衝撃ダウンに見た怪物の「人間味」 井上尚弥とネリの激闘を“第二の師匠”に訊く「あれは あれで、今後の糧になる」

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ネリの一打に屈した井上。そのダウンシーンは世界的な話題となった。(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext

 序盤からダウンの応酬に、壮絶なKO劇。去る5月6日に実現したボクシング世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥(大橋)とルイス・ネリ(メキシコ)による「東京ドーム決戦」は、まさに珠玉のエンターテインメントだった。

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 両雄が序盤から打ち合ったダイナミックな展開は世界でも大きな話題を呼んだ。そんな一戦にあって「最大」とも言えるトピックになったのは、井上がキャリアで初めて喫したダウンシーンだろう。

 それぐらいの衝撃は確かにあった。4万人以上が詰めかけた東京ドームも一瞬だけだが、静まり返る異様な雰囲気になったことを筆者は記憶している。

 ここで井上が“倒された瞬間”を振り返ってみたい。

 事が起きたのは、初回。被弾のリスクを冒し、自慢の強打を食らわせに行ったネリが井上との近接戦に持ち込んだ時だった。左アッパーを突き上げた井上が、二の矢を見舞おうと右ストレートを繰り出そうとした瞬間、ぽっかりと両者との間に隙が生じる。その刹那に悪童は左フックを一閃。この死角から飛んできた一撃が「見えなかった」というチャンプは、身体を反り返らせてリングに倒れた。

 直後に座り込み、目を見開いた井上の表情からもわずかに動揺が伺えた。ただ、そこから彼は怒涛の反撃を見せ、ネリから3度のダウンを奪取。タイトルを防衛するわけだが、試合の模様を詳細に伝えた米メディアの反響を見ても、海外で大きくクローズアップされたのは、間違いなくモンスターがキャンバスに飛んだ瞬間だった。

 そんな衝撃のダウンシーンに興味深い知見を披露する男がいる。ロンドン五輪ボクシング・フライ級日本代表であり、井上が「第二の師匠」として慕う、須佐勝明氏だ。

 詳細を聞くと、高校時代から井上を知る須佐氏らしく、こう語ってくれた。

「(ダウンでの)衝撃はありました。ただ、年齢も30歳を超えてきている。だから、小さなミスみたいのは誰でも出てくるもの。『全てが完璧』というターミネーターみたいな選手はいないと思うんです。そういう意味では人間味のあった場面でしたね。あれはあれで、今後の糧になるというか。階級を上げていく上で一つのポイントになったのかなと思います」

勝負の分かれ道となったネリの反応

 モンスターのダウンに「人間味」を見ていた須佐氏は、「2ラウンド目以降、地に足のついた戦い方が出来ていた」と指摘。普段と異なる井上の姿を見ていた。

「入場の時にパフォーマンスをして、いつもよりも気合が入っていたと思う。観衆を目の前にした時の緊張と、『絶対に倒さなければいけない』という使命感もあって、初回の力みに繋がっていたと思います」

 実際、当人も序盤の“力み”について「東京ドームでやることに対してものすごいパワーをもらっていましたけど、振り返ると、プレッシャーもあったんだなと。浮足立つような部分があった」と語っている。須佐氏の言う通り、気合が空回りしかけていたのである。

 もちろん、ダウンを受けたネリの対応も勝負の分かれ道となった。帰郷後に地元メディア『Global Comunicacion』のインタビューに応じた29歳のメキシカンは、「正直、『この男はなんて簡単に倒れるんだ』と思った」と吐露。そして、「すぐに仕留めようとしたのが間違いだった。そこから俺はガードが疎かになったんだ。12ラウンドもあることを思い出して、時間をかけるべきだった。あんな大きな試合だったからプレッシャーは半端じゃなかった」と赤裸々に明かしている。

 各国メディアのパウンド・フォー・パウンドでも1位にランクされ、“世界最強”と言われて久しい井上。そんな偉才をもってしても、東京ドームという大舞台に飲み込まれかけた。だが、須佐氏の言うように、窮地から冷静さを取り戻し、盛り返した姿には絶対王者の矜持も滲み出ていた。

[文/取材:羽澄凜太郎]

【解説】須佐勝明(すさ・かつあき)

1984年、福島県生まれ。会津工業高校から東洋大学へ。2012年、自衛隊体育学校所属時にロンドン五輪に出場。ロンドン五輪ミドル級金メダリストの村田諒太は東洋大学の1学年後輩にあたる。株式会社AYUA代表取締役。日本ボクシング連盟理事。日本オリンピック委員会ハイパフォーマンスディレクター。SUSAGYM会長。アジアコーチ委員会委員長。共同通信社ボクシング評論担当。会津若松市観光大使。ほか。