することだけでした」(同)

 後編【「恩師を激怒させ、コンサートにも『来なくて結構です』と…」 菊池桃子が起こしたトラブルの全容】では、事務所移籍の際の菊池の身勝手な行動などと併せて詳しく報じている。

「週刊新潮」2024年10月10日号 掲載