文田健一郎がパリ五輪レスリング男子グレコ60キロ級で金メダル

写真拡大

 レスリングのグレコローマンスタイル(以下グレコ)60キロ級で、東京五輪では銀メダルだった文田健一郎(28)が金メダルに輝いた。1984年のロサンゼルス五輪の宮原厚次(52キロ級)以来、40年ぶりの“グレコで金”だ。さらに77キロ級の日下尚(23)も金メダルに。グレコで日本人2人の金メダルは、1964年の東京五輪(花原勉と市口政光)以来、60年ぶりの快挙だ。【ジャーナリスト/粟野仁雄】

【写真を見る】悲願の金に喜び爆発の文田…銀だった東京五輪と「表情」を比較

東京五輪は決勝で涙を飲み

 準決勝での文田はジョラマン・シャルシェンベコフ(キルギス)に先行されたが、豪快な「反り投げ」が炸裂して一挙に4点を取り逆転。その後は1点差に詰め寄られながらも守り切った。決勝では昨年の世界選手権で3位だった曹利国(中国)を相手に、グラウンド(寝技)のローリングで転がしてバックを取るなどして3点を先行。落ち着いて反撃を凌ぎ、悲願を達成した。

文田健一郎がパリ五輪レスリング男子グレコ60キロ級で金メダル

 日の丸を背にマットを誇らしげに歩き、「エッフェル塔のように一番輝きたいと思った」などと話し、東京五輪の決勝で敗れた時の涙はなかった。スタンドでは妻の有美さんと長女の遥月ちゃんが、悲願を果たした「パパ」に喝采を送っていた。

 文田は山梨県韮崎市出身。元レスラーの父・敏郎さんがレスリング部監督を務める韮崎工業高校から日本体育大学に進んだ。韮崎工業高校東京五輪で反り投げのチャンスをでは、五輪初出場で銅メダルを取った女子68キロ級の慶大生・尾崎野乃香も、男性選手に交じって武者修行をしていた。

 文田は当初、日体大の2年先輩の太田忍と激しいライバル争いを繰り広げていた。次第に抜け出し、2019年ヌルスルタン(カザフスタン)の世界選手権で優勝。しかし、東京五輪は決勝で涙を飲み、雪辱を誓っていた。

 素顔は大の猫好きで、「にゃんこレスラー」としても知られる。現在の愛猫「ショウガ」と「ワサビ」は日本で応援していたという。

復活させた「反り投げ」がさく裂

 グレコローマンスタイルはフリースタイルと異なり、下半身を攻撃できないのでタックルなどがない。腕力勝負に近く、動きが少なくなって“おしくらまんじゅう”をしているだけのような試合も目立った。

 対して、文田のレスリングの魅力は、自分の頭越しに後方へ相手を投げ飛ばす豪快な「反り投げ」である。だが、東京五輪では徹底的に警戒されて反り投げのチャンスを見いだせないまま敗戦したことを悩み、一時期は反り投げを「封印」。細かな投げ技やグラウンド(寝技)などに力を入れていた。

 封印を解いたきっかけは、昨年9月にベオグラード(セルビア)で行われた世界選手権。文田は決勝でシャルシェンベコフと対戦し、見事に投げられて敗れた。だが、本人は意外にもさばさばした表情で「みんな組んでくれなかったのに、彼はしっかり組んで思い切りぶつかってきてくれたことが嬉しかった」と話したのだ。

 さらに「『お前、なんで投げてこないんだ』と言われたと感じた」という。そこで、封印していた反り投げを復活させることを決心。今回のパリ五輪では、東京五輪で一度も出せなかった反り投げを土壇場で見事に決めた。

 文田は後ろに体を反らすと手が床に着くほど背骨が柔らかい。猫のような柔軟性は防御でも役立つ。相手に抱えられた際、普通の選手なら投げられそうな状態があったが投げられないのだ。今回も文田は、相手にだらりとぶら下がってバランスを取って凌いでいた。

 丸太は投げやすく、布団は投げにくい。それと同じで、柔軟な身体の選手に力を抜かれるとなかなか投げられない。“布団”になることが大事だが、守ろうとするとどうしても力が入ってしまう。容易にできることではない。

相撲を生かした日下

 この日のもう一人のヒーローは、五輪初出場ながらグレコ77キロ級で金メダルに輝いた日下尚。香川県出身で、高松北高校から日体大に進んだ。

 グレコの重いクラスで日本人が優勝したのは日下が初めてである。決勝でデメウ・ジャドラエフ(カザフスタン)を破った後、マット上で「後方宙返り」をして見せたことからもわかるように、ずば抜けた足腰のばねを持っている。

 日下は中学で相撲も経験した。レスリングでは立ち姿勢で相手を場外へ押し出せば1点入るという、「押し出し」に似た部分もある。日下は五輪前に大相撲の琴櫻との稽古で「押し」に磨きをかけ、急速に強くなった。

柔道がある日本はグレコに向く

 文田は常日頃から「グレコの魅力を見せたい」と口にしていた。メキシコ五輪(1968年)のグレコ・フェザー級で銀メダルに輝いた藤本英男さん(80)=日本体育大学名誉教授=は、パリ五輪におけるグレコ軍団の活躍に目を細める。

「昔のグレコの選手は、隅落とし、首投げ、胴タックルなどの変則的な技を出したが文田君は正統派のレスリング。がっちり組み合って投げる素晴らしいグレコレスリングを見せてくれた。軽いクラスだけではなく、相撲をやっていた日下君が重いクラスでここまで来るのは素晴らしい」

 欧米人より腕力が落ちる日本人は、すばしっこさとタックルなどを生かせるフリースタイルが向いていると考える向きもある。しかし藤本さんによれば違うようだ。

「基本的に、柔道がある日本はグレコに向くんですよ。全日本選手権で9連覇した松本君(慎吾・日体大レスリング部監督)も高校まで柔道でした。1964年の東京五輪で優勝した花原勉さん(フライ級)も、市口政光(バンダム級)さんも高校まで柔道をしていたんですよ。柔道は基本的に上半身を持ち合って投げるからグレコローマンに近いのです」

 では、長らくグレコが低迷していたのはなぜか。

「東欧諸国や北欧は子供の頃、レスリングはグレコから始めるが、日本はアメリカと同様、フリースタイルから始める。中学や高校でもグレコの試合はないし、競技人口は少ない。でも今回、文田君と日下君が立派な結果を残してくれたので新しいグレコの歴史が始まるでしょう」

日体大では特にグレコを強化してきた

 高校総体(インターハイ)でもグレコの試合はない。このため、大学に入ってからグレコに転向する選手が多い。これでは世界に後れを取っても仕方がなかった。日体大レスリング部監督の松本慎吾さんはこう語る。

「日本では、グレコを始めるのが高校生や大学生からと遅かったが、今回のグレコ代表の3人(文田健一郎、日下尚、曽我部京太郎)は早くからグレコの選手として成長してきた。3人が在籍した日体大では、特にグレコを強化してきたのです。それがようやく実ってきたと言えます」

 ただ、「柔道からグレコに来る選手は減りつつある。やはり柔道頼りではなく、15歳未満の早いうちからグレコで闘う選手を増やしていきたい」とも。

 一方、レスリングの女子はフリースタイルとは呼称しないが、基本的にルールはフリースタイルでグレコローマンはない。こうなってくると「女子にもグレコを」の声も聞こえてくるが松本さんは「リフトする(相手を抱え上げる)ような力がないし、怪我の可能性も高く、女性にグレコが導入されることはまずないのでは」とみている。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部