男性から女性への戸籍上の性別変更、なぜ手術なしで認められた? 弁護士に聞く、その論点

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 7月10日、広島高等裁判所にて、性同一性障害と診断された当事者の、戸籍上の性別変更に関する裁判の判決が下された。性別適合の手術を受けずに戸籍上の性別を男性から女性に変更するよう申し立てた当事者に対し、広島高裁は変更を認める判決を出したのである。

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 これまで、性同一性障害と診断された当事者が戸籍上の性別を変更するためには、満たさなければならない条件が明確に定められていた。特に手術に関しては必須とされていたが、今回の判決により手術なしでも戸籍上の性別を変更できることが明確になった。

 法律的に決められていたこの条件がなぜ覆されたのか。この裁判の論点について、小杉・吉田法律事務所の小杉俊介弁護士に聞いた。

──今回の広島高裁での裁判について、大きな話題となっていますが、論点を整理したいです。

 今回の件は大きなニュースになりましたが、法曹界的により大きなニュースだったのが、昨年の10月25日に出た最高裁の法令違憲判決です。今回の広島高裁での裁判は、この10月の裁判の一部について最高裁が審理をやり直すよう差し戻したもので、今回急に思いがけない判決が出たというわけではありません。

──昨年10月の法令違憲判決というのは、どのようなものだったのでしょうか?

 話は2004年に遡るんですが、この年に「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」という法律が施行されました。この法律の第三条で、戸籍上の性別を変更するための要件がはっきりと定められました。それが「1.十八歳以上であること」「2.現に婚姻をしていないこと」「3.現に未成年の子がいないこと」「4.生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」「5.その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」の5要件です。

──かなり具体的に条件が決まっていた。

 「2」「3」の条件は、もし子供ができたときに「生物学的には父親だけど、戸籍上は母親」というような混乱が生じないように定められたもので、「4」「5」が昨年の裁判で問題になった部分です。生殖腺というのは、男性で言えば精巣、女性で言えば卵巣です。それが機能しない状態になっており、さらに性器自体の形状も、変更後の性別に合致したものになっている必要がありました。この2要件をクリアするためには手術が必須であることから、ふたつ合わせて「手術要件」と呼ばれています。

──確かに、手術以外の方法でこの条件をクリアすることはできません。

 昨年10月に最高裁は「4」の条件に関しては憲法違反であるという判決を出しました。これは学校で習った人も多いと思いますが、裁判所の機能のひとつに「法律が憲法に違反していないか」を判断するというものがあり、違憲審査権と呼ばれます。国の法律の大元になるのは憲法であり、各種の法律は憲法に適合していなければなりません。裁判所は、ある具体的事件について、その事件で問題となる法律が合憲か違憲かを審査する権限があり、その最終的な審査主体は最高裁判所です。

 とはいえ、「この法律は違憲だから無効」という判断を下すことについては、最高裁判所はかなり慎重です。昨年10月の裁判の判決は戦後12件目の法令違憲判決でした。最近は違憲判決が出ることも前よりは増えていて、たとえばつい先日も旧優生保護法に対する裁判でも法令違憲判決が出ましたが、珍しいのは間違いないです。

──「4」の条件についてはその珍しい判決が出たと。

 手術要件とされているふたつの条件のうち、生殖腺についての条件は性別を変更したい人に対して手術を強要しているのと同じであり、これは身体の自由を保障している日本国憲法に反しているというのが、昨年10月の最高裁大法廷判決です。ただ、この裁判では「5」の条件については判断保留でした。ふたつの手術要件全てが違憲とはされず、結論を出さないまま最高裁よりひとつ手前の裁判所の広島高裁に差し戻して、裁判をやり直したんです。その結果、「5」の性器の外観に関する条件も違憲であり、手術を受けていない人の性別変更も認めるという判決が出たのが今回の裁判なんです。

──前段階がいろいろとあった上での今回の判決であると。

 今回の裁判には色々な評価があると思いますが、基本的には昨年10月の最高裁判決に基づいた既定路線と言えると思います。手術は絶対条件ではなくなりましたが、「戸籍上の性別を変えるためには、医師の診断とそれに基づく医療処置を受けている必要がある」という前提は変化していないので、この判決を受けて何かドラスティックな変化が起こるというものではないと思います。

──判決に従って法律も変わる、ということはないんでしょうか?

 性同一性障害特例法については改正案が国会に提出されていますが、具体的に要件がどのように改正されるかはこれからの議論次第です。最高裁での法令違憲判決は重大な意味を持つので、最高裁で判決の出た「4」の要件については、今後なくなる可能性が高いと思います。一方で、広島高裁で判決の出た「5」の条件についての判決は、最高裁判決ではないので、実際にどう影響が出るかはわからないところがあります。

──さきほどの5つの条件の中で、親子関係に関して混乱が生じないように設定されている条件もありましたが、今後手術なしでの性別変更が認められるようになると「生物学的に体は男性だけど、戸籍上は母親」というパターンも出てくる可能性がありますね。

 そこについては、昨年10月の最高裁判決の中でも触れられています。2004年に性別変更の条件が定められてから、すでに1万人以上の方が性別変更の手続きを行なってきました。当然その中には、お子さんのいらっしゃる方もたくさんいます。しかし、それによって大きな社会的混乱が発生したという事実は認められません。20年間も性別変更の制度を運用しても混乱がないということが、最高裁判決の結論を導いた大きな理由の1つです。

──性別変更の条件について、不安視する声もあるようです。

 それについては、最高裁判決に付け加えられた裁判官意見の中で触れられています。最高裁で法令違憲判決を出す際には15人の最高裁判事全員で構成される大法廷での判断が必要になりますが、昨年の最高裁判決は15人全員一致で「違憲」という判断でした。それに加え、個別の裁判官がさらに踏み込んだ意見を付け加えているのですが、公衆浴場やトイレ、更衣室といった場所に、異性の体そのままで入ってくる人がいるのではないかという声についてもある裁判官が触れています。まず、公衆浴場については、公衆浴場法という法律に基づき条例で諸々のルールが決まっており、それに基づき一般に浴室は男女で分かれています。しかしそれは公衆浴場を営む各事業者が決めることであり、法律で男女別でないといけないと決まっているわけではありません。男女別で分かれている場合でも、法律上の性別で区分されているわけではなく、外観の特徴に基づいて男女を判断しているわけです。性別変更に関する法的ルールが変わったからといって、公衆浴場におけるその区分ルールがただちに変更になるとは考え難い。さらに言うと、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせようとする人が出てくると想定すること自体が現実的ではない、というのが裁判官意見です。

 トイレや更衣室については、そもそも他人に性器を見られるような場所ではありません。現状でもIDを見せてトイレを使ったりはしていないわけで、そうであればこれも性別変更の条件が変化することは関連性が極めて薄いという判断が裁判官によって示されています。

ーー過去のデータから見ても、今回の判決によって社会的な混乱が生じることはなく、あくまでも憲法に則った判断であると。

 個人の人権を出発点として考える限り、昨年10月の最高裁判決や今回の広島高裁の判決の結果はごく妥当といえます。最高裁大法廷の15人全員一致で違憲判決が出されたこともそのひとつの表れです。

 2004年の法制定当時とは、性同一性障害に対する医療処置のスタイルも変わってきていることも最高裁判決の中で触れられています。当時は、「軽いホルモン治療から始まって、段階的に外科的な治療に移行する」という段階的治療という考え方がスタンダードで、法律の5要件もその考え方に基づいています。でも今は、当事者の症状はそれぞれ多様であるとして、段階的治療という考え方は取られなくなりました。つまり、法律の根拠になっていた医療処置の前提が崩れている。性別違和に対する取り扱いは変化が非常に早い分野で、20年前の法律がすでに時代遅れになるくらいのスピード感があります。今回の判決はその変化を反映させたものといえます。